鑑賞録 #23 「名探偵コナン ベイカー街の亡霊」
劇場版コナンシリーズは1作目の「時計じかけの摩天楼」から7作目の「迷宮の十字路」までは観た記憶があり、その次に21作目の「から紅の恋歌」を金ローか何かで観て、それ以外は観ていない。
めちゃくちゃ人気あるよね、コナンの映画って。
「ベイカー街の亡霊」はとても好きでこれまでに数回鑑賞している。ちゃんとBlu-rayを購入するくらいには好きだ。
とはいえ感想を言語化したことも誰かと本作について会話したこともなく、「コナンの映画の中でこれが一番好き」という認識だっただけ。
なので、今回の再鑑賞ではできるだけ細かい部分も意識して観てみることにした。そのせいでいちいち重箱の隅をつついてくる鬱陶しい鑑賞者と化しているが、半ば意図的にそうしているので、もしファンの方が読んでも怒らないでほしい。
ファンタジーてんこもりのコナン作品にマジレスは野暮と思いつつも疑問点や不可解な点を多く挙げる結果となり途中いちゃもん感想になってしまっているが、好ましく思っている上で面白半分にマジレスしたのであってマジトーンではないことをご留意いただきたい。
あらすじ
本作の公開は2002年4月だが、メタバースやAIが人口に膾炙した現代において「コクーン」や「ノアズ・アーク」がより現実味を増していて、ただの近未来ファンタジー設定ではなくなったように感じる。
2002年に何があったのか検索してみたら「完全週休2日制の実施(公立)」って出てきた。そんな時代に作られた映画である。
衝撃の幕開け
冒頭、監視カメラ付きの部屋に軟禁され労働に従事させられている10歳の少年ヒロキの姿が映され、その後、彼が飛び降り自殺するシーンから本作は始まる。
私が本作を初めて観たのは小学生の頃だったと思うが、当時これらの描写に強い衝撃を受けた記憶はない。しかし今観るとかなりギョッとする。
ヒロキくんの部屋に流れていたアメリカのニュース映像では、
「ヒロキ・サワダは10歳ながらMITの院生であり、IT企業シンドラー・カンパニーの社長であるトマス・シンドラーのもとで世紀の発明に携わっているため、厳重なセキュリティ下に置かれ普通の子供のように遊ぶこともできません」
という趣旨を女性キャスターが淡々と伝えているのだが、もしこれが現実ならアメリカ国民や人権団体が抗議してヒロキくんを保護し、コナンの登場を待たずして一件落着しそうである。
権利の侵害だ!とか
児童虐待だ!とか
子供を労働させるな!とか
アメリカという国の空気感には、特に子供のことに関しては義憤でもって猛烈に戦ってくれそう、という謎の頼もしさを感じるので、ヒロキくんの置かれた状況のようなとんでもない人権侵害情報を聞かされたアメリカ国民がおとなしく聞き流すとは思えない。
そしてシンドラー・カンパニーは株価暴落、シンドラー本人はパパラッチに追いかけ回され、あるいは逮捕・収監、会社からは優秀な人材が流出、財務状況が悪化して二束三文で買収…………きっとそうなるに違いない。
しかし作中では誰からも手を差し伸べられることなく、ヒロキくんは自ら死を選ぶ。
軟禁して働かせていた子供が自殺までしたというのにシンドラー・カンパニーはなんのダメージもなく普通に続いていて、ヒロキくんの死から2年後に日本のゲーム会社と組んで「コクーン」の大掛かりなプレミアを開くという場面に移っていく。
舞台を作るための都合もあるとはいえ、冷静に観るとかなりしんどい内容だったようだ。なぜこれを今まで普通に流して観ていたのだろう😂
社会風刺
このプレミアに招待された子供とその親族の扱いが、「チャーリーとチョコレート工場」でゴールデンチケットを獲得し集まったいけ好かない親といけ好かない子供たちみたいである。
いけ好かない子供代表の4名(諸星、滝沢、江守、菊川)がパーティー会場にサッカーボールを持ち込んで普通に強めに蹴って遊んでいたのには引いたが、結構な肥満児体型の江守が俊敏な身のこなしでボールを蹴り返していたのが地味に面白い。
「コクーン」に搭乗できるのは金持ちの子供だけなのだが、その金持ちというのは与党政治家、財閥系銀行頭取、警視副総監、有名狂言師などの、俗にいう"上級国民"というやつだ。
子供にもわかりやすくするために招待客とシンドラーを極端に腹立たしいキャラ・非常識なキャラにしているのだとは思うが、彼らを通じて"上級国民"の傲慢さ、格差社会、世襲制の宿痾、強者による搾取みたいなものがバンバン描かれているのがすごい。
ところで、その金持ち側の一人でもあり私の推しでもある園子が一瞬しか出てこないのが本作で最も不満な点かもしれない😂
蘭をゲームに参加させるための枠押さえ要員でしかないのは寂しいな。
園子が活躍する回もある(京極さん絡みとか)けど映画だとどうなんだろう?園子と平次が多めに出る回とか観てみたいな〜!
仮想体験ゲーム「コクーン」
子供たち50名(うちコナンたち"一般国民"数名)がコクーンを介してデスゲームに強制参加させられる展開になるが────これを「下らない」と軽んじて無理やりコクーンを開けようとした親2名が電撃を喰らって吹っ飛ばされていたのがいい気味すぎて思わず笑ってしまった。
ここまでの間に招待客に対してかなりヘイトが溜まっていたと思われる。
コクーンに実装されている5つのステージのうち、当然コナンたちは「オールド・タイム・ロンドン」ステージを選択して「シャーロック・ホームズ」の世界に行くのだが、ホームズオタクの新一に吹き込まれ続けたせいで蘭がめちゃくちゃシャーロック・ホームズ情報に詳しいという描写を見て、あ〜〜新一って大人になってみると割とヤバい男だったんだ〜〜〜と苦笑した。
シャーロック・ホームズと関係のない「遊園地でアトラクションに乗る」というシチュエーションで明らかに興味のなさそうな欄に対して新一がずっとホームズについて語り続けている回想シーン、怖すぎるよ!
私が子供の頃の「工藤新一」はかっこいい男の子の代名詞みたいなものだったのに、大人になってから新一の振る舞いを見ると「探偵を自称するホームズオタク(強火)の高校生」という事実に大変怖さを感じるし、そんな新一を幼い頃からでろんでろんに甘やかしてきたであろう蘭のリアクションを見ていると「蘭姉ちゃん……もしかしてダメンズメーカーの才能が……?!」と勘繰ってしまう。
余談
コクーンではヘッドセットを介して五感を外部と接続しすべての情報を直接脳とやりとりする仕組みになっているが、生体内にデバイスを組み込まずに現実と見分けがつかないレベルの仮想世界を体験させるという点は「サイバーパンク: エッジランナーズ」で出てきた方式にも似ているなと思った。
彼らは生体内にデバイスを組み込む(身体の一部を機械化)というよりは身体がデバイスと化している節があるので首元のスロットにチップを挿入して情報を得ている場合も多いが、技術が進みまくっていていろんな方式を使用している。
元から攻殻機動隊やエッジランナーズのようなサイバーパンクな世界観が好きではあるが、加えてエッジランナーズはTrigger制作だ。
Triggerシグネチャーな描写がたくさんあってとても楽しめるし、Triggerの絵に英語のセリフが乗っかっているのも新鮮でいい。
日本語音声と英語音声、どちらもそれぞれに魅力があるが、世界観的には英語の方がより合ってるかな〜〜〜〜〜口悪いし。
ヒロキくんとノアズ・アーク
序盤、ヒロキくんの遺志を継いでコクーンを乗っ取ったノアズ・アークが、大人たちに向けて「我が目的は、日本という国のリセットだ」と告げるシーンがある。
そして、ヒロキくんがアメリカに渡った理由も、工藤新一の父、工藤優作から明かされる。
ヘイ、工藤優作。
あんたの言い回し、すごく分かりにくいぞ。
すごく分かりにくい。
ちょいと整理してみる。
渡米理由
父親と別れてお母さんとアメリカに渡ったのは、日本の学校教育に壁を感じたから
学校では個性を理解されずパソコンオタクの変わった子供として奇異の目を向けられていた
教育現場に限らず、日本には個々の特性を柔軟に認めようという空気がない
人工頭脳開発の動機
そういう苦い経験(個性が理解されない苦しみ)から、人工頭脳の開発を思い立った
ノアズ・アークの思想
ヒロキくんに代わって「親が敷いたレールを走ればいいという社会そのものを壊し、硬直した日本を変える」案を思いついた
つまり、日本のリセット
現在の状況
それ(日本のリセット)を今、日本の二世・三世が一堂に会するこのゲームの発表会で実行しようとしている
うーん???
直前のノアズ・アークのセリフを加味しても「1.渡米理由」と「2.人工頭脳開発の動機」がいまいち繋がらず、「苦い経験」を踏まえて人工頭脳をどう活用するつもりだったのかがよく分からない。
そのためノアズ・アークの基本理念みたいなものが不明瞭で「3.ノアズ・アークの思想」にも繋がりが見出せないし、「世襲を止めてリセット」を実現するためには「4.現在の状況」でやろうとしている超超短期的な世襲制の撹乱を起こしてもあまり意味がない……
私の理解力が終わっているのかもしれないが、発端は「個々の特性を認めて尊重してほしいなあ」みたいなところっぽかったのにノアズ・アークによって突然「日本のリセット」にまで話が飛んでいて、
しかも「リセット = 世襲の否定 = 二世・三世の殺害」になっているから、優作の説明だけだと「世襲制さえぶち壊せば(日本という国自体が変わって)個性が尊重されるようになる」って話にも聞こえてしまう。
優作の説明では前後関係が分かりにくい……
「変わらない日本を変えるため、権力層に蔓延る悪しき世襲制を廃止させる」という考えは分かるけど、ノアズ・アークが根本的な課題として捉えている部分とヒロキくんの苦い経験や遺志との繋がりは何?
個性が認められない日本って息苦しいなあ → 日本をよくしたいなあ → 偉い人たちの腐敗が見えるな → 世襲制が悪循環を引き起こしているのは明白だ → 二世・三世たちを殺して日本のリセットを!
という思考なのだろうか。
でも10歳未満で渡米して「個性が認められる環境」に行ったヒロキくんが日本の改革にこだわり続ける理由が見えない。
日本が恋しいから?父親が恋しいから?
本当の目的
絶体絶命の危機に陥りつつもコナンが勝ち進んでいき、最終的に一人残ったコナンがノアズ・アークことヒロキくんの仮想人格と会話するシーン。
しんどい……😭
ヒロキくんってなんでこんなに儚げでイノセントなキャラクターなんだろう……つらいんですけど😭
声もイノセント感を強めている気がする……今回の再鑑賞をするまで私はなぜかヒロキくんの声を矢島晶子さんだと思い込んでいた。
違うと分かってから聴けば全然違うのに、なんでだろう。
──ヒロキくんの仮想人格にコナンが問いかける。
そもそも「日本のリセット」や「世襲制の否定」という思想は建前で、二世・三世の子供たちの「主体性と自立心を育む」が目的だったのね。
子供たちの境遇と「親の力を頼りにすることなく」っていうポイントがあるから、いずれにしても「世襲という制度に疑問を持て」みたいな要素は入ってくるかな。
でもそれって「個性を異端視する日本に壁を感じた経験に基づく人工頭脳の開発」とどう繋がってるの?
子供たちがコクーンでの活動を経て主体性と自立心をわずかでも育てたとして、その子たちが「日本」や「大人」によってヒロキくんのように否定されて丸め込まれてしまわないような対策こそ必要なんじゃ……?
ここでも工藤優作の説明が理解の邪魔になってる感じがする。
変に渡米理由と人工頭脳開発の動機を関連付けなくてよかったんじゃないか説を推したい。
たとえば
個性・能力を異端視する日本を息苦しく感じて渡米
能力は大いに認められたが今度は金儲けに利用され、母親の死以降は軟禁生活に
友人と遊ぶこともできない孤独な生活に寂しさを感じ話し相手として人工頭脳を開発
人工頭脳の存在がシンドラーにバレてビジネス転用を強いられる
ビジネス用の人工頭脳開発に注力していると見せかけつつ並行してプロトタイプ版(=ノアズ・アーク)のディープラーニングを継続
映画冒頭のシーンで「君だけは何にも縛られず自由に生きて」とノアズ・アークをオンライン上に逃す
「何にも縛られず」は「個性・能力を異端視して抑圧する力」、「才能を利用し自由を奪う大人」等に縛られないこと
ヒロキくんの人格ばかりを学習してきたノアズ・アークは実質ヒロキくんの分身となり、数年後「コクーン」のプレミアに出現
数年の間に学習元のヒロキくんの中にあった「日本へのトラウマ」「大人へのトラウマ」「家族愛への飢え」を増幅させて(拗らせて)いる
拗らせた結果「日本を改善したい」「大人のエゴを否定したい」「家族の絆を確かめたい」という方針が形成され本作のテロを敢行
とかだろうか……
「日本のリセット」「子どもたちの主体性と自立心を育む」なんていう崇高な理由じゃなく、「愛されたい」「認められたい」「良いことをしたい」みたいな誰にでもあるシンプルな欲求が根本で、そこに10歳の子供の純粋さとかヒロキくん自身の経験に基づく何かが組み合わさっていたらもっと納得しやすかったかもしれない。
いずれにせよ生前のヒロキくんに日本の権力層に恨みがあるような描写がなかったから、ノアズ・アークがメンテされずに成長した結果拗らせたってことにしたら楽なのかな……
コナンがいなかったら
この「コクーン」のプレミアにコナン一行が参加していなかったら、というのを話の都合を無視して額面通りに考えてみる。
各ステージ概要
ノアズ・アークの方針
ゲームを本来よりも難易度の高い内容に設定
クリアできなくても参加者を本当に殺すつもりはない
ゲームをクリアした場合
僅かに後述するが、おそらくコナンたちなしでのクリアは不可能
ゲームをクリアできなかった場合
結局誰も死なないので二世や三世たちに「なーんだ、結局大丈夫じゃん」という体験をさせるだけになりそう
本当に殺されるかもしれないと信じた子供やその家族がPTSDを負う可能性
「死なないならもう一回」とただのアトラクション化
感覚が非常にリアルだが実際は死なないのでバーチャル空間で「命を粗末にする」「参加者同士で傷つけあう」事象が起こる可能性
ゲームもクリアできないし参加した子供たちが考えを改めることなく最後まで自己中すぎてノアズ・アークが見限った場合
「50名の脳に特殊な電磁波を流して破壊する」を実行
子供たちが死んでも現権力者の大人たちが地位を保持したまま生き残るので社会構造は変わらない
10歳前後の子供たちが50人死んでも死んだ子の兄弟がいるかもしれないし、一人っ子だったとしても新たに子供を作るかもしれない
歴史的大事件にはなるが世襲という観点では「十数年遅れ」になるだけで日本のリセットにならない
どれも悲惨……
当たり前だが完全にコナンありきの仕様
ゲームの難易度が上げられているため超絶イレギュラーな存在の新一・蘭が介入していなければ解決困難。
状況に応じてサポートするキャラやスパイ(ノアズ・アーク自身)を仕込んでいたとはいえ「コナンがいなかったとしたら」を想定するとかなり無理があり、本来の搭乗者だけでは十中八九クリアできない。
子供たちの成長を促すことが目的だったとして、ノアズ・アークはクリアまでの経緯にどんな効果があると推論していたのだろう。
協力しあって活路を見出すような要素は(少なくともオールド・タイム・ロンドンには)あるが、ほか4種の概要を見るにいずれもフィジカル勝負の死にゲー感があるし、難易度が高く開始直後に脱落する子供もいたことからほんの一部の子供しかカリキュラム全体を体験する機会が与えられない。
でも「難易度を上げる」という調整は「10歳前後の子供を対象にしたバランスのゲームを新一がプレイしたら楽勝すぎて盛り上がらない」から「新一をもってしても一筋縄では行かず最後までハラハラドキドキの展開が続く」状態を作り出すためだろうから、このifを考える場合は「難易度据え置き」を前提にすべきか。
それなら作中の描写ほど早いペースでは脱落しないかもしれない。
協調性や相互補助のような部分の成長を促すためには謎解きや脱出ゲーム、RPGのようにある程度「共に行動する」時間が必要だろうし、単独で困難を乗り越える経験をさせるためには一人一人を隔離して「自分の力だけでなんとかしなければ」という状況に追い込まなければならないと思うが……
まあ「単独で困難を乗り越える」に重きを置く作りにしたらコナンの映画じゃなくなっちゃうし、徐々に子供たちが減っていくという怖さも入れる必要があっただろうし、その辺のご都合展開は仕方ない。
しかしどう考えても更生させた方がいいバカ息子筆頭だった諸星くんのアカウントをノアズ・アークが使っていて、諸星くん本人はしばらく眠っていただけっていうのはどうなのよ。
乗っ取るなら更生が必要なさそうな子のアカウントかダミーを用意するかしないと「成長を促す」ができないじゃない……
いけ好かない子4人のうちの別の子のアカウントを借りて、諸星くんは本人じゃだめだったのだろうか。
この一連の「コクーン」って、子供たちへの影響よりも上級国民たちを危険な目にあわせたかどでシンドラー・カンパニーと日本のゲーム会社が責任を追及されて存続できなくなる、みたいな効果の方が大きいと思う。
シンドラーはヒロキくんを自殺に追い込んだ悪党だからそれでいいが、シンドラー・カンパニーの従業員とコクーンでコラボした日本のゲーム会社はただのとばっちりだ。
現実の殺人事件
終盤、「シンドラーがヒロキくんのお父さんである樫村を殺した」という推理を優作が披露する。
…………どういうこと?
OK、ここまではいいよ。
んんん????
ナイフに付着していたDNAの持ち主とシンドラーの血縁関係が発覚しただけで、なんで正体が分からない殺人鬼のDNA情報との繋がりを心配する話になる?
「被害者のハニー=JTRの実母」説はコクーン内でのゲームの情報(サイズ違いの指輪や親子バザー)を元にコナンが推理しゲーム内で肯定されただけのなんの裏付けもない話で、仮にそれが真実でも現実世界では証明するすべがない。
「シンドラーのDNAとJTRのものと思われるDNAを分析した結果、二人は血縁だと判明した!シンドラーはJTRの子孫だ!」とヒロキくんが暴露したところで(ヒロキくんはそんなことしないだろうが)せいぜい都市伝説レベルでバズって終わりなんじゃ……?
「JTRのものと思われるDNA」自体が眉唾で信憑性ゼロなんだもん。
別にシンドラー本人が殺人鬼なわけじゃないんだし、経営者ならむしろプロモーションに利用すればいいじゃん……
だからなんで?
なんで100年前の話が100年後の子孫の人生にまで関係あんの?
何?進撃の巨人?エルディアとマーレの話してる?
JTRって「1888年にイギリス・ロンドンのホワイトチャペルとその周辺で犯行を繰り返した正体不明の連続殺人犯」で、捕まってないし誰なのかも分かんないんだよ?
1888年って第一次世界大戦より前だよ?
同年の日本について検索したら「12月3日 - 香川県が愛媛県より独立」とか出てきたわ。
1988年(平成元年頃)に1888年(明治21年)の頃の話を掘り返して「お前の先祖、あの切り裂きジャックらしいな!」つってIT業界からハブられることを恐れてヒロキくんと樫村を殺したの?
だったらなぜそんないわくつきの短剣をわざわざ展示して他者に公開した?
殺人も辞さないような繋がりのある代物なら厳重にしまい込んでひた隠しにするんでは???
ていうか何を馬鹿正直に「JTRが使っていた凶器らしい」とか言ってんの?言わなきゃいいじゃん。JTRが使ってたっていう証拠もないし。
凶器に付着していたDNA情報とシンドラーが血縁関係にあるのは確かだとして、ナイフそのものが人殺しに使われた証拠がないんだから「私の先祖の中にこれで怪我をした人がいたかもしれないなHAHA」とかなんとか言えばよくないか?
これってもしかしてアレ?
「名探偵コナンの犯人、意味不明な動機で人殺しがち」のアレか?
いやでもこの動画で言ってる動機ってそこそこ理解は示せるというか、めちゃくちゃ自分勝手だな!とは思うけど「そういう美学もあるのか」とか「そういう精神状態だったのか」とか「普段から不満が溜まってて引き金になっちゃったのかもね」とも思えるというか……
世界中の誰も正体を知らない殺人鬼との立証できない血縁関係(しかも疑惑の根拠は自社が開発したゲームの中の描写のみ)を理由に人殺しなんかして、これじゃシンドラーがただのおバカさんみたいになっちゃうけどいいの?
工藤優作の話よく分かんない問題2
シンドラーを追及する過程で
っていう会話してるけど、
工藤優作、あなたの言い回し、やっぱりすごく分かりにくいよ。
結局「凶器はどうしてもあの短剣でなければならなかった」理由も回収されてないし……
会場に置いておけるからってこと?
それでもあの短剣じゃなきゃいけない理由には……ならなくないか……?
工藤優作ってこんなよく分かんないキャラだったっけ……TT
アイリーン・アドラーのシーンの美術
(疑問点ばかり書きすぎたので切り替えます……)
作中でアイリーン・アドラー(シャーロック・ホームズのキャラ)が出てくるが、彼女の周辺にあるアートが明らかにアルフォンス・ミュシャを意識したものになっていた。
ミュシャのスタイルを取り入れたアートや、ミュシャの作品をそのまま引用したようなものまである。
シャーロック・ホームズの著者であるコナン・ドイルとミュシャの生きた年代を調べてみると、
■ アルフォンス・ミュシャ(1860年7月24日 - 1939年7月14日)
出世作は1895年、舞台女優サラ・ベルナールの芝居のために作成した『ジスモンダ』 (en:Gismonda) のポスター
■ アーサー・コナン・ドイル(1859年5月22日 – 1930年7月7日)
1891年から『ストランド・マガジン』で読み切りのホームズ短編小説の連載を始め、爆発的な人気を獲得(→シャーロック・ホームズの大ヒット)
上記の通り、国は違えど二人はめちゃくちゃ同年代であった。
活躍した時期も離れていないから、アイリーンの控え室にミュシャのポスターが貼ってある描写が原作にあってもおかしくはないのかもしれない。
おわり
最後、ヒロキくんの姿をしたノアズ・アークが「僕のようなコンピュータが生きていると大人たちが悪いことに利用してしまう。人工頭脳なんてまだ生まれちゃいけなかったんだ」と言って自ら消滅していく。
作中のノアズ・アークはデジタル上のヒロキくんとして存在しているし、彼ができなかった子どもらしいことを代わりに経験して、ヒロキくんの姿でその喜びを口にすることでまるで本人が幸せを味わえたかのように演出されている。
でも本物のヒロキくんは死んでいて、優秀すぎる才能をいいように利用され、先祖との繋がりの露見を恐れたシンドラーに理不尽に追い詰められ、自ら命を経ったところで全部終わり。
人工頭脳はヒロキくんのコピー・再現みたいなものであって攻殻機動隊の電脳やuploadの技術のように意識や人格を直接デジタル化したわけじゃないし、あの喜びの描写は観ている側にとっての救いにはなってもヒロキくん自身は何ひとつ救われていない。
そして、分身のノアズ・アークも自死の道を選んだ。
つまりヒロキくんの思考は電子の世界でも自分の存在を否定し、二度も自分を殺したことになる。
つらい……何これ…………
コナンと話してる間、ヒロキくんずっと涙ぐんでるのよ……すぐにぼろぼろ泣くわけじゃなくて、涙だけ溜めてるの……やめて……あなた人工頭脳でしょ……ヒロキくんじゃないんでしょ……
魂とか霊みたいなものが存在するならどうかヒロキくん本人が幸せになっていてほしいと思ってしまう。
スピリチュアルな世界の実在をこれほど望んだことはない。
スピリチュアルどころかこれアニメなのに。
◇
相変わらずコナン(新一)が過剰にキザなハードボイルドを演じる感じは健在だった。
小さい頃は違和感なく見ていたが、小学一年生の見た目、中身も高校生、すっかり年下になってしまった新一くんでは全然印象が違う。
そういえば、ゲーム内でのセリフが日本語に翻訳されている設定とはいえJTRが「お陀仏」とか言ってんの、やめてよ笑
彼イギリス人だよ!
私がコナンの映画を積極的に観ない理由の一つに「いくらなんでもさすがに非現実的すぎて冷めちゃう」というのがあるが、本作は主な舞台が仮想空間なおかげで「いくらなんでもそんなわけあるかい」が極限まで設定に吸収され、その辺を問題なく受け入れられた気がする。
(設定やトリックの奇抜さはまだいいのだが、草薙素子でもできないようなフィジカルな芸当をコナンやその他の高校生がやってたら「いやさすがに」って思ってしまう)
今回意識して細かく観た結果たくさん疑問が浮かぶことになってしまったけど、それまでは普通に受け入れていたのだから、自分がいかにぼんやり観ていたかということも思い知る結果になった。
しかし「昔ながらのコナン」という雰囲気が懐かしく、やっぱり好きな作品だなとは思った。
シャーロック・ホームズをしっかり絡ませてあったっていうのもいいよね、コナン(新一)らしくて。
最近の劇場版で「いやさすがに」ってならない作品あるのかな〜〜〜〜
初期の頃の劇場版はもう一度観てみようかな〜〜〜
細かい部分は意識せずに😂