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ノータイトル〜辛口がダメな方は禁読〜


「1万回ありがとう・ごめんなさい」
と唱えたところで、
動かないと何も変わらない、変えられない。

(唱えている時の波動・気分は、
一時的に上がるかもしれない。)

ただ常に機嫌良く務め、
唱えている時間、
やることをやった方が
結果するかもしれない。


〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜


小さな子供に
謝りなさい!
って謝ることだけ教えて
「なぜ」謝らなければならないかを教えないと
子供は、
ごめんなさいさえ言えば
なんでも「ちゃら」になると
勘違いし出す。

決まりだから守らなければいけないの!
ダメなものはダメなの!
って教えれば、
「考えなられなくなる」人づくりに貢献してしまう。

〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜

褒めて褒めて褒めまくって人を導けば、
褒められることで
脳内ホルモン(脳内麻薬)を
分泌させることに成功する。

そして、
それがないと
動けなくなるリスクを生み出す。

つまり、

褒め「依存」だ。

自分がつながっている、
自分が、
(ある程度)自分のマスターになれていれば、
外的な(褒め)要素に関係なく、
自分の意図で、行動し続けられるものだ。


誰しも褒められれば、嬉しいが、
褒めるのも褒めるヒトの勝手で
外側の事象。

それが自分の言動に影響することはない。


〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜

「みんなそれぞれに良かれと思って精一杯やってきた」
と、

目の前の状態がさっぱり結果していないのに、
その惨状を収めようとする説明は、

まるで、

「自分は悪くない」と弁明しているかのよう。

そう言っている本人が、
精一杯やっているアピールをしたいだけで、
本当は、ちょっとやましい気持ちがあったりする。

「みんな」の中には、
精一杯やった人もいれば、
そうでない人もいるだろう。
自覚できている人もいれば、
そうでない人もいる。

「自分は悪くない」に他人も動員させているが、
動員されている中に、
そう思っていない人がいるかもしれないことに
気づけていない。


わかったつもりで、丸く収めてるつもりの、
単なる、偽善的言いわけになっているだけ。


自分の未熟な言動の結果を、
何か自分達とは違うモノや事象、ヒトのせいにして、
「自分に改善&成長の余地がある」ことを
見えなくさせてしまっている。

「みんな」を共連れにすることで、
誰も否定できないように、
意図的にせよ無意識にせよ、
回避しているだけなことに気づけているか。

何事も「自分ごととして」捉えられている場合は、
「誰も悪くない」とはならないものだ。


責任の所在確認や、犯人探しをする、という、レベルの話ではない。


何事も自分の改善点、学びとして捉えられるから、
「”誰のせいでもない”せい」にする必要はない、
ということだ。


過去に、

私自身、「良かれ」と思って言ったこと、やったことが
相手にとって「傍迷惑」だったかもしれない、
そんな心当たりが何個もある。

意図した「自覚はない」が、それが癖もの。


単なる自分のアピールだった、
いかに外側優勢で動いていたか、

を振り返った。


そんな個人的備忘録。







貴方の愛のエナジーを有難う💖