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「やってあげているのに」は「やりすぎ」の警報

”やってあげている”の取扱説明書(記事)

もし、貴方が、誰か、友人やパートナー、そして、子供、家族、お客さんに尽くしすぎちゃう、とか、やりすぎちゃう、とかいうタイプだったら、”やってあげているのに” の取り扱い方について、少し楽になるかもしれないので、一緒に考えてくださると嬉しいです。

”やってあげているのに”の背景

まずは、”やってあげているのに”ってどういう時に出てくる言葉でしょうね。何も調べる前に、私がイメージしたのは、

「相手に期待している。」
何を?
「同じように、同じ分よりちょっと多く?
私が何かしてほしいことを言わずしてしてくれることを。」
な感じでした。

貴方はいかがでしょうか?

最近は、本当に情報が溢れている世の中で、ちょっと調べると、筆者の感覚でのそのテーマについての真実がごろごろ出てきます。

本当に豊か!

人の物差しと比べるわけではないのですが、

(いえ、ある程度は比べているのかもしれません。)

その感情経験を通して、自分なりのしっくりした見解を作れたら、
そのテーマについて、
今後もブレづらい「自分のものさし」が作れそうです。

”やってあげているのに”のサンプルで自分の物差しを

ということで、今回「やってあげているのに」の検索結果を、
みてみました。

ぱっと見だけでも、目だったキーワードがたくさん出てきました。

偉そうに」
「上から目線」
「息苦しさ」
「押しつけがましさ」

キーワードが絡む関連記事をいくつか抜粋します。

「屈折率300%」・・・

この記事は、「してあげてる」方の立場も書いているのが、趣深い。

「してあげてる」って言ってる人は自己肯定感が低いんだとか。。

それがいい悪いかの議論は別にして、そういう解釈があるということですね。

「してあげるは、対等な考えを破壊させる恐ろしい言葉」

そそそんなーーー、
そんなつもりで使って無かったのに。。。
と思うかもしれません。

この言葉を使うことで、マウンティング、「上から目線」の状態にいる、ということだそうです。

「してあげたという自己満足」が絡んでいるだろう、という解釈だからだそうです。

なるほどです。

そして、

恩着せがましい

確かにね、、やられている方が欲していない場合は、そう思うかもしれません。


「してあげている」については、このほかにも、仏教的解決法や臨床心理学的な考え方など、いろいろ出てきました。

興味があれば見てみてください。


やりたいことだけをやる。”尽くす”とかなし。

そして、以下の記事に、更に「なるほど」なフレーズを発見しました

「あげたい」は、実は、「ほしい」

なるほど、とどのつまりは、そういうことに繋がってゆくのかもしれません。

「してあげたのに」が出てきたら「やりすぎ」と心得る


結局は、自分がやりたければやればいい、やりたくなければしなくていい。

そしたら、やる方もやられる方もハッピー!そしたら、見返りとか、マウンティングとか、期待を裏切るとかと無縁の発想&行動になるのでしょう。

関係者みんなハッピーです。



個人的結論として、「してあげる」が、マウンティングと捉えかねない状況があるとすれば、それは、相手をコントロールしてしまうところにまで及びかねないテーマだということに意識的になろう!と思いました。

相手のコントロールに入り込んでしまうと、自分と相手の境目が分からなくなりがちで、先に綴った共依存という関係に陥りやすくなるからです。

以下、記事も、コントロール(支配)を意識したい親子関係の共依存を綴っています。

「してあげたのに」は、相手をコントロールし始めている状況、つまり、「やりすぎ」で「もう少し自分中心に過ごしていいんだよ」ってメッセージと捉えてみたらどうでしょうか。

「してあげる」はありがたい警鐘!「自分中心」に仕切り直すタイミング

最近、この言葉が脳内会話なり、自分の口から出てくると、いつも「この言葉、使っていい?」と違和感を覚えるようになりました。

そこで、今回のテーマにしてみました。

「してあげている」は自分を大切にしていない言葉、ということで、この言葉が出てきたら、自分中心に生活を切り替えてみるタイミング、というように過ごしてゆきたいものです。


貴方の愛のエナジーを有難う💖