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初めての安藤裕子 配信ライブ体験① あの年のステイ・ホームの頃

新型コ ロ ナの本格的な感染拡大元年となった2020年の7月19日、シンガーソングライター安藤裕子の、初めてのオンラインライブが開催されました。
これは、私が初めて見たオンラインライブでもありました。今回は、その時のお話です。

■あの頃のこと

この年の新型コ ロ ナウイルスの感染拡大は、全人類が初めて体験するものでした。まだ治療薬も開発されておらず、ワクチンも存在していませんでした。
有効な治療の手だてがなかったため、一度罹れば死に至る可能性が高い病と感じられ、日本中に重い緊張感が蔓延していました。罹るか、重症化するかは、まるで運のようでした。
3月に皆に親しまれていた志村けんさんが罹患し亡くなったことで、死は現実にすぐ傍にあることを、容赦されない怖さを感じました。

感染が限りなく拡大すると考えられたため、4月には、ロックダウン(都市閉鎖)はされなかったものの、「不要不急の外出を避ける」ステイ・ホームが叫ばれました。学校や保育所は休校となり、エッセンシャルワーカーを除く業種では、可能な限りリモートワークが推奨され、演劇や音楽等のイベントはすべて中止となりました。
「おうち時間」と呼ばれた時期の独特の空気感は、あの時に生きていた人の中に、これからも長く記憶されるのだと思います。

社会活動の大幅な抑制や人と人の接触を避ける行動様式により、日本では夏のはじめには感染が下火となりました。

一方、2月から「自粛要請」されていた大規模イベントの再開の目処はまったく立っていませんでした。文化芸術活動の断絶が長期的に及ぼす影響の大きさへの懸念が、特にアーティスト当事者から言われ始めた時期でした。
文化芸術活動が「不要不急」とされていることへの理不尽さとともに、文化芸術産業の休業により、携わる人の生活が成り立たない状況が生じ、関連産業の閉鎖や倒産も相次ぎました。


■配信ライブのこと

ライブの映像化は、それまでは、ミュージックビデオ作成や映像作品のための録画が中心だったのだと思います。イベントの一部分のライブ配信はありましたが特殊な例でした。配信のためのインフラの整備や配信技術も十分ではなかったのでしょう。初期のライブ配信は接続が不安定で、画面が止まったり接続が切れたりがよくありました。

そもそも、同じ場所での体験の共有と体感が中核のライブに対して、オンラインが代替になるとは考えられてはいなかったと思います。
だから、ライブ配信にお金を払う感覚はまだなく、ビジネスとして成立するかは未知数だったのがこの頃でしょう。

そんな中、春頃からイープラスStreaming+やZAIKO等がライブストリーミングサービスを開始したと記憶しています。
そして6月にサザンオールスターズが配信ライブを開催、10万人以上が有料視聴したことで、配信ライブ開催が現実的な方法として確立されたのではないでしょうか。配信ライブは、実際の会場の定員以上の視聴参加が可能であり、有効な興行が企画できれば、採算性の活路が見出せることを証明する出来事だったのではないでしょうか。

(つづく)

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文・写真:Ⓒ2020 青海 陽


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