文章を書くということ
前回記したように、小学3年生から6年生の思い出はほぼ無いに等しく、これからいくら当時のことを書き起こそうとしても担任が誰だったかすら顔も名前も浮かばず、エピソードなど到底思い出せそうにないので、無駄な努力はよそうと思います。
当時のことで唯一覚えていることは、本を読むのが好きで、文章を書きたいと思ったことです。
父も母も小説を読む人で、父は東野圭吾さんをはじめミステリー小説が好きな人で、母は子どもの頃に江戸川乱歩に熱中していたようですし、私を身ごもっているときに新堂冬樹さんの「鬼子」を読んでいるような人でした。妊娠中に一体どんなメンタルだったかは想像できそうもありません。
私が小学2年生のときに父が一戸建てを購入、前回の通りメンタルが最悪の時期でしたが、自分の部屋が新しい家に住み始めたことは当時の私としては嬉しいことでした。(前回、引っ越しすることはできないと書きましたが、その頃引っ越ししていました。ですが同じ校区内で状況は変わらなかったのでお許しください)
お子さんが2人以上いるファミリーが注文住宅を建てるときによくあるのが、「子どもが小さいときは10帖以上の大きな部屋で一緒に過ごさせて、大きくなるとともに本棚等で部屋を区切る」という部屋の作り方をすることがあります。
私の家がまさしくそういった間取りで、小学5年生あたりで、4つ下の妹と部屋を分けることとなりました。
床から天井まで届く大きな本棚を2台お迎えし、念願の自分の部屋ができました。
それと同時に父親が集めていた小説や漫画は私の部屋に移動されることになり、「身近に本がある生活」が始まったのです。
思えば身の回りにある本はミステリー小説ばかりだったので、当時弱冠10歳であったにも拘らず、東野圭吾さんや歌野晶午さん等のミステリー作家の本を愛読していました。当時ちゃんと意味をわかって読めていたかは不明ですが、たまに読み返しても断片的には覚えているもので不思議な感覚になります。
一番印象に残っているのは我孫子武丸さんの「殺戮にいたる病」。この作品の内容は15年経った今でもはっきり覚えています。おそらく教育には確実に良くないですが。
話は変わって、私は小さい頃から親に薬剤師になることを勧められました。
理由は全く覚えていないのですが、小児喘息の影響で病院にお世話になることも多かったため、関わりのある薬剤師を勧められていたのかもしれません。
でも自分の中ではっきりとしていることがありました。
僕は理系じゃなくて絶対文系だ。
これは何となく小さかった自分にも自覚があったと思います。
その自覚があったからこそ、自身で初めて持った夢は薬剤師でなく「小説家」だったのです。
父はパソコンに強い人だったので、家にパソコンが数台ある環境でした。そんななかである日ネットが繋がっていないノートパソコンを与えてもらいます。
今まで電子機器はゲーム機しかなかったため、自分で文を書き込むことができるパソコンを手にし、大興奮したことを覚えています。
今だったら思い出すのも恥ずかしい(実際には覚えてすらいない)、Word2003の文書上に、謎のイルカを避けながら、いっちょ前に縦書きで自作の小説を書いていた頃が大変懐かしいです。
当時は謎の行動力があったので、自分で調べて小さな出版社の小説大賞に応募したこともありました。1次審査だけでも通過したのが当時の自分にはたいへん嬉しかったです。(100%同情票ですが)
今でも文章を書くのは好きです。社会人になり、資料や、お客様へのメールを作成することも苦ではないですし、(職業のことは後々書きますが)契約書に記載する特約事項の文章を考えるのも得意でした。
ただ、当時の自分には決定的な弱点があったのです。
集中力がない。
当然のことですが、小説は長いです。
話を考えても、それを終わりまで書く集中力がないのです。
これは小説家に向いてないなと、小学校を卒業する頃には完全に諦めました。
夢がないまま小学生から中学生になり、隣の小学校の見ず知らずの同級生たちと同じ学校になります。
夢がないまま1年間を過ごしますが、中学2年生で新たな夢を見つけます。
その話はまた今度。
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