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掌編小説 | 手紙というもの | シロクマ文芸部

 手紙には重さが無かった。
 しっかりと封をして、裏面にシールを一枚貼った。それから、今月発売されたばかりの風鈴の絵柄の切手も貼った。それでも、やはり重さはない。きちんと二十五グラム以内に収まっていて、厚みも規定内だった。
 わたしはがっくりと肩を落とした。
 落とした肩は〝ゴトッ〟という音を立てて地面に転がった。
「無様だなあ」
 わたしは角張ったその肩のことを、もともとあまり好いていなかったが、改めてこうして真上から見下ろすと、ますます嫌になった。
 嫌だと言ってもわたしの肩だ。放っておいて誰かが拾いに来るわけでもない。わたしは仕方なく、その肩を拾うために地面に膝をついた。肩を落とした状態で肩を拾い上げることは至難の業だ。こんなことになるなら、初めから肩なんて落とすのではなかった。わたしは悔しくて地団駄を踏んだ。いや、踏んでいない。わたしは今跪いている。そして肩を落としていて、地団駄を踏める態勢ではなかった。
「どなたか、肩を拾ってくださいませんか」
 わたしは大きな声で呼びかけた。
 いくら都会の外れだと言っても、そこはやはり都会の外れなのだ、田舎の外れではない。誰か来てくれるはずだ。しかし、時間が悪かった。今は丑三つ時。草木も眠る深夜二時だ。
 助けを求めるわたしの声は何処かに反響してわたし自身に返ってくるのみで、誰からも反応をもらえなかった。
「反応をもらえないって、悲しいんだ」
 そうだ。わたしは思い出した。そもそも手紙のことだ。手紙に重さがなかったことが発端だったのだ。
 あの手紙には、わたしが吐き出したいすべてを綴った。
 日頃の不平不満、自慢話、恋バナ、自身のスリーサイズ、受けてみたいプロポーズの言葉、逆にこんな言葉で告白されたらひいちゃうよ、ってことも。全部。
 それなのに、どうせこれを送ったところでアイツは反応を示さないだろう。
 さらに悪いことに、わたしの手紙は全て規定内に収まってしまっているのだ。まるでわたしのありったけの想いなど、いかにも薄っぺらいとあざ笑うかのように。
 わたしは、いっそこんな手紙は破り捨ててしまおうと思った。そう思うと俄然やる気が湧いてきて、すっくと立ち上がった。
 わたしはやけに足が器用なことを思い出し、ひょいと肩を拾って肩に乗せた。いや、肩であるべき位置に置いた。長年いかっていた肩は、やや内に寄せて置かれたせいか、こじんまりと収まった。
 ようやく自由になった上半身で、わたしはいよいよ手紙をめちゃくちゃに破いてしまおうと思った。
 だが、それは出来なかった。手紙というものはそういうものなのだ。薄いとか軽いとか、そういう物質的な話ではないのだ。
 悲しいかな、手紙というのは、それ特有の重さが、元来備わっているものなのだ。
 手紙というものは。
 あゝ、手紙というものは。




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