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十二月の桜 (短編小説)

十二月に入り、年寄りたちは騒いでいる。
敷物はあるか、酒は熱燗にしろ。火鉢を運べ、毛布も数枚あったほうが良い。とにかく大騒ぎだ。
そんなに寒けりゃ、わざわざ外になんて集まらずに、暖かい家の中で世間話に花を咲かせりゃあいい。それでも、皆各々分厚い上着を着て外へ出ていく。

いつからか、と言ってもここ十年ほどだが、十二月に桜が咲くようになった。
初めて咲いた年のことを、正直よく覚えていない。その頃、まだ少年だった私は、桜が何月に咲こうがどうでも良かった。
だけどその年、妙に静かになった家の中と、ひそひそ話す大人たちの険しい表情、男たちの苛立ちを見た。あの年の奇妙な緊張感を、よく覚えている。

それから、また季節は巡って十二月を迎えた。
やはり桜は咲いたのだ。そして、散った。
初めこそ桜の存在は、雪景色に幻想的な世界を作り出した。
しかし、やがて雪解けと重なり、べちょべちょと土に混じる汚れた桜の花びらは、人々から疎まれる存在になる。

来年からは、お清めをしよう。

誰が言い始めたか。十二月の初旬には桜の下で花見が行われるようになった。
「この場所が良いだろう」
権力者の言葉に逆らうものはない。
集落の中央に数本立つ大きな桜の樹の下に一同が集まり、かつて春に行われていたような花見を厳かに行うようになった。
寒くても文句は言うまい。杯は交わすが言葉を慎む。

何が楽しい。何をしている?

私には不思議だった。やたらと年配者が多いことが気になる。普段は家にいるような者も、このときばかりは集って粛々と会に参加している。

「なぜ無理をしてまで集まるんだ」
私はある時、父代わりの男に尋ねた。
「しらなくていいことだ。なにもお前が困ることはない」
男がついたため息は、寒空の下、もうもうと煙のように漂う。
「俺たちがこの集落を仕切る頃にはこんなしきたりはなくそうと思う」
そう言った私を、なんとも言えない目で男が見ている。
なにか言いたくて、抑えている。

しばらく花見の席で、酒を酌み交わす年配者たちを観察していたが、この静かな宴会に顔を出さない男がいることに気がついた。
変わり者の男だった。この集落のなかでは腕力のある男で、酒飲みであるのにこの場に居ないことが不自然だった。

私は男の家を訪ねることにした。
数分歩くと男のボロ屋に付き、戸を叩いた。
返事がないので声をかける。
「今日は花見だが」
男が中に居る気配がある。ことっと何かを床に置くような音が響いた気がした。
入る、と言って入口の戸を開けた。
かび臭い暗い部屋で、男が酒瓶を抱えて、ひとり飲んでいた。

「外で飲むのは馬鹿らしい。お前もそう思うだろう」
男が言った。私は尋ねた。
「寒空の下の馬鹿馬鹿しい花見をここの人間が続ける理由はなんだ」
男は顔を険しくして答えない。酒を煽って、黙っていた。しかし、しばらくすると立ち上がった。戸口に立ち、外を眺めた。
「十二月の風が吹く」
男は小さな声で何か言った。私は男の隣に立った。
「なんだって?」
「十二月の風が吹くんだとさ」
「それがなんだ」
「その風を感じることは、信じられないほど、貴重なことらしい。そして」
男は大きく喉を鳴らして唾を飲んだ。
「そのことを信じろと、皆に言って回った女がいたな」
私は男のくすみきった目の玉を見た。
「何を信じろって?」
「さあ」
男はその場に座り込んだ。
「何の話だ」
私には訳が分からなかった。
「西洋で言う、魔女狩りみたいなものじゃなかったか」
男は暗い声で言う。虚ろな目は床を彷徨い、手は小さく震えている。
「この集落には女が生まれなかった。唯一の若い女は気がふれてる。そうなったらあとは差し出すのみ」
男は一度身震いした。そして酒瓶に近づき、また酒を煽った。
「生贄を出したのか。この集落の女を?」
私は静かに、落ち着いて尋ねた。
男は自分の右手を見ている。人よりも大きな手のひらに、じっと視線を落としたままだった。

「女の言ったことが本当だったと気づいたんだよ。この地域では春にしか咲かない桜が、十二月に咲くようになるって。だから、年寄りたちは後悔しているんだ」
男はそう言って、私に背を向けて項垂れた。
「誰よりも後悔していると言いたげだな」
震えている男の背中を見ていた。
重くかび臭い匂いに、今更気分が悪くなった。
そのとき、戸口から奇妙な風が吹いた。
体を芯から冷やすような風。それでいてふわっとあたたかい。まるで誰かの吐息のような湿った暖かさだった。




[完]


#シロクマ文芸部
#短編小説



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