少し苦くて辛い思い出

小学校4年の夏 24時間テレビを見ていた時のこと

父親に何らかの理由で怒られた弟が怒りハサミを投げました。弟当時9歳。普段からDV気味の父親、お酒が入っていたこともあり弟に強く当たったそうです。勝手口の外に出された弟。私はコップ一杯の麦茶をこっそりと渡しに行ったのを覚えています。その夜 痺れを切らした母親が実家へ行くと言い放ちました。一旦冷静になるためだろう私はそう思っていました。また明日のお昼には家に帰ってきて普段通りの生活に戻るだろうと思っていました。母親は「おじいちゃん家に行こう」私と弟をタクシーに乗せました。タクシーが進み出そうとした時父親が車の外から「家に戻って話し合おう」と母親に訴えかけていました。すごく必死そうでした。タクシーの運転手さんが事態を察し「そういうこともあります」と空気を和らげてくれましたが母親は「そういうことじゃないんです」と誤魔化していました。私はクマのぬいぐるみ、弟は恐竜と犬のぬいぐるみを抱えて初めてのタクシーに少しワクワクしていたのを覚えています。

それからのことはあまりよく覚えていません。父親と離婚しおじいちゃん家に住むことになるのですが、猛スピードで進んでいく状況を整理して受け入れる時間がありませんでした。引越しの準備をしていた時 父親が「本当にそれでいいの?」と私に問いかけてきたのを覚えています。なんと言ったらいいのか分からなくてなにも返事が出来ませんでした。

それからシングルマザーとなった母親は昼も夜も働きに出かけました。一緒に住んでいたひいおばあちゃんの具合も良くならず、介護に家事、仕事に追われる日々。母親と弟とつつく鍋、母親が飲む焼酎の香り、灯油ストーブ独特の匂い、母親の人生の中でもかなり辛くて過酷だった数年だったけど私には18年間生きてきた中でいちばん安心できて温もりを感じられて楽しかった数年でした。

引越してから半年後、ひいおばあちゃんが亡くなりました。母親と同じくらい大好きでした。亡くなったその日も母親は遅くまで仕事をしていて立ち会えませんでした。その日から私は人には寿命があることを改めて感じて、眠りにつく前に母親が死んだらどうしよう弟が死んだらどうしようと考えるようになりました。今でも時々考えてしまいます。ひいおばあちゃんが亡くなってから数日はひいおばあちゃんが夢に出てきたこともありました。

それからまた何ヶ月かしたある日、母親に「新しいお父さんを見つけた、妹ができた」と告げらます。

ここからわたしの人生と心がちょっとずつ狂い始めるのです

が、また次回。

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