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【短編小説】A rolling stone gathers no moss 第6話「six」

(あらすじ)
36歳の崖っぷちボクサー井ノ坂いのさかは、休養のため訪れた故郷でスマホを落とす。
拾い主に電話が繋がり安堵する井ノ坂に、スマホの向こうの少年は、奇妙なことを語り始める──。

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 スマホ画面の向こうから差し込んでくる目が眩むような光。頭上にはギラギラした夏の太陽が浮かんでいるのだろう。少年は、日焼けした腕で額の汗を拭いながら、真剣な眼差しを送ってくる。少年の側からは、youtubeの試合映像が見えているのだ。
 井ノ坂は、過去の試合は全て再生リストに保存していた。勝っても、負けても、必ず見直して課題を見つける。それを途方もない練習量の中で、毎日少しずつ修正していった。
 最もそれで勝ちが保証されるわけではない。それでもそうして一歩ずつ歩みを進めていけば、かつて憧れたボクサーのように自分もなれるかもしれないと思っていた。

 少年が再生する試合の音が井ノ坂の方まで聞こえてくる。

 『 井ノ坂、ダウン! 』
 『 しかしまだ目は死んでいません! 井ノ坂、賢明に食らいついていく…! 』
 『 右ぃ! 右を返した! 』

 アナウンサーの熱のこもった実況。観客の声援。それらが聞こえる度、少年もまた声をあげた。

 『頑張れ! 頑張れ! いけぇ! そこだぁ!』

 『 ――きまったぁぁぁ! 井ノ坂龍一郎、絶望的な状況から大逆転! 起死回生のKO勝利ぃぃぃい! 』

 『や、やったぁ! やったよ! 勝ったぁ!』

 未来では、とうの昔に終わった試合を少年は生中継でも観ているかのように歓声をあげる。
 どれくらいそうしていただろうか。井ノ坂もまた、夢中で試合を眺める少年の眼差しから目を離せなかった。

 ひとしきり映像を見終えた少年は、余韻に浸るように言った。

 『かっこよかったぁ...。何度倒されても、立ち上がって、勝っちゃうんだもん』
 「ははは…昔憧れた人の影響かな」
 『おじさん、俺と名前同じなんだね。俺もおじさんみたいになれたらなぁ…』

 嫌でもなるさ。
 そう思いつつも、井ノ坂は、なんだか照れくさかった。

 『ねぇ。これって一番下に表示されてるやつが、新しい動画?』
 「そうだけど...それは...」
 『これも観よっと』
 「あ、ちょっと待て――」

 井ノ坂が止めようとした時には、もう遅かった。 
 1番新しい動画。それは、この前の大晦日の試合映像だ。
 画面の向こうで、あの夜のゴングの音が鳴るのが聞こえた。

 『 井ノ坂、またもダウンだ! 』
 『 それでも、立ち上がる…! 井ノ坂龍一郎、これまで幾度もピンチを乗り越えてきた…! 今夜も我々に奇跡を見せてくれるのでしょうか…! 』
 『 足がふらついている…! 左ぃ! またダウンだぁ! 』

 レフェリーの10カウントを数え出す声が聞こえる。

 『 もう駄目だ…こんなの…見てられない… 』

 解説者が声を震わせるように、つぶやいた。

 『 タオルだ! 今タオル投入ぅぅぅう! 』   

 食い入るように見つめていた少年の目がみるみるうちに赤くなる。やがて大粒の涙が溢れ出した。

 『ひっ...ひっく...』
 「おい…泣くなよ」
 『だってぇ…ぐすん…うぅぅ…』
 「泣くなって…まったく“ 情けない奴 ”だな…」
 『うぅ…ひどい…』

 ――違う。今のは、俺に言ったんだ。

 『ぐやしい…悔しいよぉ…』 

 ――悔しい。

 泣いている少年が映るスマホ画面に、ぽたぽたと雫が落ちていった。
 今度は雨か。そう思った井ノ坂の頬には、温かい物が伝っていた。
 打ちのめされたあの日から、一度も流していなかった涙がとめどなく溢れていた。

 その夜、井ノ坂の実家に電話があった。

 『おお。良かった。心配したんだぞ。お前のケータイ、全然繋がらないじゃないか』

 電話の主は、所属するジムの会長だった。

 「すみません。スマホを落としまして…」
 『そうだったか。いや、それよりな、お前に伝えておかなきゃならんことがある』
 「何です?」
 『来てるぞ。お前に再戦の申し入れが来てる…!』

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