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煩悩を払いに山寺に行く【研究者日記】

私的体験ですが、山寺でマインドフルネス的な経験をし、最終的には煩悩にまみれましたという話をします。

(動画はこちらから、映像だけです。)

山形市の山寺に行ってきました。

「閑さや岩にしみ入る蝉の声」と松尾芭蕉が句を詠んだ場所です。

階段を登り、山頂の寺を目指すのですが、その階段を踏み締めるたびに、煩悩が減っていくということだそうです。

煩悩とはひとが生きるときに感じる苦しみの原因になることで、欲望や欲求などを表していると思われます。

人間が生きるときに、煩悩はつきもので、欲はつきません。

さて、参道はなかなか厳しい道のり。千数段あるという途方もない階段。いつ辿り着くのだろうか、なぜわたしは階段を登らねばならぬのか、なんで山寺に行こうと言ってしまったのか。思考は尽きないわけです。

からだもなかなかしんどくなってきて、ふくらはぎの裏の筋肉を全力でつかっているが、それももうしんどい。。帰りたい。

と、ふとした瞬間から、足の裏の一歩一歩、踏み締めて、階段を登る感覚にだけ注意が向くようになりました。

考えも何もない、ただただ階段を登る。よいもわるいも何もなく、足の裏の踏み締める感覚にだけに目が向いている

ああ、きっとこの感覚の瞬間が煩悩から離れる瞬間なのだろうと、今振り返ってみると感じるところです。

足の裏だけではなく、緑の景色、せみの岩の雄大さ、そして自然の音の中に自分がいる感覚。これはとてもいい時間だったのだろう。

そうこうしているうちに無事に山寺に到着。

お参りして、良い景色をみて、達成感に浸るわけです。登り切ったぞう!おれはやったなどなど、ポジティブな考えが出てきます。あの苦しみがもうないぞう。

そして、達成感に浸ったその瞬間も含め、欲というものが戻ってきます

山頂から降るときに、ふたたび煩悩は戻ってくるそうです。

腹が減った、サウナ入りたい、横になりたい、欲求についての考えは尽きません。

ツァイガルニック効果を考えると、結末を迎えた事柄についての興味は薄れてしまいます。また区切りを迎えると、どうやら人間はお腹が空いたと認識するようです

降った後は、観光地の儀礼にしたがい、観光街のお蕎麦屋さんにて板盛りそばを食べて、山形のサウナに入りととのうという煩悩にまみれまくった休日を過ごしましたとさ。

常に煩悩を払うというよりも、そういう時間をもつということが私たち一般人には重要なのかもしれません

そういうことに集中する時間、それはマインドフルネスというのかもしれないけれども、なにかに集中して、欲求を忘れてみる時間はなかなかメンタルヘルスにも良さそうかなと思いました。

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筆者 あおきしゅんたろうは福島県立医科大学で大学教員をしています。大学では医療コミュニケーションについての医学教育を担当しており、臨床心理士・公認心理師として認知行動療法を専門に活動しています。この記事は、所属機関を代表する意見ではなく、あくまで僕自身の考えや研究エビデンスを基に書いています。

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