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(o´Д`)=з 疲れた・・・しかし作る

今夜は、豚バラとキャベツの照りマヨ炒めを作りました。
惣菜の元を使ったアレンジ料理です。
昨日と同じく材料消化の一貫です。

照りマヨの元も、いざと言う時に買ったものの使う機会がなく、数ヶ月放ったらかしだったので、無理矢理に組み込んでみました。
キャベツもそろそろ使わないとやばい、豚バラも冷凍して一月になろうとしている。
こうなったら余り物を混ぜ合わせてなんとかしてみよう、そんな浅はかな魂胆が丸見えの一品となりました。

個性を入れたのは調理の際、キャベツを炒める時に酒を加えた点くらいです。
他にも材料の備蓄はあるんですが、とりあえず優先的に捌いていかないといけない順番が漠然と設けられておりまして、今回はこういう組み合わせがベストだろうという判断になりました。

結果的にはなかなか美味しくできたと思います。
追いマヨをすると更に美味しくなり、満足感が高まりました。

ちなみに今日は朝から自転車で20分の所にある川に行き、昼過ぎまで息子と遊んでいました。
性格には生き物探しに付き合っていた、という方が正しいですが。
これにより午前中で精も根も尽き果てており、果たして晩に料理なんか出来るのだろうかと危惧していましたが、目的がはっきりしている場合は行動し始めれば早いもので、さっと作り追える事ができました。
今日のようなコンディションでも成果を上げられるのは、間違いなく実力が向上しているからだと言えます。
在庫の把握は元々できていましたが、その組み合わせ方やタイミング等、以前はできなかった局面でもクリアを可能にする腕が備わったのです。
やはり継続は力なり、それは間違いありません。
そしてそれは、少なからず適性があるという証拠でもあります。

先日、妻と字の綺麗さの話になりました。
妻は「習字を習えば字が綺麗になる」という認識でした。
それに僕は反論しました。
「字のセンスがある人が習字をしているだけ。じゃあ字の汚い人に"あなた習字してましたか?"とは聞かないだろ?綺麗な人が習字習ってましたとは言うが、その反対はない。何故なら字の汚い人は字に関心がないから例え習っていたとしてもそんな事を人には話さない。そして字の綺麗さは後天的なものではなくセンス。字の汚い人はいくら練習してもある程度しか変わらないし、そもそも書くのが苦痛だから習いも続かない。嫌々書かされ続けた人は大人になれば字を見るのも嫌になるはず。」
まあ、僕は統計を取ったわけではないので適当にほざいてるだけですが、これを言ったら妻も納得してくれました。
でもこれは字だけではなく、なんにでも当てはまりますね。

ギターでもそうです。
才能がある人だけがずっと引き続けて上手くなる。
才能がない人は興味を示さない。
たまに周りに触発されて買う人もいますが、そもそもセンスがなくて面白くなくすぐやめてしまう。
教本等は無意味。
できない人を救う手段はない。
好きなら勝手に上手くなる。

だから向いてないと思った瞬間になんでもやめるのが正しいのです。
いけると思えばとことんやれば良い。
仕事でもそうですね。
糞だと思ったらやめればいいんです。
会社なんかいくらでもありますが、自分と家族は一つしかない。
人質に取られるかのような洗脳を受けるブラック会社は絶滅するべきです、今すぐ。
嫌なことをやり続ければ心は壊れます、意外と簡単に。
そして壊れたものはなかなか治せないし、治らないかも知れません。
そもそも洗脳するようなクズがこの世から消えてくれれば一番良いですね。
クソ社長は首を括って先にあの世で待っててくれれば世の中が平和になります。

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