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立ち姿を見て学ぶ /ファシリテーション一日一話

千葉に住むファシリテーター仲間の教師「たけちよ」と20年ぶりぐらいに「アイスブレイク100連発!」をご一緒した。前泊しての打合せ。木更津キャッツアイで有名らしい遊歩道から見た夕陽と富士山はとても美しかった。たけちよがオススメする中華屋には「アイスブレイク100連発」のチラシが置いてあり、僕は人生で初めて自分のチラシが置いてある中華屋で食事をした。これは、彼が地元にきちんと根ざして、人間関係を築いてきている証左だ。中華屋の女将さんが「私も広報手伝って、何人もLINEで誘ったんだよ」とおっしゃっていた。そんなありがたいことは、ない。最高に美味い餃子とあんかけ焼きそばとオリジナル中華スープに舌鼓を打った。

木更津の中華屋「龍」で、大谷選手のスポーツ新聞に並ぶアイスブレイク100連発のチラシ

太い柱になる

たけちよ夫妻の新居にもお邪魔した。美しい漆喰と、新月伐採の太くて立派な大黒柱がどどーんとあるのが印象的で、何度もすべすべと触ってしまった。ずっしりと存在感のある柱は、そばにいる人の心の安寧を生む。出会った当初はたよりない学生だった彼が、しっかりとした大きな柱になっているような感覚にも重なって、とても頼もしかった。夫婦は心を込めた朝ご飯を用意して、もてなしてくれた。

会場を広く使って様々なアイスブレイクを体験する1日

異分野が混ざって学ぶ

「アイスブレイク100連発」は、自分が持っているアイスブレイクを次々と出し合い、惜しみなくネタを交換しあうワークショップだ。20代のころ、よくこのワークショップを主催し、色々な分野のファシリテーターの姿を見て学んだ。今、僕が環境・国際・福祉・まちづくり・ビジネス・NPO・教育・組織開発・チームビルディングといった、ジャンルレスで仕事が出来ているのは、この時代に各分野の一流のファシリテーター達から、エッセンスを学んだからだと、今になって思う。感謝の一言に尽きる。

それらの体験から学んだアイスブレイクは、一冊の本にしておいたほうがいいだろうと思ってまとめたのが「アイスブレイク・ベスト50」という本だ。販売当初から10年以上経った今も継続的に売れていて、今年、10刷を達成した。後にコロナ禍になって、オンライン会議にのめり込むようになってからは、追加で「オンラインでもアイスブレイク・ベスト50」という書籍も出させていただいた。合わせて100のアイスブレイクのネタがまとまった著作を出すことができ、とてもありがたく思う。どれも僕が考案したアイスブレイクではない。どなたかに教わったものを書いただけだ。


選び抜かれた前菜を出せているか

アイスブレイクというのは、単なるふれ合いのゲームと捉えたり、導入前のウォーミングアップと捉えることも可能だが、実は奥の深いものだ。たくさんある持ちネタの中から、どれを選ぶのか。今回の場と参加者に相応しい一品を選び、かつ、今日の本題にリンクするように適切なアレンジを加える。コース料理の前菜にあたる部分のアイスブレイクは、その後「この料理人のコースなら安心して楽しめそうだな」とテーブルについて頂くためにも、心血を注いでつくるべき小品だと思っている。「まぁなんか、この辺のヤツをテキトーに出しときゃいいだろう」と軽い気持ちで選んで、何度も手痛い失敗をしてきた。

一期一会。その場、その場を丁寧にとらえた仕事を積み重ねたい。もしも自分が教育分野の人間であれば、その教育を通じてどのような社会をつくりたいのか、どのような人を育てたいのか?という思いや哲学が通底するアイスブレイクをチョイスしたい。実際、そういう考えで、アイスブレイクを披露してくれた参加者もいた。そのアイスブレイクは、いつか、どこかで見たようなやつなのだが、自分たちが志す教育方針に基づいて、絶妙にアレンジが効いていた。ここが、ミソだ。神は細部に宿る。全くの別物になる。

使い込まれたアイスブレイク

今回は、主に教育分野にいる皆さんから、各地の教室で使い込まれたアイスブレイクを30近く教わることができた。どれも可能性に満ちた素晴らしい品々であり、いくつかのものは、身につけ、いつか実践したいと思った。どの分野にも、その世界を極めんと思って努力している方がいて、その方が、自身の立ち姿を見せて下さるのは、本当に深い学びとなる。そうか、そうか、と膝を打ちながら一日を過ごせた。

赤子をつれたパパも一緒に参加して体を動かして学ぶ。★印ができるかな?

立ち姿を見て学ぶ

結局のところ、誰かの立ち姿を見て学ぶ、これに尽きるんじゃないかと思う。出された小品を一口ひとくち、じっくりと味わい、自分の五臓六腑に収めてみる。どんな感じがするかな。どんな気持ちがこもっているかな。どんな工夫がされているのかな。どんな言葉づかいでそれを伝えているのか、などなど…

その上で、いざ自分が場を持つことができたなら、やおら庖丁を握り、素材を厳選して下ごしらえを施し、フライパンや鍋をふるってつくってみて、自分なりに調理してみる。ちょっとドキドキしながら、こっそりお客さんの反応を確認したり、感想を伺いながら、自分なりのレシピを磨き上げてゆく。そういうプロセスを通じて学ぶのが、僕には合っているようだ。

最近、僕はファシリテーションを教えるのがどんどん下手になっていると思う。なにか、あれこれ丁寧に順序だてて教えるのは、どうやら苦手らしい。だんだん出来なくなってきている。僕がやるべきことは、ファシリテーションを教えることではなく「ファシリテーターとしての立ち姿」を見せること、じゃないかと感じている。なので、ファシリテーション講座の依頼を受けても、丁寧なレクチャーはほとんどできず「ファシリテーターとして立つ」という感じになってしまっている(まぁ、大抵の僕の顧客はそれでOK、それこそやってくれ、という感じなのだが)。


夕陽をバックに二人でとった一枚。お互いの変化を確認できる20年越しのお付き合い

たけちよ、また10年後ぐらいに、お互いの立ち姿を見せ合おう! まぁ、もうちょっと早くてもいいか。

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