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憂世で生きる智慧

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楽しき時は楽しく、楽しからざる時も楽しく(日々是好日) 生きとし生けるものが幸せでありますように。 #憂世で生きる智慧 #仏教 #学び #最近の学び #気づき #日々の気づき #…
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青樹謙慈(アオキケンヂ)自己紹介

Noterのみなさま、こんにちわ。アオキケンヂと申します。 先日(2024年5月初頭)からnoteを始めてみました。 『憂世で生きる智慧(うきよでいきるちえ)』を執筆しています。 自己紹介極めて内向的で人見知りが激しいです。 世渡りが下手で、社会性がないことは自覚しています。 敏感で感受性が強く、いろんなことが気になります。 誰かのちょっとした発言(文章)、言葉づかいにも敏感に反応して、いつももやもやしていました。それで、そのもやもや感を、チラシの裏になぐり書きして言語化し

無疑曰信(むぎわっしん)【仏教】

疑い無きを信と曰う 不疑(=疑わない)と無疑(=1μも疑いは無い)とは天地雲泥の差。 疑いが全く無くなる迄、批判精神を働かせないと無疑にはなれない。 解ってなければ疑いは付いて回る(いつもモヤモヤした信仰) 『不疑』から『無疑』には絶対到達出来ない。 「不疑」は単に疑わないことを意味するが、それはまだ疑念の余地がある状態。例えば、ある事実を信じるが、その背景や証拠に対して完全に納得していない場合、「不疑」の状態にあると言える。これは、まだどこかに「モヤモヤ」が残っている。

真の無知とは、知識の欠如ではない。学習の拒絶である/カール・ポパー【憂世で生きる智慧】

公正な文化では、失敗から学ぶことが奨励される。 これは、どんなに優れた組織であっても、ミスは避けられないという現実を受け入れることに他ならない。だが、重要なのはミスそのものではなく、そこから何を学び取るかだ。失敗を恐れず報告することで、個人やチームが成長し、組織全体が進化する。 失敗を受け入れる文化を育むためには、まず早計な非難をやめることが不可欠だ。ミスをした人を即座に責めるのではなく、その原因を共に分析し、次にどう活かすかを考えるべきだ。これにより、個々のメンバーが安心

非難の文化を問い直す:建設的な批評の重要性【憂世で生きる智慧】

恥を知れ、恥を!非難だけなら政治屋でもできる。 現代社会において、公人や政治家への非難は日常茶飯事のように見られます。特にメディアの報道を通じて、彼らの失敗や誤りが大々的に取り上げられ、時には根拠のない非難も多いです。こうした非難は、公的機関で起きるミスを貴重な学習の機会と捉えるべき場面でも、政治家の能力不足や職務怠慢の証拠として片付けられてしまうことがしばしばです。 このような風潮の中で、公人や政治家はミスを犯すことへの恐怖感を強める一方で、大きな認知的不協和を抱えるよ

親しき仲にも礼儀あり【憂世で生きる智慧】

人間関係において「お互い何でも言える関係」が理想だと思うなら、それは誤解かもしれない。ツラの皮が厚い、あるいは鈍感な者同士なら、それでもなんとかやっていけるかもしれない。しかし、繊細な性格の人たちの間では、このような関係は難しい。なぜなら「お互い何でも言える関係」というのは、単に自分が言いたいことを相手にぶつけるだけの関係にすぎないからだ。 繊細な人々は、他人の感情や反応に敏感であり、自分の言葉が相手にどのような影響を与えるかを深く考える。だからこそ、礼儀や気遣いが求められ

人格の世界・霊格の世界【憂世で生きる智慧】

見上げたり見下したり:幸福を求める人間の迷走 現代社会は他人の評価基準に縛られがちだ。肩書、学歴、知能、カネ、血統、思想、宗教。これらは一見、成功や幸福の指標に思える。しかし、これらの基準が心の平安や喜びをもたらすことは少ない。なぜなら、これらは他人の目を意識した「外的評価」に過ぎないからだ。人は自らを他人の基準で測り、見上げたり見下したりしながら、本当の幸福を見失ってしまう。 他人の評価基準:外的評価の罠 「人格者とはどうあるべきか」という問いに対して、他人の目を意識

主体と客体の境界など存在しない/シュレーディンガー【憂世で生きる智慧】

シュレーディンガーのこの言葉は、量子力学の奥深さと哲学的な洞察を端的に表現しています。主体と客体、つまり観察者と観察対象の境界が曖昧になることを示唆しているのです。 これは、量子力学がもたらす非直感的な現象を強調しています。 例えば、シュレーディンガーの猫の思考実験。 箱の中の猫が、生きている状態と死んでいる状態が重なり合った「重ね合わせ」の状態にあるという奇妙な概念を提示しました。この考え方は、物質世界の基本的な理解を揺るがし、観察行為自体が現実を形成するという考え方を後押

クソリプする人、読解力ないっていうより認知歪んでんじゃね?説【憂世で生きる智慧】

クソリプと認知バイアスこの動画では、クソリプが生まれる背景について、認知バイアス(認知の歪み)が大きく関わっているという視点から解説されています。 一般的には、クソリプを送る人々は「読解力がない」「国語力がない」と一蹴されがちですが、この動画ではそれよりも認知バイアスが影響していると指摘されています。 0:19 認知バイアス(認知の歪み)とは 4:34 1.敵意帰属バイアス 8:14 2.エコーチェンバー現象 9:34 3.ダニングクルーガー効果 1.敵意帰属バイアス 敵

トップレベルの物理学者たちは「純粋意識」の存在を確信している/奥山実牧師の言葉【憂世で生きる智慧】

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奥山実牧師名言集【憂世で生きる智慧】

建前と本音の狭間で揺れる教育現場の実態 アインシュタインの神:スピノザの哲学を信じた理由 非聖書的になる危険性:謙遜を学ぶ重要性 日本人は真理より他人の目・人間関係 文壇の中の欺瞞:夏目漱石と偽キリスト教徒たち [憂世で生きる智慧]記事一覧 #憂世で生きる智慧 #学び #最近の学び #気づき #日々の気づき #今日の気づき #名言 #格言 #ことわざ #人生 #今日の名言 #奥山実 #キリスト教

組織はいつか全て無能な集団となる/ピーターの法則【憂世で生きる智慧】

ピーターの法則は、1969年にローレンス・J・ピーターによって提唱された。ピーターはこの法則をユーモラスかつ皮肉を交えて解説し、多くの読者に衝撃と納得を与えた。 ピーターの法則によると、組織内の個人はその無能レベルに達するまで昇進する。つまり、最終的には全員がその職務に不適格な状態で留まることになる。 この理論が示唆するのは、時間が経つにつれて、賢明であるはずの集団が不可解な失態を犯す理由だ。 ピーターの法則は、組織が無能な集団に変貌するメカニズムを暴く一方で、無能レベル

プロフェッショナルの条件【憂世で生きる智慧】

プロとは他の人が知らない、深い知識を活用して成果をあげる人 プロは学び続けなければならない 成果は自分の強みからしか生まれない 弱みを克服してもただの人 ピーター・ドラッガーの名言には、プロフェッショナルとしての道を歩む上での重要な要素が凝縮されている。 プロとは、他の人が知らない深い知識を活用して成果を上げる人のことだ。この深い知識とは、単に教科書を丸暗記することではない。経験と洞察を通じて培われた実践的な知恵である。 プロフェッショナルの道は一度得た知識に安住す

器量と度量【憂世で生きる智慧】

器量とは、まるで棋士が一手先を読むように、状況を冷静に見極め、適切な対処をする能力だ。これがリーダーに求められる理由は明白だ。リーダーはただの地位にとどまらず、絶えず変動する環境の中で、最善の判断を下すことが求められる。その判断が、組織全体の命運を左右することもある。 一方、度量はさらに奥深い。度量とは、心の広さや深さを表し、自分に向けられた批判や異なる意見を、ただの反発で終わらせずに耳を傾ける姿勢を意味する。この心の広さこそが、リーダーとしての真価を問う部分だ。なぜなら、

両論併記問題【憂世で生きる智慧】

日本のメディアはしばしば、「両論併記」の原則に従い、オピニオン欄などで異なる意見を掲載することを好む傾向がある。これは、公平さを追求しようとする合理的な行動のように見えるが、その結果、予想外の悪影響をもたらすこともある。政治社会学者の堀内進之介氏は、著書『善意という暴力』でこの問題をとりあげ解説している。 両論併記の問題点1.均衡の錯覚 両論併記は、対立する意見を公平に紹介することを意図している。しかし、この方法は、科学的事実や広く認められた真実と根拠のない主張を同等に扱