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憂世で生きる智慧

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楽しき時は楽しく、楽しからざる時も楽しく(日々是好日) 生きとし生けるものが幸せでありますように。 #憂世で生きる智慧 #仏教 #学び #最近の学び #気づき #日々の気づき #…
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青樹謙慈(アオキケンヂ)自己紹介

Noterのみなさま、こんにちわ。アオキケンヂと申します。 先日(2024年5月初頭)からnoteを始めてみました。 『憂世で生きる智慧(うきよでいきるちえ)』を執筆しています。 自己紹介極めて内向的で人見知りが激しいです。 世渡りが下手で、社会性がないことは自覚しています。 敏感で感受性が強く、いろんなことが気になります。 誰かのちょっとした発言(文章)、言葉づかいにも敏感に反応して、いつももやもやしていました。それで、そのもやもや感を、チラシの裏になぐり書きして言語化し

非難の文化を問い直す:建設的な批評の重要性【憂世で生きる智慧】

恥を知れ、恥を!非難だけなら政治屋でもできる。 現代社会において、公人や政治家への非難は日常茶飯事のように見られます。特にメディアの報道を通じて、彼らの失敗や誤りが大々的に取り上げられ、時には根拠のない非難も多いです。こうした非難は、公的機関で起きるミスを貴重な学習の機会と捉えるべき場面でも、政治家の能力不足や職務怠慢の証拠として片付けられてしまうことがしばしばです。 このような風潮の中で、公人や政治家はミスを犯すことへの恐怖感を強める一方で、大きな認知的不協和を抱えるよ

組織はいつか全て無能な集団となる/ピーターの法則【憂世で生きる智慧】

ピーターの法則は、1969年にローレンス・J・ピーターによって提唱された。ピーターはこの法則をユーモラスかつ皮肉を交えて解説し、多くの読者に衝撃と納得を与えた。 ピーターの法則によると、組織内の個人はその無能レベルに達するまで昇進する。つまり、最終的には全員がその職務に不適格な状態で留まることになる。 この理論が示唆するのは、時間が経つにつれて、賢明であるはずの集団が不可解な失態を犯す理由だ。 ピーターの法則は、組織が無能な集団に変貌するメカニズムを暴く一方で、無能レベル

noteの目的は「普段自分が考えていることを失わないため」【憂世で生きる智慧】

ノートに書き留めるという行為について考えさせられた。 岡田斗司夫氏のこの本を読んで、ノートというのは単なる記録用具以上の存在であり、個人の歴史を形作る重要なツールであることに気づかされる。普段の生活の中で私たちが発見したり感動したりすることは、日々の喧騒の中で簡単に消えてしまう。 かつての偉人たちも、その頭の中で考えたことや感じたことをすべて残すことはできなかった。彼らの偉業や発明が記録として残っている一方で、日常の感動や小さな発見はどこにも残っていない。これは、彼らの全人

地位財と非地位財【知的雑学トリビア・豆知識】

★地位財:他人との比較によって満足が得られる財(無くなったらオシマイ)   ⇒お金・社会的地位・高級ブランド品etc. ★非地位財:他人との比較なしで得られる財(長続きする)   ⇒健康・自由・知識・愛情・徳etc. 世の中には、他人と比較することで満足感を得る「地位財」と、比較に依存せずに満足感を得られる「非地位財」がある。 たとえば、地位財。これを持っているときの感覚は、まるで高級ブランドのバッグを肩にかけ、街を闊歩しているときの自信に似ている。誰もが羨む視線を感じ

他人への批判は《的を得た》と得意顔/自分への批判は《的ハズレ》だと不満顔 【憂世で生きる智慧】

他人への批判は、的を得たと得意顔 自分への批判は、的はずれだと不満顔 他人への批判をするとき、多くの人は自分が正しいと確信し、得意げな顔をする。まるで真実を見抜いた名探偵のような気分になるのだ。だが、自分が批判される側に回ると、その評価がどれだけ正当であろうと、「それは的はずれだ」と反論し、不満顔を見せる。 この現象には心理学的な背景がある。「自己奉仕バイアス」という心理学用語がそれを説明してくれる。このバイアスにより、人は自分に都合の良い解釈をしがちである。他人の欠点

ダーウィンはこの世界を「絡み合った土手」と表現した【憂世で生きる智慧】

ある害虫を駆除したら、近くの木が枯れてしまう。なんとも不思議な現象に思えるが、自然界の複雑な絡み合いを示す一例だ。たとえば、ネズミを駆除したら、猫も餓死する。これは因果関係が明確だ。しかし、害虫と木の関係は一見して理解しがたい。このような現象を「風が吹けば桶屋が儲かる」と表現するのは、因果関係の複雑さを示す巧妙な言い回しだ。 自然界では、動物や植物が無数の複雑な関係で成り立っている。これを理解するためには、まるで巨大な蜘蛛の巣のように絡み合った生態系を一つ一つ解きほぐす必要

聖フランチェスコを範とし、清貧を選べば、宗教団体のカネがらみの問題はなくなる。清貧こそ煩悩の炎を消す唯一の道。【憂世で生きる智慧】

聖フランシスコは、1226年に天に召される直前、遺言を通じて、自らの死後も修道会が清貧の道を歩むことを厳命しました。 しかし、1230年になると、教皇グレゴリウス9世はフランシスコの遺言を無効と宣言。 この結果、フランシスコ会は多額の寄進を受け入れることが可能となり、創設者の本意とは異なる豊かな修道会へと変貌を遂げてしまったのです…… 参考資料 [憂世で生きる智慧]記事一覧 #フランチェスコ #聖フランチェスコ #アッシジの聖フランチェスコ #アッシジの聖フランシスコ