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死に前向きになることは生にあぐらをかくよりいいかもしれない

以前「2年ごとに死ぬ」と書いた。

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全員がとは言わないが、哲学にのめり込むとこうなるのか。
私は軽度ではあるが、精神疾患を持っていて、薬がないと生きていけない。

ひどい時期に、永遠と死や生きる意味について考えて頭がおかしくなって、最終的に、「2年後に死ぬつもりで生きる」という死生観が構築された。

時間が経ち、徐々にそれは確固たるものに近づき、今では「そういう心持ち」ではなく「マジで死ぬ」になりつつある。

自殺願望はない。そもそも人間は今この瞬間にも死ぬ確率0%ではないし、明日も何事もなく明後日のことを考えることができるのはもしかしたら奇跡なのかもしれない。

死は日常に溶け込むのが下手である。そのため人は「死」をどこか他人事のように、思っている。

私は生きるのに疲れてしまった。正確には、これから何十年も生きると思うとしんどくなった。やれ、老後2000万円問題、手取りが少ない、給与が上がらない、家族を養えない。いいことなどない。その上、生きる意味などわからない。ニーチェのニヒリズムに縋ってなんとか今を生きている。

だから2年でいい。2年ならある程度は世の中の動向がわかる。
その間だけ前向きに生きてみよう。2年分の生活費、健康のための運動や人間関係。最低限キープしておこう。

そして2年経ったらもう死んでもいい。交通事故、通り魔バッチこい。できれば楽に逝きたいから通り魔はやだな。とにかく、その時になれば死んでもいいや、そう思っている。

そして、万が一生き延びたら、また2年後に死のう。その繰り返しで、もしかして120歳まで生きるかもしれない。それはそれでいい。

私は、死を前向きに、というよりは、身近に置いておくことで、限られた時間をいかにハッピーに生きるかに懸けている。

楽しい、今のところ。


生活費になります。食費。育ち盛りゆえ。。