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人と獣の境界線 第一章 序

 人里離れた深い森。人の手が入っていない木々は思うがままに生い茂っている。間もなく夜を迎えようという時だったが、途端に静寂が破られた。数名の男達が銃や弓矢、刀といった武器を持ち駆けまわっている。
「ちくしょう! どこに逃げやがった!」
「崖を張れ! 羽付きの逃げ場は空しかねえ!」
「希少種の公佗児(こんどる)獣人! 絶対に捕まえるんだ!」
 男達の恐ろしい声と足音が轟く中、一人の少年が森の中を走っていた。少年は自分の身体と同じくらい大きな白い羽の塊を抱きかかえているが、羽の中にはもう一人小さな少年が埋もれている。羽は小さな少年の背から生えていて、その手はぷるぷると震えていた。
(狙いは有翼人の立珂(りっか)じゃなくて公佗児の俺か。父さんの言う通りだ……)
 落とさないように立珂を抱き直すと懐に収めている小刀が存在を主張してきた。それは父からある教えと共に譲り受けた唯一の武器だった。
「薄珂(はっか)。人間は鳥獣人を狙ってくる。襲われたら北西の『いんくぉん』という国を目指せ。有翼人を迫害する土地もあるがここは全種族平等。二人とも受け入れてもらえるだろう」
「うん。分かった」
 薄珂はいつになく真剣だった父の顔を思い出すが、力強い父はここにはいない。自分達を背に庇って薄珂と立珂を逃がし、その後どうなったかを戻って確認する余裕はない。ぐっと強く唇を噛みながら走り続け、ようやく崖まで辿り着くと白い羽の塊を下ろした。それはもぞもぞと動きだし立珂がひょこりと顔を出す。
「薄珂(はっか)」
「獣化して飛ぶ。立珂も準備してくれ」
「んっ」
 獣人が獣になるには服を脱がなければならないため、薄珂は紐を解けば即脱げる服を着ている。するりと胸元の紐を解いだが、追手はそれすら待ってくれなかった。がさがさと茂みは大きく揺れ、ぬうっと数名が姿を現した。
「いたぞ! こっちだ!」
「しまった……!」
 男の声に振り返ると、そこには銃を持った数名の男がいた。しかも男達の後ろには豹のような動物がいて、明らかに男達を守るように牙を剥いている。
「肉食獣人もいたのか!」
「当然。さあ来い。買い手が待ってるからな」
「そう言われて大人しく捕まってやるわけないだろ」
「はっ! 鳥獣人の羽は腕。脱がなきゃ獣化もできねえし抱いて飛ぶこともできない」
 薄珂はぎりっと拳を握りしめた。獣種にもよるが、獣の姿と人間の姿で体躯の変化が激しい種の場合は服で首が閉まったり、手足を動かせなくなることがある。薄珂の場合はまさにそれだったが、飛んで逃げるにはもう一つ大きな問題があった。
「それに有翼人の羽は神経がない。ただの飾りでお前にゃ重しだ」
「無理に掴めば爪が食い込む。絶対に逃げられねえよ」
 立珂の身体を覆うほど大きな羽はぴくりとも動かない。ずるずると引きずるだけで鳥の様に羽ばたくことはできないのだ。じりじりと二人は崖の縁まで下がっていくが、男達は勝ち誇ったようににやにやと笑っている。
「立珂」
「できた。羽おなかに巻き付けた」
「……少し我慢してくれな」
 先頭の男がぬうっと薄珂に手を伸ばした。指が目の前に迫り捕まるのはもう数秒後だろう。
 しかし薄珂は素早くしゃがんで立珂を羽ごと両手で掴んだ。これでは飛べない。落ちるだけだ。それでも薄珂は立珂を抱えて飛び降りた。
「なんだと!?」
「てめぇ!」
「撃て! 撃て!」
 薄珂は落下しながら立珂から手を離すと、瞬間で服を脱ぎ捨て獣化した。すかさず立珂を空中で掴んでばさりと飛び上がる。
 崖の上からはがんがんと銃が火を噴く音がして、それに撃たれたたのか薄珂の身体に激痛が走った。それでも薄珂は飛び続けた。ほどなくして銃声は聴こえなくなったが、足元に広がるのは海ばかりだった。傷付いた羽で飛び続けることはできず、薄珂と立珂は海に叩きつけられた。


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