『抽象画』『ペインタリーな絵』になったきっかけ
※「ペインタリー(絵画的)とは……絵の具の「塗り」を強調した絵画のありようのこと。輪郭が曖昧で開放的な形態、形態よりも色彩の力の重視、素早く、ダイナミックなタッチの多用、色むらの効果的な利用、が特徴的なこと。混じり合う筆触の流動的性質や曖昧な輪郭のこと。
小中学生の時は「何となくすごいから」で、ダ・ヴィンチが画家で一番好きだと言っていた気がする。
「絵画」や「画家」について、非常に解像度が低くぼやけた解答だった。
自身も写実のみが絵画の価値を決めると信じていて、ひたすら描写していた。
しかし、高校生になり美術予備校で自分よりもっと上手い人はいくらでもいると知ったり、個性的な絵を描く人の存在を確認すると、自分の信じてきたものは揺らいでいった。母校の太田一高に勤務する美術教諭には色々なことを教わった。今でもこの先生とは連絡を取り合っている。
当時好きだったアーティストというと、ダリ、ハンスベルメール、山本タカト、丸尾末広、富崎nori、横尾忠則、etc……
つまり、健康に厨二病を発症していた。
そんな私が上京し、当時芸大油画合格率ナンバーワンであった新宿美術学院へ入学した。私の絵を見て、先生は一言。「うーん、キミはもっと絵を見ないとならないね。」
放課後、画集室に呼ばれた。
そこでまず、Terry wintersの画集を見せられた。
「こんな絵があったのか!アリなのか!」と新しい価値観にズガン!と激しい衝撃を覚えた。
二次元から三次元を、三次元から四次元の存在を観測するような、そんな感じの新たな出会い。
そして、先生はこう続けた。
「この絵の部分に擬音をつけてみて。ここは?ここはどう?」
Terry wintersの絵には幅広い擬音が思い浮かんだ。
しかし、自分の絵でやってみたら擬音という擬音が全然出てこなかったのだ。
そう、私の絵には抑揚が足りない……!
密度が全部満遍なくあってはならない。すべてを描写してはならない。
密度があるところとないところの「対比」、「疎密感」が大事なのだ。
「絵画」とは「リズム」なのだ。
本当に衝撃的でストレスで、新しすぎてその日は疲れ切った。
ピカソマチスは知っていたが、見方がわからなかった。その画集で少しわかった気がした。
それから徐々に私の絵はシュールレアリズムからエクスプレッショニズムに変わっていった。
「絵画」とは、「リズム」であると同時に、キャンバスへ絵の具が付着した「物質」である。感覚的にそう気付いたのだ。
絵にあまり詳しくない人と話していると、抽象画や表現主義的な絵の見方が分からないという言葉をよく耳にするが、私も新美でウィンタースと出会い、絵画を見る眼をガッツリ矯正されて今に至る。
この画風から今に至るまではまた紆余曲折あるのだが、それはまた今度話そう。
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