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未知の場所に足を踏み入れること

締切間近の仕事があるのに腰が重くて「ガラスの仮面」を読んで現実逃避をしていたけれど、さすがに着手せねばと本腰を入れて取り組んだ。

退職した会社の仕事以外に、自営業として業務委託で請け負ってる添削の仕事があり、契約の都合上この半年はたまたまお休みだったけれど、下半期から再開することになったのだ。

娘の状況も1学期より落ち着いてきたので、日々会社の業務をこなすのは難しくても、委託の仕事を期日までにポツポツこなすくらいならなんとかできそうで、タイミング的にも都合良くありがたい。

しかしこの半年で仕組みが色々と変わっていた事に全然気づいておらず、数人の添削を終えて、そろそろひと段落するぞ〜、今月は人数少なくて助かった!と思った頃に、郵送での課題提出以外にオンラインでも課題が提出できるようになってる事に気づき、更にはオンラインでたくさん提出されてるではないか、、と慌てて追加の仕事に着手した。

想定以上に長時間労働になりへとへと。
でも会社の仕事の傍らで取り組んでいた時は余裕がなくて片手間になりがちだったけれど、会社の仕事が無くなり自動的にこちらが本業になったので、これまでよりも丁寧に納得いく形で取り組めた。

凝り性でやり出すと没頭しちゃうので費用対効果とか全然考えられず、時給換算すると常に最低賃金に近くなりがちでビジネス的には落第生だけど、もうお金よりも楽しさを優先でいいやと二周三周して感じ始めてる。いや、お金も大事なんだけど。楽しいこと全力でやってたらその内、後からついてくるよね!と祈る。時給換算は計算してるけども。


写真家の石川直樹さんの「いま生きているという冒険」という本を読んでとても刺激を受けた。
石川さんの事をあまり詳しく知らなかったので漠然と冒険家、山登り、くらいのイメージでいたけれど、北極から南極まで人力で縦断したり、太平洋を気球で横断しようとして墜落して命からがらの目にあったり、テントの2、3メートル先にいたシロクマと目が合った話など、よく今生きてるな、、というレベルのすさまじい冒険に目を剥いた。
ちょうど先月8000メートル峰全14座登頂という私にはよくわからないレベルのすごい山登りの記録達成もされてるとのこと(日本人で2番目の快挙らしい)、おめでとうございます!

そんな大冒険をしている石川さんだけれど、冒険や旅というのを、辺境の地に危険を冒していく事でなく、未知の場所に足を踏み入れることと言っている。
例えば人を好きになること、新しい友達を作ること、はじめて一人暮らしをしたり、いつもと違う道を通って家に帰る事も旅の一部。
生きることは冒険の連続ではないか。
大人になり世界が見知ったものばかりになって、何も感じなくなり、世界との出会いを求めることもなく、異質なものを避けて五感を閉じていく時、世界が既に自分の知っている世界になってしまった時、あるがままの無限の世界は姿を変えて小さなものになってしまう。
そうならないように冒険を続けたい。
現実に何をするかどこへ行くかではなく、心を揺さぶる何かに出会ってるかが最も大事だから、人によって、あえて今いる現実にとどまりながら大きな冒険をする人もいるだろうし、ここではない別の場所に身を投じる事で旅の実感を得る人もいるでしょう。
と勝手に要約したけれど、そんな話に首がもげそうなくらいに共感して、未知の場所に、あるがままの無限の世界に飛び出していきたい!という気持ちになった。
歳を重ねても家にいても、初めてのこと、未知のことはできるもんな〜。


上司が寄せ書きを送ってきてくれた。
正社員が100人前後の会社なのに、50人を超える人達のメッセージをかき集めてくれて(内1/4くらいは既に退職してる人だけれど)読んだらボロ泣きしてしまった。
色んな人たちとの色んな思い出が走馬灯のように駆け巡る。地獄のようだった月日も長いけれど、天国のように楽しかった時もあったことも思い出し、本当に悲喜こもごもな9年だった。振り返ればドラマでしかないけれど、この時の私はきっとこれを体験したかったんだろうな〜。「ガラスの仮面」を読んでるくらいだからやっぱりドラマを求めてるんだろう。
自分が全く忘れているような出来事を他人は覚えてくれていたりしてホッコリした。一生の宝物!

中学校の卒業文集の寄せ書きとか、高校の部活の引退時の寄せ書きを思い出し、寄せ書きというのは、もちろん良いことばかり書こうとするものだからというのはあるけど、自分の歪んだ自己認識をいつも修正してくれるな〜とも感じた。

私はおしゃべりが得意でなく、人付き合いにあまり自信がないのだけれど、皆こんなによく思ってくれてる。私は自分のことを優しいとあまり思えないけれど、皆、優しさとか笑顔のことばかり書いてくれている。あ〜中学時代の寄せ書きもそうだったなぁと思い出す。

私が私を優しいと思えなかったり、ネガティヴに感じてしまうのは、人に言えない気持ちの処理の仕方がわからなかったからなのかなぁ。前に占いを受けた声占いちえこさんから「あなたは聞きたいことが聞けたら元気になる、聞きたいことを聞きそびれると良くない」みたいな事を言われたのも印象に残ってる。
言いそびれたり、聞きそびれたりしがちだけれど、最近はモヤモヤしたら、なるべく後からでも伝えたり聞いたりすることを心がけている。言う必要がないことは瞑想で昇華する。それだけでも確かにだいぶ違うなと感じる。

何かを嫌だなと感じたときに、その気持ちをスルーして無理に相手に合わせたり、自分の気持ちを無視して我慢したりを極力しないように、気持ちをきちんと受け止めてあげることを重ねていくことで、少しずつ自分のことを好きだった子どもの頃の自分のように、再び自分を好きになってきている気がする。自分を裏切らないことがほんとに大事だなと。


今日はみれいさんの記事にとても共感した。
https://note.com/hattorimirei/n/n6b3bd2e83bef

いずれにしても、
人が、次なるフェイズへ行く時って

「もう懲り懲り!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

とならないと次へいけないのだというふうにわたしは感じています。
(自分もそうだったし)

「そうはいっても」っていう時は
ごめんなさい、少しまだ余裕があるのかもです(底をついてないというか)。

そして、最後、「どん底」知ったら、這い上がるだけになるのかなと思います。
だから、底にタッチした人、万歳なのです!

みれいさんのnoteより

この話、ちょうどこないだ上司とした話だな〜と。以前に他の人が退職する時に、羨ましい、私も早く決断したいとこぼしたら、退職する人にこれと同じことを言われた。
退職したいと言ってる時はまだその時でないのだと。本当に、心底無理!!ってなった時に初めてその時は自然と来るのだと。その通りだなと思った。
そうは言っても、から、もう懲り懲り!を経て次のフェイズへの旅に歩み出せた自分を心から祝福したいなと思った。

手元のガラスの画面、あっという間に読み終えてしまってもっと借りれば良かった!
早く図書館に行きたいな〜。

みなさま、今晩もおやすみなさい。


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