間違いや忘れることのない世界

はじめましての方、ふたたびの方、
お立ち寄りいただきありがとうございます♪
親とはどうあるべきか、親としてどう在りたいか
子とはどうあるべきか、子としてどう在りたいか
おやこのみちを考える「親子道」を提唱しています。

寒くなってきて、朝の空気にピリッとした緊張感と遠くまでスッキリ見渡せるような透明感を感じる今日このごろですね〜。
当たり前に巡ってくる朝日が通勤時間に眩しいです。そう。太陽は定期的に昇ってきて、定期的に沈んでいきます。一定のリズムを保ちながら…。
そうして、地球の全てのものを平等に照らしてくれようとしています。邪魔をするものがなければ、皆平等にお日様の恩恵にあずかれると思うのです。

ごくごく自然に巡ってくるリズムと同じように人は物ごとを忘れます。とにかく色々なことを忘れます。これは、人間に与えられた特権の1つです。忘れることで次に必要なことを覚えられるかのように…。忘れても支障のないことが殆どを占めていると思いますが、時には、忘れてはいけないことまで忘れてしまうこともあります。ドンマイです。
忘れるとセットであるかのように
人には「許す」という感覚が備わっています。
これからの時代にとても大切な感覚だと思うのです。

人間は間違えたり忘れたりします。どなたももれなくです。これは、人に与えられた特権だと思うのです。
そこでちょっと想像してみませんか?
1つの間違いもなく、全てもれなく記憶されている世界を…
全てが正確で、全てが明快。
自由はあるのでしょうか…。
まるでロボットのように
秩序通りに、間違えずはみ出さず…
もちろんトラブルも起こりようがない…
何かを取り合うことも
暴言を吐くことも
うえで苦しむ人も
いないはずです。
どんなことも常に正確にことが進み
イレギュラーな事は存在し得ない。
そういう世界が思い浮かんでしまいました。
そこに、楽しさはあるのでしょうか?


間違いや行き違い、忘れてしまったりする、これらが、これらこそが人の暮らしに多様性をもたらすのだと思うのです。
多様性は個性を育みアンバランスな状態を生みだします。得手不得手が生じたりしながら、各々の差が生じていく。
ですが…比べたり、違いを見つけたりするだけの世界もまた楽しさはあるのでしょうか?


人類はすごい発明をしたと私は思うのです。(正直人類の発明かどうかは?ですが…)
それは「許す」という行為、心の持ち方、在り方です。
違ってもいい
嫉妬してしまうのも仕方がない
忘れてしまうことがあってもいい
できなくてもいい
時には嘘をつくことも仕方がないかもしれない。そうやって許して許して許していくと、
どのような世界が見えるでしょうか…

許せる理由を見つけて
心の整合性をはかって許す…

私はそこに愛を感じます。

「アイとは心を真ん中において全てを受け入れることだ」「アイとは許しだ」「アイとは初めから終わりまでの全てを含む言葉なんだ」「アイとは優しさ」「アイとは包容力のことだ」と先人達は多様性を持って表現されていたことを思い出しました。

私は自分を許せている?
子供を、親を、家族を許せている?
近所の人や同僚、友達、仲間、見知らぬ通りすがりの人…遠くで起こっている事件、事故…
その身に降り掛かってきた災難…
どこまで許す心を持てているのだろう…。

あなたはどうですか?
ご自身を許せていますか?
子供を、親を、家族を許せていますか?
近所の人や同僚、友達、仲間、見知らぬ通りすがりの人…遠くで起こっている事件、事故…
その身に降り掛かってきた災難…

もちろん許さないという選択肢もありますし、許せなくて当然な事もあります。それはそれで許せなくていいと思うのです。

今日は、長くなってしまいました。
最後までお読みいただきましたこと。
心より感謝いたします。
ありがとうございましたm(_ _)m

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