見出し画像

昨日、母に怒鳴ってしまった話

2992文字・30min


 ここ数日、うつ状態がひどい。だれにも伝えずにひとりベッドで寝ていた。
 昨日は梅雨の間の晴れ間が訪れた。夕方前になってぼくはノイローゼ状態に耐えきれずに、ロードバイクに跨(また)いで外にでた。夏が近いのか、時刻は四時をまわったばかりだったが、陽は、はるかに、高い。
 これをポタリングというのかわからないが、のんびりとロードバイクに乗って、ぼくが三歳で通った保育園と、それから四歳五歳と通った幼稚園と、最後に小学四年生まで通った小学校の写メを撮ってまわった。

 幼稚園の門の前にロードバイクを止めてぼくが四十年前に卒園した母園のグラウンドや木造から鉄筋に変わった建物の写メを撮っていると、建物の北の物陰にエプロンを着た保母たちが輪になってぼくをみていた。その風景はテレビドラマによくある昼過ぎの団地の公園に集まった主婦たちがやるひそひそ話に見える。眉間に眉を寄せた、明らかに変質者を見る目だった。なぜか身体は怒りに打ち震えた。だが、ぼくは昼下がりのエプロン姿の保母たちに笑顔を見せた。
「お忙しいところすみませーん。新米ライターなんです。この幼稚園はぼくの母校です。デスクに母校を取材してこいと言われましてー」
「あら、そうでしたか」
「良ければ、少しだけお時間をいただけますか? 」
 三十過ぎの保母が、プールに流す水の蛇口を止めて、こちらに歩いてきた。

「ぼくがいた四十年前よりも敷地面積が広くなりましたね。それと緑色の木造だった園舎は打ちっぱなし風の鉄筋建物に変わりました。どれくらい前からですか? 」
「二十年前からです」
「そうだったんですかー」
 笑顔を見せて取材らしき質問をするが保母の変質者を見る目は変わらなかった。
 幼稚園の門の前で、学校帰りの五人ほどの小学生たちが足を止めて、ぼくが止めた自転車に集まった。ひとりはアラブ系の混血の少女だった。縮(ちぢ)れ毛でナタリーポートマンのような肌艶のいい女の子だ。みな、三年生だといった。身長を聞くと、みんな百二十センチそこそこだった。
「おー、すげえ。いい自転車じゃん! 」
「ロードバイクっていうんだよ」
「おじ、おにいさ」
「おじさんでいいよ。見た目はおじさんだろ。そんな齢から気を使わなくていい」
「これは? あれじゃね? ケータイ入れるやつ」
「そう、ケータイホルダー」
「おれケータイもってるよ! 」
「ほんとうかよ! 通話料はお父さんとかお母さんさんが払ってんの? 」
「おれもじぶんのもってるよ」
「きみは小三ではたらいてんのか? 」
「これよりも、もっと大きい、これくらいのパッドのやつ」
「ゲーム用かな」
「この黄色いぐるぐるの、なに? 」
「サドルと自転車を繋げるワイヤーだよ。サドルを盗むやつがいるんだ」
「私、これ外せるよ」
「このロックを外せるの? やっていいよ。確率は999ある。1000パターンだよ」
「ちょきみそうじゃない! 引っぱってもダメだって、わーった。そのまま引っ張ってごらんよ」
「…君たちはもう行ったほうがいい。おじさんがそこのお姉さんに110番通報をされちゃうから」
 ぼくは小声で言った。
「なんで? 」
「大人の都合だよ」
「じゃあね。またー」
「またはない。おじさんは、明日はここにいない」
「はーい」
 彼ら彼女らはぼくに手をふって、集団下校らしく列になって帰っていった。

 ここで失礼を承知で言うが、保母という仕事・職業柄、園外者をそういう危険因子の目で見るのはわかる。だが、三十過ぎのババアにもこういう純粋に人を信じる子どもの頃があったのか。とぼくは心の中で毒づいた。これはぼくの被害妄想だろうか?
「四十年前には、そこには藤棚があって毛虫が落ちてきたとか、向こうに象の滑り台があったとか、俺はお前らよりもこの園を知っている。少なくともお前らみたいな人を軽蔑する目をする保母はいなかったんだけどな」
 また心に毒づき、保母には不器用な笑顔を見せて、幼稚園を去った。

その日は、夕方の公園のベンチで読みかけの文庫本を開いて読んで帰った。気分転換になったような感じだった。
 だが明けて今日も、変わらず鬱はひどかった。外は快晴だった。
 昼過ぎに、あることに気づいた。昨日、帰ってから母と口喧嘩をしたのだ。父が家を建ててからずっとぼくが心に秘めていた積年溜まった鬱憤を母にぶちまけた。実家の家屋は父が建てたのだが設計上、なぜか子ども部屋に鍵がない。それと農村コミュニティの独特の慣習なのか、最近、祖父が死んでから特に、母も父も扉を開けっぱなしにしている。さらに夏が近いのもあったのかもしれない。家は父の家と今では仏間になっている死んだ祖父母の敷地が玄関をあがった吹き抜けで分かれている。吹き抜けに螺旋階段があって二階にあがると子ども部屋がある。ぼくの部屋は父と母の敷地の真上に位置している。

 母はもう二十年来、耳が難聴気味だ。両親は互いに名前で呼び合わない。まさに昭和の夫婦といった感じの呼び方をする。父は耳の悪い母に「おい! 」「聞こえねえんか! 」「呼んでんだよ! 」ときに「おめえだよ! 」とほぼ怒号のように母に言う。母はすっかり慣れてしまったのか、それを聞いても平気でいる。二階にいるぼくはそれが恐ろしいのだ。父が母を呼びつける声だけで、ぼくは両親の夫婦喧嘩を聞いているようで、耳を塞ぎたくなる。
 さらに困るのが、母の、父に対する傲慢な態度だ。父は婿養子で、母方の祖父は地元の農業委員の世話役から市会議員になった。母はそんな祖父の長女として育って、婿養子に来た父を小馬鹿にしている節を感じる。つまり夫を軽蔑しているのだ。それが両親の関係を治し難い病、宿痾(しゅくあ)のように感じる。今後は両親の関係は根治することはない。誰にも治しようが無いのだ。
 父は糖尿病を患っていて週四で透析をしている。昨年末に転んで大腿骨骨折をして透析ができる病院で半年のあいだリハビリ入院をした。元警官だが高卒のノンキャリだ。理不尽な警察の縦社会に揉まれて、家では父は母に威張り散らしている。
 それで、ぼくは、じつは父にむけて、暗に、『親父よ、たのむからだまってくれよ! 』と母にむかって怒鳴ったのかもしれない。読者が男であるならばわかるだろうが、父親に「オヤジよ! オメエの声が家に響いてうるせえんだよ! 」などとは直接は言えないものなのだ。
 ぼくは母親に向かって「家中のドアが開けっぱなしってのは、どういうことなんだよ!色々な声が、おれが居る二階まで、まる聞こえなんだよ!」と母を通して父に間接的に言ったわけなのだ。 
 結果として母を通して父へ本音をいった。が、ぼくが母に怒鳴ったあと、自分自身でひどく落ち込んだ。自分の言葉はブーメランになって自分を自己嫌悪に追いやる。自己否定感は半端ない。自分が母へ放った言葉は鋭利な槍になってぼくの胸をつんざく。両親と住んでいるだけで地獄のような実家なのである。
 ここでぼくは話を、まったく別の性的な問題(解決策)につなげてしまう。こういう歪んだストレスは、セックスをやってやってやりまくって、三日三晩くらいセックスをやりまくれば、歪んだ心や脳や体内に溜まった毒素を体外にだせば、スッキリするのだ。こういうときにこそ、セックスはあるのだ。人生にセックスは必要なのだ。と、自分の性欲の処理の正当性を大肯定するぼくなのである。


よろしければサポートおねがいします サポーターにはnoteにて還元をいたします