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冒頭。気づいたこと20230103tue180

改稿なしの一発で書く。字数制限はない。悪しからず。
今日の記憶はあまりない。目の前に置いてある砂時計の三十分計をなんどもひっくり返した。

ネコに起こされて遅めに起き、年末にネットで部屋をさがした目星の部屋について都内の不動産屋に連絡したが休みだった。
精神状態は不安定だった。三日経ったいまだから書けるが、元旦は凄まじい希死念慮に襲われた。が本当にウツのどん底では自殺はできない。それほど萎える。そういう下振れや上振れなどがあっての今日だった。

それで今日は元日の揺りもどしで不安定だったわけである。東京のことを思うと、二十数年前のトラウマ、演劇で失敗したことが走馬灯になって、襲いかかる。

昼はなにを思ってか、ネットで東京乾電池(柄本明主宰)の養成所の入所へメールで応募していた。それからも精神は安定せずにいて、前の師匠にまた金を払って授業でも受けたらいいんじゃないか? と思い野菜炒めをつくり、飯の後は東京にある小説講座を検索したりした。
昼過ぎに、あるサイトで、熟練編集者が添削するサイトを見つけ、そのH編集のブログを読んで、目から鱗が落ちた。下記にリンクを貼る。

今までnoteでタイピング日記なるものをUPしてきた。僕はこれまでずっと「冒頭」が気になってタイプしてきた。
これまで僕は純文学の新人賞(いわゆる作家の処女作にあたる作品)の出だしは、違和感があった。最初の一段落だ。あまりにも凝りすぎているのだ。そのゴリゴリの文体は本文に入っていくと無くなってしまう。またリンクを貼る。田中慎弥氏の「冷たい水の羊」だ。

次の段落をタイプしていないので、読者はわからないと思うが、二段落目からはかなりスムーズに書かれている。僕はこの段落を百回近く音読をして、最後にタイプした。
上記のH編集さんのブログでも書いてあるとおり、冒頭できっちりと書かないとその時点で落とされる(純文学の話だが)。

もちろん小説全体のレベルが高いという前提だが、書きおえてから自分が納得いくまで冒頭を練りあげる重要性。わかった。
わかった時にはエンタメにシフトチェンジしていたが。
それでもやはり冒頭は作品全体を暗喩しているので重要だと思った。
(906文字)

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