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タイピング日記040 / 冷たい水の羊(冒頭) / 田中慎弥

 丘の頂上近くの中学校から流れ出て枝分かれし、市の中心を通る国道や南側にある海峡へ届くいろいろな太さの道路の中の一本の小道の傍、秋の夕日を浴びて膨れ上がった花弁や葉が店先に重なり合っている花屋から五十メートルほどの、壁の表面を何度か塗り替えているらしい古いアパートの敷地に、大橋真夫は隠れている。学生鞄を抱え、帽子を被った中学二年の坊主頭を制服の襟に沈め、心臓の音あたりに響きそうだ、潜めようとすると逆に高まる息で大きく上下する肩が目立ってしまっているかもしれない、と恐れながら、アパートのどの部屋からも道路からも見えづらくなっている、自転車置場の横の丈の低い生垣の、根が腐ったのか血が吹き出たように葉を真っ赤に枯らしていた小さな一株を二日前に引き抜いたその誰からちゃんと処分したのだろう。



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