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「竜胆-」Vol.15【ゆきずりの円、Ver.5.❸】

プロの作家に文章指南を受けている。

下記が前回、

下記が「竜胆-」Vol.14【五分前の世界、Ver.5.❷】のフィードバック、

さて今回は「竜胆-」Vol.13【祇園の夏、Ver.4】からの平行世界。

前回は「竜胆-」Vol.15【五分前の世界、Ver.5.❷】

今回は❸「男」と「女」を逆転させる。「男が粉屋の主人」「木造アパートに住む女」=「ゆきずりの円」ということで、

【今日の課題】当たり前だが前回の指摘をモノにする。

❶【初出】☞「物語で初めて出た言葉は読者にわかりやすく提示する」

書き終わって気づいたこと。

主人公「円」の職業「ライター」が第二段落で【初出】。

第三段落で「円の荒れた私生活の裏側」を「ピンクこたつのうえのものすべての初出の羅列」で行っている。

❷【既認識】☞既に読者の認識が終わっていることは削除か処理をすべし。

❸【二重表現】☞例)「いつもの常連」☞「常連」か「いつもの客」に

❹「ながら」☞「書き癖」例)あくびをしながら☞あくびをし(た。)

❺主人公が観察する描写が苦手のようだ。☞Vol.9【少女編】もそうだったけど、今回も。円の部屋から男を観察するくだり。「描写を説明」してしまっている。「観察する描写」がうまくできない。

❻物語の転筋法は絶対に使わない。(個人的に禁止)

これついては、師匠の文章法とぼくの意見は対立する。

1960年代だか1970年代に、アメリカのとある無名の作家が「書けるようになるプロット」(タイトルはうろ覚えでそん感じです)なる、いわゆる「物語の書き方のムック本」を出版し、アメリカ全土で空前のベストセラーにさせた。

「物語はルーレットを回すだけ」
①後ろのドアからライバルが登場…
②女の出現…
③雨が降る…
④親友が来客で訪れる…
⑤電話がなる…
⑥その他、意外な展開etc…

当時のアメリカ文学でのアマチュア作家もプロの作家でもみんな使用したらしい。筆がとまると、原稿のうえに置いてあるルーレットを回す…

で、結果、当時のアメリカの文芸界どうなったか?

アメリカ全土に、おなじような陳腐な展開の作風のクズ小説が膨大に産まれてしまった。

アメリカ文学の質の低下、アメリカ文学の大停滞が起こった。

これは物語作家の思考停止です。

「状況を作りだすこと」それこそ小説家の腕の見せ所。とぼくはいままで読んだ「小説群」から学びました。「状況を作りだすむずかしさ」それをいまのぼくは克服しなければいけない。

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筒井康隆は「小説はそんな簡単なもんじゃない!」痛烈に批判しています。

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いまのぼくは文章修行の身なんだから、転筋法はとくにいま、絶対にやってはいけない禁じ手です。

もしじぶんが川端康成とかヘミングウェイとか世界的な小説家になって筋に悩んだときになって初めて、その禁じ手を解放すればいい。いまは。ダメ。絶対に。(覚醒剤のコピーみたい。笑)

転筋が書き癖になったら、小説家としては一巻の終わり。


千本ノックだ。よし行こう。

「竜胆-」Vol.15【ゆきずりの円、Ver.5.❸】

胸に平べったい漬物石みたいに重いものがのせられている。重く平べったい石は胸に吸いついてふうせんのように大きく膨らむ。燃えるように熱くなる。熱い。重い。苦しくて息ができない。漬物石におし潰される! 夢だった。

汗ぐっしょりになって円は目覚めた。クーラーの電源が落ちていた。ベッドのなかで手を弄ってリモコンのスイッチをつける。窓が少し開いていた。蝉の声が聞こえてきた。円は昨日のことを思いだそうとしたがなにひとつ思いだせなかった。頭が痛い。これって二日酔い? そうだ。昨日は記事の取材のついで、男を引っかけに祇園祭へいったのだ。記事のネタはなんとか見つかったけれど、まわりはみんなカップルばっかりで目ぼしい男がみつからなくって、夜になって白く光りかがやく山車を見あげていたら、後ろから声をかけられたんだったけか。それから、えと、四条通りから入ったクラフトビールのバーに誘われて、なにか夢中になって話しこんだ気がする… そのままわたのしいい気分で飲んじゃって… やはり思いだせなかった。円は針が差しこむように痛む頭を抱えた。

円の部屋は複数の男の臭いで充満していた。新京極のヴィレッジバンガードの店長にコレ世界に一点モノと薦められて買った水平の地球を支える象の脚がついたピンク色のファッションコタツのうえには、ランプの魔人の置き時計、石田衣良の青春残酷物語小説、黴が吹いた腐りかけのみかん、黄色くなった有名なインフルエンサーのデザイン手拭い、先が潰れたモード系のピンクラメグロス、水陸両用ふわふわ耳栓、ニンテンドースイッチ、ベネトンのコンドーム、ハルシオンのピルケース、あいだみつおの絵葉書で潰れた蠅、ニベアの保湿クリーム、猫用のギロチン式爪切り、レイバンのサングラスケース、テレビやエアコンなどの万能リモコン、懐かしのサクマドロップ缶、空の箱ティッシュ、空のウェットティッシュの筒、中身のないポケットティッシュの袋、電マ、ステンレス製の洗濯バサミ、印鑑、タバコの灰が溢れでた食器皿、壊れたアイコス、赤いペディキュアのついた足の爪、象印魔法瓶、ちいさく丸まった東急ハンズの紙袋、ハリオのコーヒーミル、海外から届いたポストカード、ニコンの一眼レフカメラ、壊れた旧型のスマホ、製図用カッター、カンパリソーダ、カルーアミルク、電動歯ブラシ、クレジットカード、ペンやハサミやプラスティック箸やマドラーがささったスタバのタンブラー、安部公房の「箱男」、油性の落書きだらけの大学ノート、TENGAのオナホール、フタの開いたご飯ですよ、赤ワインが染みた書き損じの婚姻届、腐ったにおいを発する煮魚、極太ショッキングピンクディルド、シーチキン缶のうえに山積みになった睡眠導入剤の粒、トミカの黄色いクレーンのミニカー、純白のもこもこスリッパの片方、山と積まれた朝顔とかざぐるまを折った折り紙、カゴメトマトケチャップに塗れて丸まったるるぶ京都、つまみあげると食べかけのオムライスに黒く光ったゴキブリが首を突っ込んだまま潰れて乾涸びていた。いったいどこのだれが円の部屋にやってきて、どういった用途や目的でなにを置いていったのか、円はわからなかった。取材先でもらったものなのか、骨董市かどこかで買ったものなのか、レズの女の子を連れこんだとき回転式か振動式かの電動歯ブラシでオナニーの見せ合いっこをやった気もする。円はじぶんの部屋に、ひと月に数える程度、思いだした頃に帰ってくるだけだった。

円は京都のフリーペーパーの記事を書いてどうにか生活をしていた。記事だけでは食べていけない。だから取材した相手が男だった場合いや女だった場合でも容姿とわず相手の部屋に潜りこんでは交わって、パパ(ママ)活、つまり小遣い稼ぎをしていた。そんな生活をしながら円は三十になろうとしていた。三十。三十路。ママになっていてもいい歳だ。

風邪をひいていないじぶんに円は気がついた。寝相がわるいくせにクーラーを消し忘れて寝てしまう。円の癖だった。汗びっしょりかいて寝ていた円にだれかが薄手の毛布をかけてくれていた。きっと昨日、わたしを抱いた男がエアコンを切って、風通しのために窓を少しあけ、やさしくブランケットをかけてくれたのだろう。だけどいったいだれが?

うずたかく積まれた、高床式ピラミッドのようになったピンクこたつの一番うえに、それ、はあった。

ビジネスカードだった。「粉屋」とシンプルに書かれてある。

「粉屋」の名刺は、ピンクこたつに蜷局をまいて座るカシミアのマフラーの頂に、水平に、置かれてあった。その名刺は円の今日の食い扶持に違いない。そう思って円は「粉屋」のビジネスカードを取って取材用のバッグに入れた。

あわわ。大きなあくびをし、円はじぶんの部屋を見わたしてみる。高床式ピンクコタツ、円のからだが目当てにあつまる肉欲の金づるどもの精液に塗れたベッド、骨董市のオヤジから手に入れたつかなくなった薄型テレビ、西陣の若旦那が運んできた中途半端な高さの椅子がない三面鏡、船岡山温泉でナンパされた貴船と嵐山で民泊を経営しているという男が持ちこんだいつしかタバコの穴だらけになったカーペット、台所につながるフローリングには雪男の足跡のように発泡酒とペプシ缶が倒れている。見ているだけでだるくなる。仕事がない日は部屋を片付ける気など起こらない。円はピンクコタツに置いてあるコーラの残りを飲んだ。オエェ〜。タバコの灰が溶けた黒い液体をオムライスのうえに吐いた。財布の中身をみた。21円だった。

ベッドのしたのクリアケースなかに未開封の白シャツがあった。面接とかのためにとっておいたものだ。「粉屋」の主人はちょいワル系のエロオヤジかもしれない。ノーブラで行こうか。思ったがそれではブラジャーを外す楽しみを奪ってしまう。男には色々な種類がいるのだ。ブラジャーは身につけることにした。名刺の男は女の体臭で欲情する癖なのかわからない。円はきちんとした服装を身にまとうためシャワーを浴びることにした。結局、ブラジャーは見つからなかった。ノーブラで部屋を出た。

ジーンズを穿いてベッドに腰かけ「粉屋」のビジネスカードのQRコードにスマホを翳した。マップに「粉屋」の位置が表示された。え?! 

二秒ほど絶句した円は部屋の北の路地に面した窓をあけた。マップの☟は、路地を真っ直ぐ南にくだった300m先の位置で点滅していた。スマホのディスプレイからゆっくりと現場に目をうつした。目を細めてよく見てみる。確かにビジネスカードにある粉屋のアイコン「ブリキのランタン」がドア横についている。インディゴブルーが鮮やかな麻ののれんが風に揺れている。遠目からの雰囲気でもわかる。おしゃれな店構えだった。京都で地元密着型のフリーペーパーの記者を長らくやってきたつもりだった円はじぶんのキャリアの一端が崩れかけた気がした。

シャワーを浴びたせいか、まるで生まれ変わったみたいに気分がいい。円は窓の敷居に手をかけて、空を見あげる。雲ひとつない快晴だった。時計を確かめると15時を回っていた。

円の眼が釘づけになった。粉屋から桶をもった男がでてきてドア脇にある蛇口を捻って桶に水をため打ち水をした。のれんの脇に大きな水瓶があってのぞいたりしている。メダカでも飼っているのだろうか。白いシャツに紺のエプロン姿の男はナイキのキャップで顔は見えない。向かいで打ち水をしている腰の曲がった老婆に挨拶をしている。観光客の若いふたり組が立ちどまってのれんを眺める。男がおじぎをすると観光客は去っていった。桶を置き男は、水の張られた甕をのぞきこんだ。男は顔をあげ、キャップの鍔に手をあてたまま傾きはじめた陽を見つめていた。ん? え?!

円は部屋に首を引っ込める。わたしを見ていた?

身軽なポシェットにメモ帳とペンを入れて部屋をでた。
靴を履いた。アパートの敷地の裏庭にでた。

裏庭の竹林の翳にベニヤと塗炭で囲っただけのトイレがあった。1DKの円の部屋はユニットバスで、もちろんトイレもある。興味が湧いて円はベニヤのトイレに一歩踏み入れた。穴から人糞の強烈な臭いが突きあがった。円の鼻を劈いた。穴の底で白い蛆が、鍋にかけたコーヒー豆のようにぴょんぴょん飛んでいた。円は後じさった。膝をみる。カマドウマが腿をゆっくりと這いあがってくる。

ぎゃ〜! 尻もちをついた。万年日陰で緑色のゼニゴケでぬれた泥のような土のうえだった。膝のカマドウマはいなくなっていた。緑のゼニゴケの湿った土は円の尻を冷たく濡らした。竹林から蝉の鳴き声が聞こえた。裏にはを見わたすと蝉の抜け殻ばかりが転がっていた。

注記、うえの「段落」じつは、一文の順番を「時系列に整理」して入れ替えた、そのあと、ハッと気づいた。「竹林から蝉の鳴き声が聞こえた。」ここで再度、読者に「この物語は真夏なんだ」と意識的に提示できた。【時系列を整理する】

路地から鼻を湿らせた黒い子犬が飛び込んできた。色艶の良い黒い子犬は尻もちをついた円を押し倒し顔をペロペロ舐めた。円の顔が子犬の涎まみれになった。子犬には首輪がついていた。円はおかしなことに気がついた。黒い子犬の腹がカッターで切られたような傷だらけだった。円は子犬を抱いて路地にでた。路地にでると電柱に迷い犬の貼り紙があった。円は子犬の腹の傷を見た。動物虐待が思いうかんだ。円は携帯をポシェットにしまった。抱いていた黒い子犬をベニヤと塗炭のトイレのある裏庭へ放った。やっぱり追いかけて捕まえて首輪を取ってやろうかもっと遠くに逃してやろうか迷っていたときだった。

「ママ! あそこ! 」

少女がかけてきた。後ろから和服を着た女が小走りでかけてくる。

少女は円が抱いていた黒い子犬を奪うように抱えた。黒い子犬は怯えているようだった。子犬は潤んだ目で円を見ていた。

少女と女は円にふかぶかと頭をさげた。

円は子犬の腹をさすった。キャン、と吠えた。ちかくの動物病院を教えてやったが女は円の話を聞いていないようすだった。円は胸ポケットに札を一枚ねじこまれた。少女と女は小犬を抱いて角にとまっていた黒塗りの車へあるいて、車は北に走り去った。

円は胸ポケットから札をだした。一万円だった。

円は路地を歩きだす。

路地裏でベビーカーを片手にビニールプールを膨らませている父親がみえた。ふたりの男の子が電柱に隠れたりして水鉄砲で撃ち合いをしている。ほかの子らは水ふうせんを投げあって遊んでいた。子どものひとりに見知った顔があった。この町内の仕切る茶道の家元の孫だった。その孫は立ちどまって円をじっと見ていたが円は無視した。
腕時計をみる。三時五分。スマホを取りだしてアプリを開いた。「只今支度中」と点滅している。
真夏の古都の盆地の昼下がりのねばり気が、円の肌にねばつく。さっきシャワーを浴びたばかりなのに。帽子くらい被ってくればよかったと後悔した。
あっ、円の後ろのほうから子どもの声がきこえた。円はふり返った。
やまなりに飛んできた水ふうせんが、円の白い服に命中した。薄い膜でつつんだ水の球は、円のうすく膨らんだ胸のうえで、王冠ができるように弾け飛んだ。円は口をあけ白目をむいていた。

子どもらはポカンとしていた。それから子どもらはどっと笑った。
円は胸元が冷たくてひんやりした。怒ったり嫌な気分はなかった。

浴衣をきた女の子が円の胸元を見て顔を赤らめていた。じぶんで白のカットソーの胸元をみると水でぬれて乳房が透けていた。ぬれた黒い乳頭のあとがシャツのしたから見えていた。おとこの子らがぬれた円を囃したてた。

水ふうせんが容赦なくなげつけられてきた。この界隈でしられた茶道の家元の孫が指図をしているようだった。ベチャ。ベチャ。ベチャ。円の足元にいくつもの水ふうせんが飛んできた。子どもらはみんな腹をかかえて笑った。
円は子どもらを無視して店へとあるきはじめた。

バチン。円の背中で水ふうせんが破裂した。子どもらは走ってにげていった。

陽はまだ高かった。はじけた水ふうせんは昨晩だかれた男の愛液となって円の背中を伝っていく。円の股は求めるようにジーンズに染み込む水を吸った。

円は立ちどまった。

携帯アプリの☟はここで点滅しつづけている。円はポシェットからビジネスカードを取りだした。やっぱりだ。

ドアの横に名刺にデザインされた銅製のランタンが掲げられている。なかにオレンジのLED電球が入っていて、うす灯りが灯っている。円は携帯をポケットに仕舞った。水が張った甕があった。

のれんをくぐって円は粉屋のドアの前にたった。

ドアに嵌め込まれたガラス越しに、黒のエプロンが動いていた。ドアの向こうは間接照明なのか、うす暗く室内ははっきりとは見えない。

円は、あの影は、本当にきのう祇園祭でであった男なのか、首をかしげた。その男に、昨日の晩、わたしはじぶんの部屋で抱かれたのか。現実感がわかなかった。円は粉屋に入ることを躊躇った。

ランタンの上、ドア横から太い蛇腹のダクトがつきでていて、コーヒーを煎った薫りと焙煎された豆の白い滓が吹きでてきている。

気がつくと朝からなにも口にいれていなかった。円の胃袋は急に乾いたスポンジのようになにかを求め始めた。

円はのれんをくぐった。

ドアを押した。カラン。ベルが鳴った。

円は目を細める。目が、店内の暗さに馴れない。

次第に、円の視界が広がっていく。

姿勢を正した男がレジの前に立っていた。背は178といったところか。円が153だから背伸びしても届かないくらいだ。三十代前半の奥二重の二枚目の男だった。

「いらっしゃいませ」店主の声が聴こえた。

円は一瞬でからだを固くして、言葉につまった。店主は円に笑顔を振りまいている。

レジがあるだけのスペースを一歩ぬけると、そこはカウンターの止まり木が四席だけの小さな珈琲店だった。四隅に間接照明があるだけの、雰囲気のある店だ。円の知らないピアノジャズがしずかに流れている。席は満席だった。

ぎこちない笑顔を返して円は、棚にある袋詰めのコーヒー豆を手に取ってそれを溜めつすがめつする。店主は、どうぞごゆっくり。というような笑みを見せて接客にもどった。

円はコーヒー豆の袋を片手にまた、洒落た店内を、見まわした。

白いワイシャツに黒エプロンの店主が立つカウンターの後ろの棚に、ごつごつした素焼きカップ、縁がうすい青磁イギリスカップ、抹茶をいれる七色の釉薬が光る茶碗のようなカップ、シンプルな絵柄のマグ、赤いエスプレッソカップなどが、常連に合わせてだしたり、一見の客の話のネタにできるようにうまく並べられてあった。

ようやく円の目は、店内の暗さに馴れてきた。もう一度円は、勇気を出して黒エプロンの店主をまじまじと見つめてみた。

店主は客席、四席のカウンターに立って食器を洗っていた。節くれだった女のような手だ。音楽が変わった。蛍の光になった。
円は顔をあげた。
円が帰ろうとすると、一番奥の、洒落た京友禅をきた老人が、わたしいま帰りますからどうぞ、といって円に席をゆずった。

「でも、そろそろ営業時間が」

「珈琲一杯くらいなら、つくれますよ。それにもしかしたら、お腹。空いてるんじゃありませんか?」

店主は笑った。含みのある意味ありげな笑いだった。

円は顔を真っ赤にさせた。どういうことだろう? けど昨晩、わたしを抱いた男粉屋の店主である、確証はどこにもなかった。たまたま、以前部屋にきた、別の男が「粉屋の名刺」を置いていったのかもしれない。けど、あんなピンクこたつのマフラーの山のてっぺんに、置くかな? 

老人に礼をいって円は奥の席に黙って座った。
五分も経たぬうちに、ほかの三人の客もかえっていった。円は腕時計を見た。三時半を過ぎていた。

店主は、壁にかかっていたロールカーテンの紐をするするとひっぱると、西に傾き始めた真夏の陽射しが店内に入り込んできた。

店内が路地に顔をだすと、円に水ふうせんをぶつけた子どもたちが集まってきた。この界隈で悪ガキでは札付きの茶道の家元の孫が中心にいて笑っていた。

子どもたちは店のなかの男と女を囃したてた。

「ほら、お腹、空いてるんじゃない。いいよ、好きなの食べなさい」

店主は円にメニューを渡した。さっきまでの客と話していた口調と違うのに円は、息をのんだ。

「いいんですか?」

戸惑いながら円はいった。

「へー、昨晩とずいぶん口調がちがうじゃないの。四条のバーでは、目がとろんとしてたし、わりとえげつないこと言ってたけど、クスリでもやってるのかと思ったよ」

店主は落ちついた口調でいった。バリトンで説得力のある声だった。

「え、わたし、そんなに酔ってました? 」

目を見開いてわたしは返した。

「冗談、後半部分は全部ぼくのうそ、前半の四条のバーまではホント」

店主は真顔で縁の薄いグラスを拭いている。この男、狸か。円は勘ぐってみる。だが勘ぐるだけ、真実から遠ざかって迷宮にはまり込んでいくようだった。円はふかく考えるのはやめた。

茶道の家元の孫が指示をしたのか、子どもたちはこんどはガラスに向かって水ふうせんを投げ始めた。水ふうせんのなかに赤や青や黄や茶色の液体が入れてあって、店のガラスはドロドロしたカラフルな液体で汚れた。店は被害を受けているのに店主はそれを見て鼻を鳴らして笑っている。不気味だった。外で何かが破裂する音がして店主は店をでた。

子どもたちが逃げていった。

円も店の外にでた。太陽の陽は柔らかくなって傾いている

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以下、ラストシーンだが、文脈を回収しに、再度、冒頭からリライトすべきだろうか? 悩んだ。今回はリライトせずに、これを提出原稿にする。

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のれんのしたにある水甕が割れていた。路地のうえで藻に絡まったメダカがぴちゃぴちゃ跳ねていた。店主は手ですくった数匹のメダカを店内のコーヒーカップに移した。

「メダカ。そのままじゃ死んじゃいますね」

円がいうと店主はケラケラと笑った。

「昨晩のキミの口から、え? そんな言葉がでちゃう? 」

円は顔をひきつらせ笑った。

赤や青や黄色や茶色にまみれたガラスの向こうに、黒い犬を追いかける親子がとおる。

「そうだ。あの子に、メダカを渡そう」

店主はメダカの入ったカップをもって外へ出ようとした。

「やめてください! 」

円は叫んでいた。店主は振り向く。

粉屋の窓は、子どもたちの投げたドロドロしたカラフルな液体で汚れていた。

「メダカを知らない人にあげるのはやめてください」

円は毅然といった。店主はメダカを縁日のビニール袋で下げるようして円に渡した。

「わたし、帰ります」

「え、帰るの? コーヒー淹れたばかりだよ」

突然、円は粉屋の店主のそのことばの軽さに、妙な嫌悪を感じた。子どもをあやす感じが気に障った。

円は金も払わずに、粉屋をでていった。


2022/01/14/Fri_20:28_Vol.15_Ver.5.3

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