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猛烈に小説が書きたくなる。恐ろしき三島由紀夫。20230223thu245@プロット沼「真夏の死」

662文字・+α・30min


急に忙しくなった。
家をでる。土手の風景を見る暇もない。
一晩で東京人になったようだ。半キロ歩いて足にくる。

曇り。
浜で稽古。
セリフマシーンになって本州へ言葉を放つ。
もう声は枯れない。ぼくの芝居が古いだのは、やぶれかぶれだ。体を動かすのは気持ちいい。
昨日、声をだしてよく眠れた。でも回復は間に合わない。
体力をつけぬかぎりオーバーヒートだ。
ピークをオーディションにぶつける。いまはそれが目一杯。
一服のために座る。すると波の音が耳に入る。エアバスが雲間をスライド。セスナは小蝿のように飛ぶ。カモメは悠然と羽を広げて飛び去る。

遠くで、母子三人が、浜辺で砂あそびをしていた。
若い母と五つと十だろうか。
屈伸をし、またセリフを読み始める。
ふと、ぼくは顔をあげた。

遠くで波が少女の足を洗う。少女は波から逃げる。姉は波をジャンプして騒ぐ。少女は手を広げた若い母にとんで抱きつく。

これは「真夏の死」だ!
ぼくは海にさけぶ。
ぼくは三島由紀夫はほどんど読まない。
「金閣寺」は触ったことすらない。
あの幸せそうな三人の風景を見て、
なぜ、ぼくの頭に三島由紀夫の「真夏の死」が浮かんだんだ?

ぼくの少ない読書経験でさらに数少ない三島作品の、あの感動が、脳裏に燦然と浮かびあがる。
あの母親の悲しみが。
恐ろしき、三島由紀夫。

これなんだよッ!!

書きたい欲望は「ハウツー本」のどこを探しても載ってねえんだよッ!!
ハウツーをだらだらと並べてねえで、オメエの魂の作品をおれに読ませろよッ!
それが作家ってモンだろうがッ!
とは思わないが。
海にそんな内容のことを一頻りさけんで帰る。
(662文字)

以下、Wikiより
真夏の死』(まなつのし)は、三島由紀夫の短編小説(三島自身はノヴェレットとしている)

生田朝子(ともこ)は3人の子供の母である。ある夏の日、朝子は6歳の清雄、5歳の啓子、3歳の克雄と、夫の妹の安枝とで、伊豆半島の南端に近いA海岸の永楽荘に遊びに来ていた。事件は朝子が永楽荘の一室で午睡をしている間に起きた。3人の子供と安枝は海に出ていた。そして2人の子供、清雄と啓子は波にさらわれてしまう。驚いた安枝は海に向かうが、襲ってきた波に胸を打たれ心臓麻痺を起す。一時に3人の命が失われた。

1人残された子供の克雄を溺愛しつつ、この衝撃から朝子は時間の経過とともに立ち直っていくが、それは自分の意思に関係なく悲劇を忘却していく作業であった。朝子は自分の忘れっぽさと薄情が恐ろしくなる。朝子は、母親にあるまじきこんな忘却と薄情を、子供たちの霊に詫びて泣いた。朝子は、諦念がいかに死者に対する冒涜であるかを感じ、悲劇を感じようと努力をした。自分たちは生きており、かれらは死んでいる。それが朝子には、非常に悪事を働いているような心地がした。生きているということは、何という残酷さだと朝子は思った。

冬のさなか、朝子は懐胎する。しかし、あの事件以来、朝子が味わった絶望は単純なものではなかった。あれほどの不幸に遭いながら、気違いにならないという絶望、まだ正気のままでいるという絶望、人間の神経の強靭さに関する絶望、そういうものを朝子は隈なく味わった。そして晩夏に女児・桃子を出産する。一家は喜んだ。

桃子が産まれた翌年の夏、事件があってから2年が経過した晩夏、朝子は夫に、A海岸に行ってみたいと言い出す。夫・勝は驚き反対したが、朝子が同じ提言を3度したので、ついに行くことになった。勝は行きたい理由を問うたが、朝子はわからないという。家族4人は波打ち際に立った。勝は朝子の横顔を見ると、桃子を抱いて、じっと海を見つめ放心しているような、何かを待っている表情である。勝は朝子に、一体何を待っているのか、訊こうとしたが、その瞬間に訊かないでもわかるような気がし、つないでいた息子・克雄の手を離さないように強く握った。



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