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クマの妻、第5話「紅葉狩り」

770文字・60min


秋。夕方。電車の中。
「銀杏が真っ黄色だったね」
「きれいだった」
「公園が広かったね」
「うん。広かった」
「歩いたね」
「うん。たくさん歩いた」
「家族がたくさんいたね」
「みんな幸せそうだった」
列車は国分寺に止まった。人がのりこんできた。ふたり組の主婦。「ガザ侵攻反対!」と襷(たすき)をかけた若者ら。背の低いこどもを連れた中年のカップル。おのおの散って席にすわる。
列車は走りだす。窓の外の黄色や赤の木々が後へ流れる。
僕は膝にのせた拳を強くにぎる。思いきって口を開く。
「…じつは小説を書いたんだ」
「え? なに? 」
妻は黒く曲がった鉤爪を、研ぐように擦(こす)りあわせ、僕をみた。


前方から若者の声が聞こえる。
「せんぱい、機動隊とぶつかって迫力満点でしたね」
「テレビ来てたよな」

後方は主婦だった。
「前田さん、働いてないのに私たちとおんなじ給料。やんなっちゃうわ」
「そう。あのひとタイムカード押すだけ」

僕の目の前には中年の家族がすわる。
とつぜん、中年の女が大声でしゃべりはじめた。
「あんたの好きなマンガを書きなさいよ! あなたがマンガを描かなくて、いったいだれがかくってのよ! 私にはかけないのよ! 」
中年の男はだまって俯(うつむ)く。
「お父ちゃん。お腹が空いたよ」
 こどもが言った。

「お父さん働いてないのかしら。あの家族」
「惨めね」
 主婦らは笑った。

「やべー。あの家族、ガザ地区より悲惨だ」
「おい、シャレにならないぞ」
「これからみんなどうします。居酒屋に行きます? 」
「賛成」
「卒業旅行はフランスっす。初海外だ」
「えー。うらやまだー」

「いまここで私にマンガを描くって約束なさいよ! 」
また中年女の声が車両のなかに轟いた。
「あんたはかけるんだから! 」
車両内は静まりかえった。

がたん。列車は揺れ、軌条をころがる音が聞こえる。
「で、あなた話は? 」
妻は僕を見た。
「いや、何でもないんだ」
僕は拳をにぎりなおした。


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