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【小説】ヒア・カムズ・ザ・サン#1

 ロックバー『ドアーズ』

 最寄り駅から徒歩で約5分、その先にはオフィス街もあって、若者よりは会社帰りのロック好きおじさんが集まる、マスター曰く場末のロックバー。店内では洋楽、邦楽、ジャンル、年代問わず、いつでもレコードをかけていて、週末には不定期で弾き語りのライブもしている。
 私がここでアルバイトをするようになってそろそろ2年半だ。
 今日は金曜日なので早い時間から混んでいて今は少し客足が落ち着いたところ。あと2時間もすれば閉店時間で他の店を追い出された人達でまた混雑するだろう。

 防音仕様の重たい扉が外から開かれる。

「あ、阿部さん、こんばんは」

 阿部さんはこの近くで音楽関係の仕事をしていて私がこの店で働き始めるよりも前からの常連さんだ。

「こんばんは、リカちゃん、いつものやつ今日ある?」
「ありますよ。あとビールでいいですか?」
「ラッキー、よろしく〜」

 『いつものやつ』とはここのマスター特製のチキンカレーで通常のメニューには無く幻のメニューなので一部の常連さんしか知らない。しかもマスターの気まぐれで作られるのでいつでも食べられるわけではなかった。

「何だかいつもよりお疲れですね」

 先にビールを差し出しながら尋ねる。阿部さんは確か私より4つ年上の34歳だったか、うちの常連さんの中ではまだまだ若い方でいつも溌剌としているイメージだけど、今日は少し顔に疲れの色が滲んでいた。

「お、さすがリカちゃん、よくわかるねぇ。今日朝からずっと会議、会議、打ち合わせ、会議、ライブハウス2軒ハシゴして今ここ。でまた会社戻る」
「…ビール飲んじゃって良かったんですか?」

 幾ら好きな仕事とはいえ、よく出来るな。私も会社勤めしていた頃もあったしそれなりに大変だったけど、ここまででは無い。
 それにしてもライブハウス2軒ハシゴした後にレコードをいつもかなりの音量で鳴らしているこの店に来るなんてよっぽど音楽が好きなんだな。

「はいおまたせ」

 チキンカレーの用意が出来てマスターが自ら阿部さんが座っているカウンターのテーブルに並べる。

「こいつは昔からこんなんだから、それでいつも彼女出来てもすぐフラれんだよ」
「余計な事まで言わないでくださいよ、何なら今の彼女ともちょっとヤバいし…」

 この仕事量でそれでも彼女がしっかりいるのが阿部さんのすごいところでバイタリティの成せる技だなと感心する。
 ちなみにうちのマスターは45歳で15年前、30歳の時にこの店を始めたらしい。阿部さんは少し歳の離れた兄のようにマスターの事を慕っていると聞いたことがある。

「しかも今新人発掘も任されてて、さっきもその担当してるバンド見てきたとこなんだけど、まぁこれが思ってたよりも大変で…、けど、何か、久しぶりに良いなって思えるバンドだから大事に育てて行きたい」
「へぇ、何だか子育てみたいですね」
「俺良い親父になれるかなぁ、あーもういい加減俺も結婚したい。…そういえばそこのボーカル、若いのにレコード好きだからこの店気に入ると思うし今度連れて来ますよ」

 ビールをもう一杯注文し、チキンカレーをキレイに食べ終わると「ごちそうさま。じゃ仕事戻ります」と言って阿部さんは颯爽と帰って行った。

 阿部さんと入れ替わるように団体客とその後にも数名なだれ込んできて後半のコアタイムが始まった。


 ロックバー『ドアーズ』は基本深夜3時までの営業だが、マスターの気分次第で朝まで開いていたりする基本的に自由な店だ。私はいつも開店前の18時から深夜0時までいる事が多い。帰りは近くで飲食店を経営している夫がいつも車で迎えに来てくれる。

「おつかれさま」

 車の助手席に乗り込むと夫はいつもそう言って私の頭をポンポンと撫でてくれる。一回り歳上の夫は私を溺愛してくれていた。 

「今日も大丈夫だった?」

 夫は私がロックバーで働いているのが心配で仕方がないのだ。とはいえ、あのお店に私を連れて行ったのは元はと言えば彼で、マスターは夫の大学の先輩だった。

「大丈夫だって。私はカウンターの中から出ないようマスターが徹底してくれてるから変なお客さんに絡まれる事もないよ」

 2年半前、あの店で働きたいと言い出したのは私だ。夫は当時もちろん反対した。マスターも乗り気では無かった。けど2人を説得していろいろな条件の元働かせてもらえることになった。

「なら、いいけど。…あと、リナちゃんからは連絡あった?」
「…ううん、今日も無かった」
「そっか」

 リナは、私の大学の頃からの親友だ。大学を卒業して就職してお互い結婚して、いろいろあって昔のように頻繁には会わなくなったけど連絡は取り合う仲だった。なのに、リナは半年前幾つかの私物を私宛に突然送り付けて来た後、消息を絶った。

「ほんとに、どうしちゃったんだろうね」

 電話やメールは私から一方的にしている。電話は常に不通でメールは気が付くと既読になっているが一度も返信が来た事はない。けど、メールを見てくれてはいる、それだけが救いだった。

「…うん、やっぱり今は待つしかないのかなぁ」

 ―私は大丈夫だから、心配しないで―

 リナが半年前くれた、最後のメールを思い出す。
 何が大丈夫なの。大丈夫なら連絡くらいしてよ。
 心配くらいさせてよ、友達なんだから…。



 客足もまばらな平日の22時過ぎ。今日はきっとヒマだろうからとマスターは開店する少し前から急遽例のカレーを煮込み始めた。今も付きっきりで仕上げの段階に入っている。
 カウンターを任されているのは私ともう一人、歳は私より下だけどキャリアは上の樋口くん。人懐っこい樋口くんと他愛もない話をしながら暇な時間帯をやり過ごしていると再生していたレコードがラストの曲でそろそろ終わりそうだ。お客さんからのリクエストもないので次にかけるレコードを選ぶ。あまり考える余裕もなかったのでぱっと思い付いたビートルズの『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』にした。
 レコードに針を落とし1曲目が流れ始めるとボリュームを調整する。途中の歓声に迎えられるように店の扉が開いた。

「いらっしゃいませ、あー阿部さん、こんばんは」

 先に気付いた樋口くんが声をかける。

「こんばんは樋口くん、ちょっと久しぶり?相変わらずいい選曲だねリカちゃん。あ、この匂い、仕込んでる?」
「こんばんは。もう少しで出来そうですよ、あ、今日はお一人じゃないんですね」

 お連れさんがいた。一人じゃないのは初めてでは無いが、阿部さんが誰かを連れてくるのは珍しい。その理由を好きな物は独り占めしたいタイプとか何とか言っていた。

 明らかに若そうな男の子。樋口くんよりさらに年下っぽい。風貌からしていかにもバンドマンて感じだから、この前阿部さんが言ってたバンドのボーカルの子かな。…何か既視感あるな。

「テーブル席にします?」
「あぁ、カウンターでいいよ。大事な話は済ませて来たし。リカちゃんはほんとに気が回るねぇ、おまえも見習えよ」
「今日はリカさんよりオレの方が先に阿部さんが来た事気付いたじゃないですか、充分でしょ」

 阿部さんは物怖じしない樋口くんをいじるのが趣味だ。

「阿部さんはビールでいいですか?えっと…」
「…あ、オレもビールで」

 派手な見た目に反して初めて連れて来られた場所に落ち着かない様子がちょっと意外でかわいらしい。

「カレー食べます?」
「もちろん。おまえは?」
「カレーですか?」
「そ、ここのマスターの特製チキンカレー、うまいよ」
「…じゃあせっかくなんで、いただきます」

 奥の厨房にいるマスターにオーダーを伝える。あと5分待てと返事があったので、それを阿部さんに伝える。そのやり取りの間ボーカルの彼は何故かずっと私の方を見ていた。

「私の顔何か付いてる?」
「あ、すみません、じっと見ちゃって…」

 無意識だったのか指摘すると恥ずかしそうに目を逸らされた。

「…何か、知り合い、に似てて」
「そうなんだ。ならおあいこかな。私も一目見て知り合いに似てるなって思ってたの」
「ほら、だから言ってるだろ、おまえの髪型とか格好とかバンドマンにありがち過ぎて個性がないって」

 若者相手に容赦ない阿部さん。この前言っていた大変と言うのは音楽だけでなくこういう事にまで口を出さないといけないと言う事かな。カレーが出てくるまでの間阿部さんの説教が続いていた。嫌にならないのかなと心配になったが、彼は黙って真剣に阿部さんの話を聞いている。柔軟性があって、何より阿部さんの事を信頼しているのが見て取れて安心した。

「はいおまちどおさん」

 ようやくカレーの登場だ。阿部さんはいつも通り、彼は少し遠慮がちにカレーを口に運ぶ。

「…うま」

 その一言と表情に満足気に笑うとマスターはまた厨房に戻って行った。



※このお話はグレープフルーツムーンの続編になります。

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