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【小説】いかれた僕のベイビー #23

 大阪から無事に戻り、それからの日々はまた曲を作ってはレコーディングをし、次のライブのためのリハーサル、合間にMVの撮影や音楽雑誌の取材、インディーズとはいえ、ミュージシャンらしく慌ただしくも充実した毎日だった。
 あの日、大阪で潮音ちゃんの話は聞けなくて、その後も改めて話す機会はなかなか持てないけど、それまでオレと潮音ちゃんの間に流れていた微妙な空気はもう無くなっていた。
 互いにどんな事情を抱えていたとしても、オレはマネージャーとしてはもちろん、人としても潮音ちゃんの事を信頼しているし、潮音ちゃんも表面上だけでなく、オレの内面を見て、理解し、全力で支えてくれようとしているのがわかる。

 きっとこれからは、何もかもがうまくいく。

 そんな風にさえ思っていたんだ。
 それくらい、大阪で潮音ちゃんと過ごした時間というものはオレに大きな変化をもたらしてくれた。



 何も知らないまま、……オレは一人で、ただ、浮かれていたんだ。




 ある日の夜、事務所内で単独のインタビューと打ち合わせを終えて、潮音ちゃんと二人で事務所を出た。
「車をまわしてくるから待っていて」との潮音ちゃんの言葉を無視して一緒に近くの駐車場へ向かう。
 あの大阪の夜以来、久しぶりに潮音ちゃんと二人きりなんだ、少しでも一緒にいて、話をする機会を窺いたい。

「……あのさ、潮音ちゃん」

「どうかされました?」

 とはいえやっぱりいざとなると切り出し辛い。
 歩きながら片手間に話すような内容ではないだろうし、かといってこれから二人で何処かへ行って改めて、というのも難しいだろうし、ならばやっぱり車の中が妥当か。
 と、その前に……、

「あー、あの、前に大阪で潮音ちゃんが言ってくれた事なんだけど、……ちゃんと考えてみようと思って」

「……え?」

「や、だから、作詞の、別の方法を模索してみようって、オレもさすがに自分の立場とか考えると、ほら、最近いろいろうるさいじゃん、そういう、女性問題とかさ。……でもまだ具体的にどうするって言うのは特に無くて、だから、潮音ちゃん、……一緒に考えてくれる?」

「…………」

「……潮音ちゃん?」

 立ち止まり少し驚いた様子でオレを見つめる潮音ちゃんの表情がほんの一瞬だけ緩む。

「……もちろんです」

 え?…今、……笑った?

 再び前を向いて歩き始めた横顔はもういつも通りの潮音ちゃんだった。

「それで、その、潮音ちゃんも、もし現状を変えたいって思ってるなら、逆にオレが力になるから。……だから、教えてほしい、潮音ちゃんが抱えてるもの、潮音ちゃんの事、オレもちゃんと理解したいから」

 駐車場に着いて車のすぐ側でまた立ち止まる。

「……私は」

「別に今すぐ話してとは言わないよ。この前のオレの話は、オレが聞いて欲しかっただけだから。オレはいつまでも待つし、潮音ちゃんがオレに話しても良いと思ったら、いつでも言って。……だから、今日のところはもう帰ろ?」

 そう促すものの、潮音ちゃんはその場に立ち尽くしたまま動かない。
 そして、振り向いて遠慮がちにオレを見上げる。

「……藤原さん、あの、私、」

「……ん?」

 縋るような目でオレを見つめてくる。

「……私も、」

「潮音!」

 潮音ちゃんが何か言いかけたところで、オレの背後から潮音ちゃんを呼ぶ声がした。

 この、声は……。

「仕事終わった?乗れよ」

 駐車場に停められていた一台の車の運転席から聞こえた声が誰かなんて、振り返らなくてもわかる、……なんで今、こんなとこにいるんだよ、向井さんが。

「……でも、まだ、藤原さん送って行かないと」

「一人で帰れんだろ、ガキじゃねーんだし。いいから乗れ」

 ノリが良くて、穏やかで、人と話す時はいつも笑顔で、……だから、向井さんのこんな冷めた眼差しも、口調も、初めて見た。
 ふと、いつかの夜の潮音ちゃんの話を思い出す。

 ――待たせると、暴力的になる事がある――

 もしかして、大阪でオレが潮音ちゃんを引き止めて、向井さんのもとに行かせなかったせいか?

「……すみません」

 怯えた表情でオレにだけ聞こえる声で呟くように言って、潮音ちゃんがオレから離れて行こうとする。

「潮音ちゃん!」

 行かせられるかよ。

 思わず彼女の腕を掴んでしまった。
 そんなオレたちの様子を向井さんは相変わらず冷めた目でじっと見ている。

 ダメだよ、いつまでもこんなこと続けてたら。
 キミに、こんな顔させるだけの男に好きにされていたら、ますます自分を見失うだけだ。
 だから、これからは、オレと一緒に……、

「……ごめんなさい、離して」

 震える声で発せられたその一言に、彼女の腕を掴んでいた手から力が抜けて行く……。
 その瞬間泣きそうな顔でオレを見て手を振り解くと、潮音ちゃんはそのまま走って向井さんの車に乗り込んだ。
 呆然とその場に立ち尽くすオレの目の前で、向井さんは見せつけるかのように、助手席に座る潮音ちゃんにキスをしてから車を発進させた……。

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