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【小説】ヒア・カムズ・ザ・サン#7

 リナと知り合ったのは大学に入学したその日。
 高校時代の友達の進路はみんなバラバラで、同じ大学に入学した仲良しの子はいなかったため、私は少し緊張気味だった。周囲の様子を窺っていると同じように所在なさ気にしている女の子が目にとまり、背格好も雰囲気も何となく自分に近いものを感じ取って声をかけるならまずあの子だなと思い、私からアプローチをかけてその日からリナと一緒にいるようになった。
 学部もサークルも一緒、リナの家が大学に近かった事もあってよく遊びに行ってはそのまま当たり前のように泊まっていく。大学生の頃は本当にずっと一緒だった。彼氏よりもお互いが優先、2人で同じ授業を受け、2人で学食のランチを食べて、2人で買い物に行って似たような服を買う。気が合い過ぎたせいでお互い他に友達はほとんど出来なかった。それでも、リナと、あとは共通の友人知人、あの頃の私達にはそれだけで充分だった。

 大学を卒業して就職した会社を1年で辞めて、夫と結婚してからは昔のようには会えなくなったけどリナとの関係は続いていた。
 私がこの店で働かせてもらうようになって「飲みにおいで」とずっと誘っていたけど、リナはなかなか来てはくれなかった。だから、あの日リナが突然あの扉から顔を覗かせた時、本当にびっくりしたし、本当に嬉しかった。
 あの日のリナはカウンターに座って私と話をしていても何処か落ち着きがなくて、何なら時々上の空だった。その時の様子が気になっていた私は後日、当時リナが一人暮らしをしていたマンションをかなり久しぶりに訪ねた。


「あれ、彼氏来てたの?」
「…え?」
「男物の傘」

 玄関を入ってすぐの棚の上に綺麗に畳まれた折り畳み傘が置かれていた。

「あぁ、うん…」
「そうなんだ。あーほんとリナの部屋に来るの久しぶり、けどあんまり変わってないね」
「そう?これでもさすがに色々変わってるんだよ、テーブルとかカーテンとか、あ、ベッド横の照明も、もう7年くらい住んでるからね」
「そんな経つんだ。んーでも、やっぱ変わったのあんまわかんないな、リナの好みっていうのはわかる」

 リナは大学3年の頃からこのマンションに住んでいる。それまでは学生向けのアパートに住んでいたが当時のアルバイト先の男性にストーカーまがいの事をされ危ない目にあったのをきっかけにオートロックで駅にも近い今のマンションに引っ越した。当然家賃も高くなるので大学にバイトに毎日大変そうだった。

「そうだ、リカ、レコードいる?」
「え、何で?」

 急に思い立ったようにリナがそう言った。

「全部手放すから、もしあのお店に無くているのあれば幾らでも持って行って、レア物は全然無いけど。でもあのお店のレコードの量なら大抵の名盤は揃ってそうだね」
「…そんなことより、持って行かないの?」
「うん」
「リナ、…いいの?」
「決めたの」

 …リナが決めたのなら私はもう何も言えない。
 やっぱりダメだったのか…。

「…じゃあ、ちょっと見させて、マスターにも聞いてみるし」

 そう言って私は綺麗に並べられているレコードを順番に見始めた。そして同時に私が今日ここに来た目的を思い出した。

「…ねぇリナ、この前お店来てくれた時、あの日何かあった?」
「…え、どうして?」
「なんか、落ち着きなかったし、時々上の空だったから」
「そうだった?ごめん、初めての場所にいきなり押しかけてちょっと緊張してたかな」

 リナはそう言って笑ったけど、やっぱり何処かちょっと嘘っぽかった。

「…ならいいんだけど、あ、くるりとエゴラッピン、サニーデイも貰っていい?あの店邦楽のレコードは少ないんだよねぇ」
「いいよ」
「ゆらゆら帝国とか懐かしい…、あ、そうだ、トム・ウェイツの『クロージング・タイム』あったよね?リクエスト多いんだけど最近音飛びするようになってきたから…」
「……あー、ごめん、もう無い。先にあげちゃった」
「なんだそうなんだ、友達?珍しいね」
「………」
「…リナ?どうかした?」

 リナは表情を強張らせて急に黙り込んでしまった。

「さっきまで、ここに来てた子…」
「…何、どういう事?誰か来てたの?」
「……音楽好きの子」
「…男?」

 「子」って言うことは年下かな。

「……うん」
「リナ、何やってるの、もうお互いいい大人だからどうこう言うつもりないけど、けどさすがに今は…」
「…わかってる。私だってダメだって思ってた、でもどうしても止められなくて…。でももう、終わったから…」

 リナは今にも泣き出しそうな顔をしている。というか、私がここに来る前泣いていたのかな、よく見たら目元が少し腫れぼったいような気がする。

「…好きになっちゃったんだ」
「……最初はちょっとした好奇心だった。彼氏よりも趣味が合うし仲良くなれたら、くらいで…。けど初めてうちに泊まった日の朝、彼が帰った後一人になって、さすがにバカな事したって、次は絶対ダメだって、…でも鍵を閉めようと玄関に行ったら、彼が傘忘れて行ってるの見つけて、多分わざと。…私それ見て、嬉しかったの、また会える口実を作ってくれたって…」

 玄関の棚にあったあの折り畳み傘かな。昨日の夜も雨が降っていた。だとしたらその彼はまたわざと忘れて行ったの?それって…。

「その子もリナの事好きだったんだね…」
「……わからない」
「何で?」
「そういう話はしなかったから。彼氏と別れて欲しいとか、付き合って欲しいとか言われなかったし、単に都合の良い相手だったのか、私の事本当のところどう思ってたのかはわからない。私から聞く事もしなかった。彼と出逢った時にはもうこの部屋も解約して出ていく事決まってたし…。それに、もしお互い好きだったとしても、彼氏と別れて彼と付き合っていく覚悟は、私には無かった…」
「…まぁ、アラサー女が幾つ下か知らないけど今からもう一度一から恋愛始めるのはさすがに覚悟いるね」
「…まだ大学生」
「あー、それは正直キツイな…」

 どんなに心惹かれる相手だったとしてもリスクが大き過ぎる。

「けどリナって昔からそう言う曖昧な関係好きじゃ無さそうだったのに意外と言うか、大学の時のサークルのそういうノリとか毛嫌いしてたよね?それなのにそんなにハマっちゃったんだ、どこがそんなに良かったの?」

 少しでも気を楽にしてあげようと軽く言ったつもりが、リナは一層顔を歪ませた。

「…会えばわかるよ」
「…会わないよ、もう終わったんでしょ?」
「そうだね」 

 そう言ってリナは寂しそうに笑った…。



 まさかね、さすがにそこまで世の中狭いはずは無い。それでも一度浮かんでしまった考えを簡単に打ち消す事が出来ずに私は阿部さんと樋口くんの話を聞きながらずっとリナの事を思い出していた。


 リナ、会いたい、会って話したい事がいっぱいある。はやく戻って来て…。


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