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【小説】グレープフルーツムーン#10
初めて出るライブハウスのステージに少し緊張気味だったが、結論から言うと最高に気持ち良かった。キャパシティは約350人でインディーズからメジャーのアーティストまで使用する人気のハコだ。プロ仕様なので音の抜けも良く照明も凝っている。主催のバンドは特にこのエリアでは人気のバンドで残りの2バンドもオレたちよりキャリアが長く固定客もしっかり付いている。今回はオレたちも必死でチケットを売った。大学の友人からバイト先の人まで知り合いという知り合いすべて声をかけた。その甲斐もあり、トップバッターのオレたちの時点でもかなり客が入っている。おかげでステージからは英理奈さんの姿は全く見えなかったが、彼女の事だから今日もきっとドリンクカウンターの近くで見てくれているに違いない。カバー曲をジミヘンの『ファイア』にしたのも当たりだった。対バン相手の客層は洋楽好きの男性が多くノリも良くて曲が始まるとすぐ反応して盛り上がってくれた。
『ありがとうございます…』
あっという間に次がラストの曲だ。
フロアの後方にあるドリンクカウンター付近、英理奈さんがいるはずの方向にどうしても目が行く。
ラストの曲はオレのギターと歌から入る。息を大きく一つ吐いて、視線は一点を見据えて……、
『〜……… ♪〜』
驚いたメンバーがオレを見る。
ビートルズの『エリナー・リグビー』をアカペラでワンフレーズだけ歌うと、一呼吸置いてオレはギターを掻き鳴らしラストナンバーを改めて歌い始めた…。
出番を終え、控え室で一息ついてからフロアへ向かう。
英理奈さんはやっぱりドリンクカウンター近くの壁にもたれ掛かるようにして次のバンドを見ていた。その姿を視界に捉えただけで自然と笑みが溢れる。オレに気付くと彼女は笑顔で右手をあげ、それに応えるようにオレも右手をあげてハイタッチをし、一緒に壁にもたれてステージの方向を見た。
仕事の都合で平日のライブならスタートより遅れて来ることはあっても、英理奈さんは余程のことが無い限り、ライブは最初から最後までいる。彼女と出会う前から対バン相手のライブは出来る限りちゃんと見るようにしているオレの姿勢を褒めてもくれた。彼女はライブの間は決して騒ぐようなタイプではないが、その分いつもしっかり演奏を聴いているし、本当によく観ている。オレはそんな彼女の様子を隣で眺めているのが好きだ。そんな彼女だけど、今日はいつもよりテンションも高めで楽しそうだ。アルコールの進みが速いせいか、出来れば早々に出番を終えたオレとずっと一緒だから、そうだと思いたい。
イベントも終盤、トリを飾る浜野さんのバンドがステージに上がる。知人を介して浜野さんを紹介してもらう際にオレは何度か彼らのバンドのライブを見に行った。噂に聞いていた以上に演奏も歌もレベルが高く、何より彼らの音楽へのリスペクトやこだわりと言った熱量がダイレクトに音に乗っかって伝わってくる。
1曲目はここのところのライブで定番になっているスライ&ザ・ファミリーストーンのカバーだ。会場のボルテージが一気に上がる。
このバンドはきっと英理奈さんも気に入るはず、そう思って隣にいる彼女を見ると、どうにも様子がおかしい。表情を強張らせてステージを凝視している。ついさっきまであんなに楽しそうにしていたのに…。
「……どうしたの?」
ただならぬ様子の彼女に不安を抱き手を引っ張ってこっちを向かせる。
「あ、うん、大丈夫、何でもない…」
一度はオレと視線を合わせてくれたが、すぐに逸らされ英理奈さんはまたステージに視線を戻す。顔は相変わらず強張ったままだ。…どう見ても大丈夫じゃない。
結局英理奈さんはライブが終わるまでずっと同じ状態だった。それ以上取り乱すわけでもなく落ち着きを取り戻すわけでもなく、じっと押し黙ったままステージを見つめていた。
バンドのメンバーがハケてステージが暗くなると同時にフロアが明るくなる。それでもまだ英理奈さんは動かない。いい加減沈黙に耐えきれなくなってオレが口を開きかけた時、
「近いうちに、話さないといけない事があるの。時間出来たら連絡して」
暗い無人のステージを見つめたまま、彼女はそう言った。
「…何、それ。そんな言い方されると気になるじゃん、今言ってよ」
指先が冷たく感じる。早鐘のような自分の心臓の音がうるさくてしょうがない。
「ちゃんと、話したいから、ごめん」
まだオレを見てくれない。
「…ねぇ、こっち向いてよ」
「………」
「英理奈さん!」
彼女の腕を力任せに引っ張る。
「…今日は、もう帰るね」
作り笑いを浮かべ、オレの腕を振り解いて英理奈さんは出口へと歩き出した。急な変わりように全く理解が追いつかず一人取り残されかけたがすぐに我にかえり彼女を追いかける。
「ちょっと待ってよ英理奈さん!」
ロビーを抜けてエントランス付近で追いついた。
「とりあえず、送っていくから…」
…少しだけでもいい、今話がしたい。
「大丈夫、駅もすぐ近くだし」
頑なな彼女の態度に痺れを切らし人目も気にせず手を引いて歩き出そうとした時だった。
「あ、やっぱり、森さん」
反射的に繋いだ手を離す。誰かを見送って戻って来たらしい一人の男性が声をかけてきた。浜野さんのバンドのヘルプでベースを弾いていた、確か名前は…、
「……長池くん」
微かに震える声で発せられた彼女の声に驚いてオレは2人の顔を交互に見る。…知り合い、だったのか。
「あー良かった。オレの事覚えててくれてたんすね。お久しぶりです。昔はそんなに絡む機会無かったから声かけたはいいけど、覚えてなかったら気まずいなぁって一瞬思いましたよ」
「覚えてるよ。ステージでもすぐ気が付いたし、ベース続けてるんだね」
「今日はヘルプですけどね、一応自分のバンドもやってますよ」
「……あの、2人はどういう…?」
このままでは完全に蚊帳の外だ。居た堪れなくなる前に会話に割り込む。
「あぁ、ごめんね。大学のサークルの先輩と後輩」
英理奈さんと自分を指差しながら長池さんは簡潔に関係を説明してくれた。
「自分のバンド見させてもらって、フロアで見かけたから声かけようと思ったら2人一緒にいるの目に入って、そん時から森さんに似てるなーと思ってたんだけど、何か良い雰囲気だったし邪魔したら悪いかなって声かけられなくて、…やっぱ森さんだったんすね、ちょっと驚いたな」
英理奈さんはさっきから黙ったままだ。構う事なく長池さんはさらに話を続ける。
「1曲目からなんか既視感あるなぁって思ってたんだけど、ジミヘンの『ファイア』演ってんの見てマジかよって思って、で、森さんと並んでる姿見てるともうほんとに、ヤバいくらいそっくりだな、ねぇ森さん、…森さん?」
隣で立ち尽くしている英理奈さんの様子を伺う、見たこともない程に顔が真っ青だ。
そっくりって、誰が、誰に…?何の話だ?
「ごめんなさい、急いでるから、帰るね」
そう言って、一度もオレを振り返ることなく、英理奈さんは走って行ってしまった。その後ろ姿をオレはただ呆然と見ているしか出来なかった。
もうこれ以上追いかける気力も無い。
「…あー、言っちゃまずかったかな、ごめんな」
その様子を共に見ていた長池さんが申し訳無さそうに呟く。
「…そっくりって、誰の事ですか?」
長池さんはオレの質問にすぐには答えず、じっとオレの顔を見ている。
「その前に、2人って付き合ってんの?」
「……いえ、付き合っては、無いです」
「…ふーん、まぁいいけど。森さんが言ってない事オレが勝手にしゃべるのもなぁ。でもまぁ中途半端に聞かされたら気になるよな。じゃあ、警告代わりに教えてやるよ」
…警告?
「付き合ってないんなら、あの人はやめといた方がいい。…おまえさ、森さんがサークル時代仲良かった先輩と、そっくりなんだよ」
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