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【小説】グレープフルーツムーン#11


 彼女の部屋のインターフォンを鳴らす。3回鳴らしても応答はない。電話にも出ない。まだ帰っていないのか、居留守か、どちらかはわからないが、とりあえず今はオレに会いたくないという事なのか。ギターケースとエフェクターケースを両手に抱えてオレは駅へと引き返す。
 今しがた電車が到着したらしい、大勢の人が改札を潜り抜けそれぞれの目的の方向へ散っていく。その中に彼女の姿がないか目を凝らしていたが、見つける事は出来なかった。諦めて次の電車に乗って今日はもう帰ろうか、そう思ったが、足が動かない。結局オレは、駅の構内のあまり人目に付かない場所に座り込み、改札を行き交う人々の流れをしばらく眺めていた。

 長池さんとの会話を思い出す。

「オレが大学入学してサークル入った時、森さんは4年だったから、さっきも言ったけどあんまし喋ったことはなかった。けど、美人で目立ってたし、顔と名前は知ってたよ。森さんともう1人、似たような感じの田村さんて女の人と仲良くていつも2人一緒にいた。で、サークルのライブとか学祭とか、その2人とずっと一緒にいたのがサークルOBの浅野さん。うちの大学ではちょっと有名な人だったし卒業後もバンドやってたからオレも何度か見に行った」
「…その人が、ファイア演ってたんですか?」

 ―そうだなぁ、次の曲かな、ファイア―

「そう、割といつも演ってたな、すげーカッコ良かったの覚えてる。あんなカッコよくギター弾いて歌える人、高校卒業したばっかのオレの周りにはいなかったから衝撃だったな」

「ビートルズのヘルター・スケルターは?」

 ―ヘルター・スケルター、演ってたよね―

「あぁ、演ってた。オレ、ビートルズってそれまでちゃんと聴いてこなかったんだけど、あのサークルやたらビートルズ好き多くて、それも浅野さんの代かららしいけど、かなり影響受けてそっからオレもビートルズ聴くようになったな」
「トム・ウェイツは?」 

 ―うん、私も好き―

「トム・ウェイツ?さぁ、どうかな?オレは直接の知り合いじゃないし全部は知らないから演ってんのは観たこと無いけど、好きでもおかしくはないかな、渋めが好みみたいだったし」
「…その人って、ギター、レスポールですか?」

 ―なんでレスポールにしたの?―

「……あぁ、まあね」 

 長池さんの話を聞いているうちに、英理奈さんと交わした会話が蘇る。

「まぁ、これでだいたいわかったろ。ちなみに、似てるのは音楽性だけじゃない、背格好や顔立ち、髪型、ギターの弾き方歌い方、知ってる人が見たらちょっとビビるくらい似てるよ。…森さんはきっとおまえに浅野さんを重ねてる。あの慌てようが物語ってるよな」
「英理奈さんはその人と付き合ってたんですか?」
「さぁね、オレあんましそういうのは興味なくて、仲良かった2人のどっちかと付き合ってるらしいって噂は聞いたことあったけど、どっちだったかまでは知らない。どっちにしたってあんま深追いしない方が良いと思うよ、もう遅いかもしんないけど。おまえも、森さんも辛くなるだけだって…」


『あの娘はやめた方がいい』長池さんより先にそう言っていた人がいた。どうしてもあの時の話をもう一度したくて、オレは電話をかけた。 

『おぉ、どうした?珍しいな』

 電話に出てくれた。英理奈さんと出逢うきっかけになったライブの主催者、松本さんだ。

「すみません、突然、今大丈夫ですか?」
『大丈夫だけど、何?なんかあった?』
「あの、前に対バンさせてもらった時に、えり、あの松本さんと一緒にいた女の人、あの娘はやめとけって、松本さんが言ってたの、覚えてますか?」
『あぁー、森ちゃん? …もしかして、あの後会った?』
「………」
『あのライブの次の日かな、森ちゃんから電話かかってきて怒られたわ。なんでこういう事するんですかって。まぁオレとしては?おまえ見てたら知ってる人に会わせてみたくなるじゃん?どういう反応するかなって、だから本気で2人を会わせようと思ってたわけじゃなくて、けど、ちょっと悪趣味だったかな。だから森ちゃんと話してる時におまえが声かけてきたから内心すげぇ焦ったよ。まぁ今おまえらがどういう状況かあえて聞かないけど、まだ間に合うなら引き返せよ。引き合わせたオレが言うなって感じだけど。何かあったらいつでも相談乗るし、いつでも電話して来い』

 相変わらず、めちゃくちゃ良い人だな松本さん。話してくれた以上の事を問い詰める気も失せた。

「ありがとうございます、急に電話してすみません」
『全然いいって、じゃあまた対バンしような』

 そう言って電話は切れた。

 松本さんの話から推察するに、英理奈さんはあの日オレと出会えて喜んでいたわけではない。内心相当動揺していただろう。それでも彼女は平然とオレに対応していた。松本さんの見ている前で。そして、自らの意志でオレに会いに来てくれた…。恋人がいようがそこだけは信じていられたのに、それにさえ別の意味があったのか。もう今となっては恋人の存在も、父親の話も、全てが作り話のように思える。何が本当で嘘なのか…。答えを聞くのは正直怖かった。英理奈さんと出逢ってからの日々が本当に幸せ過ぎて、こんなふうに誰かを強く求めたのは初めての経験だった。

 どれくらいの時間ここでこうしていただろう。日付が変わりそうな頃、流石にもう諦めて電車が動いているうちに帰ろうと立ち上がったその時、今まさに改札を潜ろうとしている彼女を見つけた。ギターケースとエフェクターケースを担いで走る。正面に立ち塞がるオレに気付いて彼女は足を止めた。

「どうして、いつからいたの…?」
「………」
「あぁ、そうだよね、あんな帰り方したら、ごめん、私いつも自分の事ばっかりで…」
「…どこに行ってたの?」
「友達の働いてるお店…、それより打ち上げとか、大丈夫なの?」
「…うん、うちのメンバーと、長池さんがフォローしてくれたから」

 長池さんと話した後あまりにも生気を失っているオレを気遣ってうちのメンバーと長池さんが帰るよう促してくれた。その足で自宅には戻らず、ここでずっと英理奈さんを待っていた。

「…長池くん、あの後、彼と話、した?」
「…うん」
「……そっか、わかった。私達もちゃんと話、しようか」

 今にも泣き出しそうな顔で彼女が言う。

 何でだよ、何で英理奈さんがそんな顔するの。

 泣きたいのはオレの方だ。



 2人とも無言のままで彼女のマンションへ向かう。
 その間オレは英理奈さんと出会ってから今日までの事を思い返していた。確かにオレ達の出会いは仕組まれていたのかも知れない、けれど、直接紹介をされたわけではなく、英理奈さんと言葉を交わしたのはほとんど偶然だ。松本さんも会わせるつもりは無かったと言っていた。次のライブに来てくれたのは彼女からで、その日の打ち上げも無理強いしたわけではない。彼女から連絡が来たのは、一度だけ、初めて2人だけで会った日。あれは恋人にドタキャンされた寂しさからか。それ以外はいつもオレから連絡をしていた。部屋に誘って来たのは彼女の方だ、あの時の様子からすると、そういうつもりでは無かったのかも知れない。体の関係は、確かにオレが強引に迫ったが、その後は拒否する事だって出来たはずだ。だけど彼女はそうはしなかった。オレと会えばそうなる事はわかっていたはずなのに、いつだって彼女はオレを受け入れてくれた。一緒に好きな音楽の話をして、好きなレコードをかけて、好きなお酒を飲んで、大好きだった父親の面影さえもオレに重ねていたのか。待ち合わせをして外で会ったのは2回だけ、彼女の部屋に行くようになってから2人で何処かに出かけた事は無い。ライブには必ず来てくれた。打ち上げに参加してくれたのは最初の一度だけ。今日のライブはずっと一緒にいられて、彼女も楽しそうで、オレも本当に楽しかった。…なのに、こんなことになるなんて。

 彼女のマンションに着き、部屋のドアが開かれ一緒に中へ入る。通い慣れたはずの部屋が何故か初めて訪れた空間のように思えた。
 初めてステージに立つオレを見た時、オレと話をした時、オレにメールを送ってくれた時、オレと一緒にレコードを聴いていた時、オレにキスをされ抱き締められ、この部屋のこのベッドで何度も、何度も抱き合っていたあの時、英理奈さんの目には誰が映って、誰を想っていた…? 

「座ってて、何か飲む?お腹は減ってない?」

 キッチンへ向かおうとした彼女の腕を掴んで引っ張り、ベッドに押し倒す。

「ちょっと待って、ちゃんと話しよう、全部話すから!」

 必死で抵抗する彼女の体を押さえ込み強引に服を脱がせる。

「やだ!やめて、お願い」 
「いいから、もう黙って。…いつもみたいにやらせてよ」

 彼女の動きが止まり表情が凍りつく。
 我ながら最低なセリフだ。けど話をしてからだと、もっと酷いことをしてしまいそうだった。

 長池さんとの会話の最後を思い出す。

「その、浅野さんて人は今どこに…」
「あぁ、…3年くらい前かな、亡くなったって聞いた」

 父親の面影でも、恋人に会えない寂しさの穴埋めでも何でもない。

 オレは、死んでしまってもう二度と会えない男の身代わりだったんだ…。


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