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2021年、アラサー女子の主張。

Experienced by many but talked about by few

デリケートな問題ほど、発言するには勇気がいる。
私も根はけっこうチキンだったりするから、いつも下書きを書いては消し、書いては消しを繰り返し、ようやく書き終えた記事も、「下書き」を「公開」するのにそこからまた1ヶ月くらい要したりする。

昨年11月、ミーガン妃がNew York Times誌に寄せたエッセイの中で、第二子を流産していたことを明かした。
(全文はこちら▶︎https://www.nytimes.com/2020/11/25/opinion/meghan-markle-miscarriage.html

an almost unbearable grief
(耐えがたい深い悲しみ)

と表現した彼女の心中は、ちょうど同じ頃に流産を経験した身の人間には想像に容易い。
だがそれを"公表"したことが持つ重みは格段に異なる。
彼女の行動には、称賛もあれば批判もあった。
有名で地位のある人物が、語ることをタブーとされる話題を発信したことで、同様の悲しみを一人で抱えていた孤独な人々は救われる想いだっただろう。
一方で、そんなプライベートなことをベラベラと世間に喋りやがって、というロイヤルファミリーの反対もわからなくはない。

だが私が注目したいのは、この発信のおかげで「流産というものが実は身近で誰にでも起こりうるということを多くの人に知らせた」という事実だ。
メーガン妃自身も以下のように綴っている。

In the pain of our loss, my husband and I discovered that in a room of 100 women, 10 to 20 of them will have suffered from miscarriage.
(お腹の子を失った悲しみの中で、夫と私は「100人中10~20人の女性は流産を経験する」という真実を初めて知った。)

これに深く頷けるのは、私自身も稽留流産の診断を受けるまで、こんなにも流産率が高いことを知らなかったし、妊娠したら当然のように出産できるもんだと思い込んでいたからだ。
これでも一応4年制の国立大出身として相対的には優等生として生きてきた。そんな人間が、これほど根本的で重要なことを自らが当事者になるその瞬間まで知ることのなかった社会...

異常じゃないか。変えなきゃならん。

それが、半年前、私も自分の流産について恐る恐る語ってみた理由の一つである。

そんな中で先日の『逃げ恥』効果もあり、「今なら妊娠出産について少しはオープンな雰囲気で語ることができるような気がする」と背中を押された気持ちで、今この記事を認めている。
ただし、自身はまだ出産も育児経験もないわけで、それらについて一丁前に語ることは残念ながらできない。
ここでは、自らの流産を機に「妊娠と出産と育児」について真剣に向き合い始めた"いちアラサー女子"の意見としてお手柔らかにご覧いただきたい。

数字で見る妊娠・出産

まずデータとして、以下の情報を示しておきたい。

2019年の日本の出生数は過去最少の約86万5000人。(厚生労働省調べ)

2020年には新型コロナウイルスの影響で「産み控え」という気持ち悪い言葉まで誕生し、さらに数が減少すると予想されている。
つい先日東京都の百合子ちゃんが、2021年度に誕生する子供のいる世帯に10万円ずつ支給する予定で予算に組み込むとか何とか言っていた。

そして、私が見過ごすことができないのは、ここに含まれていない妊娠の数
先ほど「10~20%の女性が流産を経験する」と書いたが、仮に全妊娠の15%が流産に終わるとすると、以下のような数値になる。

2019年の流産数:約15万3000胎
2019年の死産数:約1万9500胎(厚生労働省調べ)

流産数も然ることながら、妊娠12週を超えてからカウントされる死産の数が約2万胎だという事実にも驚いてしまう。

さらに続けると、一度の妊娠で流産する確率が約15%なら、二回続けて流産してしまう確率は、

15/100×15/100=0.0225 すなわち、約2.2%

それでも、一度15%に入った経験がある人なら、またその15%になるかもしれないという不安を絶えず抱くだろうし、それぞれは全くの独立した事象だ。可能性がゼロでない限り、安心することなど、できっこないのである。
この不安は、週数が進んでも今度は「障害をもっていないだろうか、切迫早産にならないだろうか」と変化していくだけで、なくなることはない。
どれだけ可能性が低かったとしても、そのたった◯%に入らないことを祈りながら過ごす。

「統計上6人に1人が流産するなら、この中で誰かがそうなるのか...」と産婦人科で自分の順番を待ちながらそんなふうに考えたこともあった。
私の場合はまだ胎動も感じる前だったし、そこまで愛情が芽生えていたわけでもなかったが、もしこれが生まれる直前の死産だったりしたら、乗り越えられる自信なんてめっぽうない。
去年ですら、しばらくは周りの妊娠・出産報告が羨ましかったし、あえて投稿を見ないようにしていた時期もあった。
マタニティ用品を検索したおかげで出てくる広告を目にしては、ケータイのアルゴリズムを恨んだ。
「海外旅行にいけなくなる、なんて思ったのがいけなかったのか?普段の行いのせいか?」
自問し、ただただ隣の芝が真っ青だった。

どれだけ医療やテクノロジーが発達しても、決して人間の手では作り出せない儚く脆い生命の宇宙、人知を超えた世界がそこにはある。
言い換えれば、ロボットが人間を生む時代にでもならない限り、決して逃れることのできない問題が立ちはだかっているのである。

『逃げ恥』に学ぶ、夫婦の相互理解

ドラマの中で「ほほう」と思ったのは、みくりちゃんと平匡さんがお互いのストレスやプレッシャーでぶつかったとき、「僕だって辛い!」と言う平匡さんの思いを、みくりちゃんがきちんと受け止めたシーンだ。
私も女だから、どうしてもみくりちゃんの立場から眺めてしまう。
そして自分に余裕のないときほど、相手の視点で物事を考えることは難しい。

テレビの中では、「つわりがしんどい」とは言いながらも艶のある妊婦だったみくり、というかガッキー。
実際のつわりはあんなもんじゃないし、あれだけ肌も髪もきれいなら万々歳だ。
いつ終わるともわからない吐き気や気怠さ、めまい、頭痛、腰痛、眠気、便秘、とまらない唾液、ゲップ...
ありとあらゆる不調総動員制の攻撃に、ただただ耐えるしかない日々。
もはや生きた心地なんてしないし、息しているだけの毎日だ。
そんな中で夫がカレーでも食べようもんなら、「お〜の〜れ〜〜」と今まで感じたことのないような殺意が湧く。
もはや自分の旦那の匂いでえずき出したりするもんだから、仲間は無臭の空気だけだ。
食べてなくても嘔吐はするから、体内で作られているとは信じがたい、やたらとまずい胃液と胆汁が出てくる。
どれだけ説明しても"わかってもらえない辛さ"に泣くのである。

一方で、世の旦那さんだって大変なのだと思う。
今までは、やると喜ばれていた料理や掃除、洗濯。
ある日突然、料理をすれば匂いが無理と言われ真冬に窓全開の家と化し、
掃除機をかければ音で頭痛がするからと寝室に籠られ、
洗濯物を干せば柔軟剤が無理なんだけどとキレられる。
「気分転換に散歩行く?」と誘ってみても、行けるわけないでしょと一蹴され、どんどんやつれていく妻が腫れ物にしか見えなくなる。
自分の妻であるはずの人間が、得体の知れないバケモノになってしまうのである。

こんな状態で仲良くやっていこうなんて、それはもう、買ってもいない宝くじが当たるのを待つようなもんじゃないか。

衝突の主な原因は、"相手のことを想像できない"ところにある。
だからみくりちゃんも、辛いのは自分だけじゃないのだと気づいたとき、それまでは「どうしてわかってくれないの!」だけで埋め尽くされていた感情が少し緩んで、「平匡さんのことをわかってあげようとしなかった自分」にハッとした。

もしお互いが、こういうことが起こるかもしれないと予め理解していたら?
この場合には、こういう対処をすればお互いラクだよねということを前もって予測できたら?
必要なのは、若いカップルや夫婦が妊娠・出産・子育てについて事前に学べる機会
実際当事者になったらわかるだろうではなく、その前に勉強できるという点が肝だ。
もちろん、今でも若年層向けに性教育や妊娠についての情報を発信しているメディアは調べれば出てくる。
でも、調べ"れば"と仮定である以上、誰でも当たり前に学ぶことはできないのが現状だ。
多くの人が経験することであるにも関わらず、義務教育では妊娠の過程すら詳しくは教えてくれない。

流産子宮外妊娠も、言葉では知っていても「どこか医療の発達していない遠くの場所で起こっていることなんだろう」くらいにしか関心を持たない。
そもそもセックスしたら誰でも妊娠できると思ってしまうのも怖い話だし、反対にコンドームをつけていれば100%妊娠しないという勘違いもいかがなものか。

この一年くらいで、ようやく状況が変わりつつあるような気配がしている。
SNSで、生理やセックスをテーマにした話も目にすることが増えた。
もっともっと、女性も男性もインクルーシブに自分たちの体について考え、学ぶ機会が求められている。

我慢=美徳の文化なんてクソくらえ

日本ではなぜか、我慢して苦労して何かを成し遂げるとめちゃくちゃ褒められる。それが正義とでも言わんばかりに称賛され、しんどい思いをあまりしなかった人には無関心だ。

車が自動で走る時代にもなってそんな風潮なのが忌まわしい。
利用できるテクノロジーがあるのなら我慢せずに頼ればいいし、人間なんてみんな持ちつ持たれつなのだから、しんどいときは周りに思いっきりお世話になればいい、というのが持論である。

妊娠に絞って考えると、たとえばつわり
前項でも登場したが、人によって差がある点が問題をややこしくしている。

「みんな経験してきたのだから、私だけ弱音を吐くわけにはいかない」

そう思ってひたすら耐えようとする人がほとんどだと想像するが、点滴で少しでも楽になるのであれば迷わず打てばいいし、会社を休んだっていいじゃないか。
途中下車して吐きながら出勤するとか、ふらつきながら料理や掃除をするとか、それほどの無理をしながら日常を維持しなければならない社会がどうかしているのだ。
妊婦さんは、生きてるだけで偉いのに。

つわりは、重症化すると「妊娠悪阻(にんしんおそ)」と呼ばれ、ここで初めて"病気"と診断される。
でも正直、自分が軽度のつわりか悪阻かなんて、自分では判断がつかない。
よく「水分が摂れなくなったら」とか「体重の◯%以上が減少したら」などと書いてあるサイトを見かけるが、"しんどさ"が数字にできない以上、明確な基準がない。
結果、もう自分では歩けない状態になって病院に運び込まれる人だっているし、そういった場合は母体が危険な状態になっていることもある。
あと少し早く病院に来ていたら...なんて後悔、誰だってしたくないはずだ。

本人が「辛い」と感じている時点でそれが紛れもない事実なのだから、周りにどうこう言う資格はない。
「〜さんはこうだった」と比べる資格はもっとない。
あるべきは、その小さな「辛い、しんどい」の声を見逃さず、サポートできる社会だろう。

もう一つ挙げると、日本でもようやく広まりつつある無痛分娩
「お腹を痛めてこそ出産」と思っている人が多いことが、欧米に比べて日本での導入が遅れている原因の一つだとも言われている。
当然ながらリスクがゼロなわけではないが、大きなメリットもある。
陣痛に苦しむ時間が短ければ体力の消耗も少なく済み、産後の早い回復が見込める。その分あかちゃんのお世話にあたったり、職場復帰も早くできるかもしれない。

妊娠も出産も十人十色。
前向きな選択をした人を否定するのはちゃんちゃらおかしい。

望む未来

さぁ、まとめに入ろう。

私自身の経験を踏まえて、あったらいいなと思うものを列挙してみる。

・自分がつわりで食べられなくても、旦那さんや上の子には栄養のあるものを...!と切望する方へ向けた、妊婦さん用/子供用/一般の大人用に分けて作られた宅配弁当サービス
・アレルギーにも対応、無添加の離乳食宅配サービス
・5歳からの性教育
・若いカップルが妊娠出産について学べる無料の場
・18歳を迎えた全員が受けられるブライダルチェック
・産婦人科の先生に気軽に質問できるプラットホーム
・同じような悩みを抱える人たちが集まるプラットホーム
・妊娠前〜産後の女性を対象とした、マタニティヨガなどのサポート
・単発、短時間でも頼める安心のベビーシッターサービス

言うまでもなく、すでに上記のようなサービスを展開している会社も複数ある。
だがなかなかそれらの情報をまとめて見ることができなかったり、すべてを包括したようなサービスはないように思う。
私ひとりの視点でもこれだけの欲しいものが出るのだから、妊婦さん、先輩ママさんの数だけ、もっともっと意見が出てくることだろう。

願わくば、子どもを望むすべての女性が妊娠でき、穏やかなマタニティライフを送って無事に出産できること。

この想いを少しでも昇華するべく始めたのが、マタニティヨガのインストラクター資格取得の勉強だ。

約5ヶ月かけて、全てのクラスを修了した。
すぐにインストラクターになるわけではないし、今の仕事も大切だからしばらくは副業する予定もないけれど、身近なところから少しずつ行動していけたらと思う。

全出生数の約半分は初産と言われているから、毎年約40万人もの新米ママさんが、初めての経験に不安と心配を抱えながら日々を過ごしているのである。
そんな彼女たちが、今日よりちょびっと幸せな明日を迎えられるような、未来に希望を持てるような世界にしていきたい。


最後に、いつものことながら、いつも以上に長い乱文をお読みくださった皆さん、本当にありがとうございます。
もし少しでも関心を持ってくれた人がいたなら、ぜひご意見を伺いたいです。もちろん男女問わず、年齢問わず。

2021年。
幸せな妊娠出産そして子育ての経験が、"Talked about by many and experienced by many" になることを目指して。