肌色差別から紫外線恐怖症に。闘いの個人史

このアカウントをあまり更新していないけれど、容姿に関して、その間、書いておきたかったことはいろいろある──
今すぐには思い出せないけれど、今後、何か書きたいことがあった時は、できるだけ書き留めるようにしたいと思う。できるかわからないけれど…
(普段、別のアカウントを使っているので、このアカウントを開くには、いったんログアウトしなくてはならないため、その一手間で手間取りそうなので、思いついた時に書けないというのがある。スマホでできればすぐに思いついた時に書き留めたい感じがするので、スマホのnoteアプリは、いつもこのアカウントが開くようにしたい)

ルッキズムに関して。
もともとの肌色が日本人離れした浅黒さの上、日焼けをものすごくしやすい体質で、いったん焼けると何年も元に戻らないため、日焼けをすることが怖く、紫外線恐怖症状態となり、日差しがきつい日中は一歩も外に出ることができなくなった──外出するのは基本的に夜のみである──この夏から突然、そうなってしまった──

自分は生まれつき、なにか強く嫌な思いをしたりすると、トラウマ的に頑なに特定の対象を拒絶し、誰がなんと言っても言うことを聞かないところがある──
いちばん顕著だったのが、肉。小さい頃に肉を食べて吐いて以来、いっさい肉に箸をつけなくなり、高校生になるまで食べなかった──給食の時間に先生に食べなさいと叱られても、同級生から揶揄されても、ますます頑なになり、絶対に食べようとしなかった──
今回の紫外線恐怖症も、この感じと同じだ──

けれど、ひとりでにそうなったのではなく、原因がある──肌の色のことで、あまりにも他人から指摘されることが多過ぎて、その度に嫌な思いをするため、もううんざりしてしまい、肌の色を少しでも黒くしたくないと思ったから──
普通の人なら、日焼け止めを塗ったり日傘をさしたりすれば日焼けをかなり防げるけれど、自分の場合はそれらを完璧にやっても、いつのまにか黒くなってしまう──どこからか日光が忍び込んできて、それにすぐに肌が反応してしまうのだ──おそらく、日焼けをするというのでなく、元の肌色自体が黒く、隙を見てその色に戻ろうとする、というほうが近いかもしれない──その黒さというのは、普通の日本人が日焼けして黒くなったという色味とは違う、東南アジア以西の有色人種と同じ、底力のあるような黒さで、日本にいると、異質なもの、異様なものとして目立ってしまう──
同じぐらい黒い肌の人を、日本人で見たことはほとんどない──
「どこの国からきたのですか」「日本人の肌の色じゃない」「その肌色、どうしたの」「生まれつき?」「南のほう出身?」──そういう言葉を聞くのに疲れ果てた、もう聞きたくない、やめてほしい──言ってくる人たちは、みな悪気なく、私が自分の肌の黒さのことを気にしていないんだろうと思って言ってくるらしい、言って傷つくとは思っていないらしい── 一体どれだけ感覚が鈍いのか、バカなのか? これだけ並外れた肌の黒さを持って生まれて、物心つく頃から差別に合わないはずはない、嫌な思いをしなかったわけがない──なのに彼らは、そういった差別があるわけないと決め付けている。彼らの発言こそが差別なのに──
肌色のことを言ってくる人とは、深く付き合わないことにしている、というか、自然に付き合いが少なくなってくる。どうしてかわからないけれど、こちらからそうしようと思っていたわけではなくても、自然になんとなくお互い離れていくのだ──人の肌色のことを指摘してくるようなデリカシーとセンスのない人間は、付き合うに値しないのでそれでいい──

そういった人たちからの心ない言葉が蓄積されてきて、アレルギーを発症するように、紫外線恐怖症を発症したのかもしれない──アレルギーはアレルゲンが臨界点まで蓄積することで発症するらしいので──

外に出る用事があっても、出ることができない──その苛立ちから、わりと最近肌色のことを指摘してきた、ある人のことを思い出し、「思い出しギレ」をした──思い出しギレも、自分に特有の性質で、昔あった嫌なことを突然思い出し、再び激しく怒りだすというものだ──誰にでもそれはあるらしいけれど、自分の場合がそれが人より過激で、思い出しギレをして、相手に怒りの手紙やメールを送りつけたりすることも時々ある──

今回も同じように、相手に怒りのLINEを送りつけた──あの時あなたが肌の色のことを言ってきたことがとても嫌だった、自分は幼少期からずっと肌色のことでいじめられてきた、他人の容姿のことを言うのは昭和の昔は普通だったかもしれないが現代ではタブーになりつつあるし、やめたほうがいい、と──
相手は即座に謝ってきた、それを見て怒りがスッとしずまって、それでいい、という気になった──それに返事をしようとすると、既読がつかない──数日待っても、既読にならない、どうやらブロックされたようだ──

いったいなぜ?私がさらに攻撃してくると思ったのだろうか──そういうふうな人間だと思われているのか、というか、肌色のことを言うのは嫌だったと伝えることが、相手にとってはなにか迷惑行為、嫌がらせとか攻撃のようなものと捉えられたように感じられて、寂しい気持ちになった──
ただ、嫌だった、傷ついた、ということを伝えただけなのに──
ブロックする、という反応をする相手を、残念に思った──やはり、肌色のことを平気で言ってくる人なだけはある、のかもしれない──嫌なことには耳を塞ぎたい、臭いものには蓋をしたい、そういう心理なのか──
終わったことをガタガタ言われたくない、話し言葉という一瞬のものに、いつまでもこだわって絡んでくるのが鬱陶しい、そう感じたのかもしれない──
私はもっと、私がずっと肌色のことを言われてつらい思いをしてきたことや、会う人会う人に肌色のことを言われ続けて恐怖症や人間不信のようになっていること、紫外線恐怖症になってしまっていることを、相手にも考えてほしかった、でもそれは相手があることで、相手は、そうすることを拒否し、私の追及から逃げてしまった──
でも、人の容姿について言及することがタブーで時代遅れということを知ってもらっただけでも収穫である──
ある種、勇気を出して伝えたことでもある──その人のことは、そのこと以外についても、性格きついな、嫌な人だなと感じることが時々あり、手放しで好きな相手ではなかったけれど、それらのことはなにも伝えなかった、ただ肌色のことだけは許し難いと思ったので伝えたのだ──

自分は年々、この世界で生きていくことがしんどく感じられるようになってきている、もう解放されたいとよく思う──
その気持ちの根本にある原体験的な経験のひとつが、肌色のことをからかわれたことだと思う──物心ついてすぐに直面したのが、「黒い」と笑われる体験だった──自分は大勢の他の人とは違う異質な存在だ──その感覚を強く刻印された──「自分だけがみんなと違う、でもなぜよりによって自分が──?」
そんなことで気にしていてどうする、世の中にはもっとひどい障害や奇形を持って生まれてきたのに、明るく前向きに生きている人が大勢いる、あなたは弱すぎる──そういうツッコミを、他人からも言われたし自分でも何度も心の中で繰り返した、けれど、よし自分も彼らのように前向きになろう、からかいなど気に留めず強く生きよう、という気にはなれない──なんというか、言われた瞬間傷ついたことは変えようがないし、これからも、言われたらやはり傷つくのを防げない気がする──だからいっそのこと、もう誰からも言わせないよう、日光に決して当たらず、ハイドロキノンやモノベンゾンなどの特殊な漂白剤を使ってでも、自分の肌色のほうを変えればいいのだ──

これが私の思考回路だ──
他人の言葉に傷つかないよう自分を強くするのではなく、自分の外見を美容整形や薬品によって外科的に変えることで、傷つかないようにする──
逃げの、弱虫の思考回路だ──
水が低い方に流れるように、逃げの方向性にしか行けない自分を情けなく思う時がある──
コンプレックスだった褐色の肌を逆にチャームポイントととらえ、堂々と肌を露出して闊歩する女性だっているのに──
自分だって30歳ぐらいまでは、肌が黒いことや胸が小さいことにもそれなりにアイデンティティを見出して、恥ずかしいとか醜いと思ったことがあまりなかった──小さい鼻のことも見て見ぬ振りして、自分は美人だと思い込んでいた──なのに、社会経験を経て、分別がついてじゅうぶん大人になった今(39歳)どうして突然、鼻の大掛かりな美容整形をしたり、紫外線恐怖症に陥ってハイドロキノンを塗り込むようになってしまったのか──

今日はこのぐらいにする。

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