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【バーチャル旅行】ひょっこりひょうたん島や戦争、室町時代から続く500年の歴史と住民の想いが詰まった「元住吉駅」

バーチャル旅行をしています。全く別の場所に行くことも考えましたが、せっかくの縁なので前回の鶴見線を起点に移動を開始しようと思います。今回の街もとても興味深い街でいろいろなものを見ることができます。

東西南北どこに向かうか

西に行くと横浜駅方面そして南へ行くと横須賀、三浦、鎌倉、湘南、小田原、箱根などがあり神奈川のメジャースポットに進むことが出来ますが、あえてメジャースポットは外していきたいと思います。

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東に進むと千葉県の木更津市、袖ヶ浦、君津市に渡ることも出来ます。そこから南に向かうと房総半島なども見えてきますが、せっかく神奈川から始まったので千葉に行く前にもう少し神奈川の魅力に触れてみたいと思います。

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北に向かうと多摩川を渡ると蒲田にや羽田空港、都内に足を踏み入れます。都内は魅力的でマイナーな場所もたくさんありそうですが、東京都に入ってしまうと行く場所が多すぎて抜けられなくなりそうです。

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北へ向かって多摩川を渡らずに進むと武蔵小杉、溝の口、登戸などが見えてきます。ベッドタウンとしてこのあたりにもたくさんのスポットや歴史が見えてきそうですね。次はこのあたりを攻めていこうと思います。

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元住吉駅に決めた!

本日は近年高層マンションが立ち並んでいる事で有名になっている武蔵小杉の一つとなりにある元住吉駅に行ってみましょう!元住吉駅の住所は神奈川県川崎市中原区木月にあります。中原区は東京都内から行くと田園調布を過ぎて多摩川を渡った位置にあり、等々力グラウンドや武蔵小杉などが良く知られています。

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日本最大級の太陽光発電システムを持つエコな駅

元住吉駅は大規模な太陽光発電システムを持っていることで有名でホーム・コンコース上部に140kWの建材一体型ソーラーパネルが設置されています。15%の光透過型シートを使用し、夏場の日射を遮りながらホーム全体を明るくする効果を得られるような設計にもなっています。衛星写真でもその姿がはっきりと確認できます。ホーム上のソーラーパネルは約1,100㎡にも及ぶそうです。

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https://www.yokogawa-yess.co.jp/archives/production/b-353

こちらのサイトに施工時の写真がたくさん掲載されていてPVパネルは844枚使用されているそうです。また、ホームや線路に降った雨水を線路下のホーム下にある貯水タンクにためて浄水し、トイレの洗浄水として利用されています。

川崎フロンターレの発車ベル

駅の発車ベルはサッカーチームの川崎フロンターレの応援歌になっています。ホームの様子はこちら

初日のお披露目イベントでの動画もありました

駅名の由来はこの土地の歴史が詰まっていた

かつてこの辺りは橘樹郡住吉村であったが、1925年(大正14年)に中原町に合併され、「住吉」の地名がなくなったことから、翌1926年(大正15年)の東京横浜電鉄開業時にこの地に設置する駅の名称を地元からの要望にて「元住吉」と命名したことによる。「元の住吉村」という意味である。「元住吉」という地名は開業前も現在も存在しない。なお、所在地の「木月」は住吉村となる前の木月村に由来する

木月という土地の歴史

元住吉駅のある地名は木月という地名ですがこの名前が出てくる最も古い記録が室町時代の連歌師、宗祇(1421-1502)の門人で宗長(1448-1532)という人物が永正6年(1509)秋に関東を遊歴した旅行記「東路の津登」に記されているものが現存する最も古いものになります。こちらのページに該当のページが抜粋されていました。

1590年、徳川家康の江戸入府によりこの地も徳川領となり、当時は「木月千石」と称された水田地帯でしたが間伐や洪水、旗本の森川氏の横暴に苦しめられた生活だったと言われています。農間には、紙漉き縄づくりが行われ、天明期(1781-1789)以後そうめんづくりなども行われ「木月素麺」として江戸へ出荷されていたそうです。その後明治元年(1968年)に神奈川県の所属となり住吉村となりました。明治末期には梨や桃の栽培も行われていたそうです。その後、大正末期に現在の東横線が開通し元住吉駅が設置され商店街や住宅地が形成されていきました。

「木月」という地名の由来についてははっきりしていないが、古代の屯倉に関連する地名だとする説、矢上川沿いの低湿地を突き固め「築いた」ことに由来するという説などが考えられている。いずれにせよ、「木月」という表記は後に当てられたものである。

元住吉検車区

東急電鉄の車両基地として二番目の規模を誇る。元々元住吉駅から入出庫が行われていたが2006年の高架化時に直接入出庫できなくなり、隣の武蔵小杉駅か日吉駅側から行われています。

他では見られないような横浜高速鉄道、東京メトロ、東急電鉄、東武鉄道、西武鉄道の車両が一同に介することもある日本で唯一の車両基地です。

上の動画内で紹介されていた激レアな東横線車両も調べてみました

東急ヒカリエ号

東横線開通90周年記念「青ガエル」

青ガエル」といえば渋谷駅前にあった古い車両が有名でしたが、今年の夏に渋谷駅から撤去されハチ公の故郷秋田へ引っ越ししました

この渋谷からいなくなった青ガエルの兄妹ガエルは熊本電鉄で2016年まで現的で運行されていたそうです。あの車両が実際に走っている姿はとても可愛らしいですね。見ているだけで心がなごみます。その勇姿をご覧下さい。

出没!アド街ック天国|~川崎・元住吉~

2016年には元住吉がテレビ番組「出没!アド街ック天国」でも紹介されていたようです。その中からいくつかご紹介

ひょっこりひょうたん島で有名な人形劇団ひとみ座

人形劇の専門劇団で、東京オリンピックの開催された昭和39年に放送が始まった「ひょっこりひょうたん島」もこちらの「ひとみ座」による劇となっています。最近になってひょっこりひょうたん島のオリジナルの写真がいくつか見つかったそうで、保存やデジタル化を始めたところです。ファンの集いが開催され、当時の映像が上映されたこともあるようです。

Youtubeでオリジナルのひょっこりひょうたん島を見つけました

【オリジナル】ひょっこりひょうたん島(1)

【オリジナル】ひょっこりひょうたん島(2)

ノアの方舟 ひょっこりひょうたん島

夜を待とうよ ひょっこりひょうたん島

ひょうたん島エンディング

さようなら、さようなら また逢う日まで ひょうたん島

住吉神社

元々、矢倉神社と称していましたが、
・村内鎮座の天照皇大神宮
・八幡神社
・子ノ神社
・八雲神社
・春日神社
・ 天満神社
・ 白山神社
・ 稲荷神社
・ 諏訪神社
・ 神明神社
の10の神社を合祀し当時の村名から「住吉神社」と改称しました。矢倉神社の歴史は古く、江戸時代に書かれた武蔵風土記木月村の項に「矢倉明神社」との言及があるようです。

稲荷神社・石神社・道祖神・御嶽社・苅宿八幡宮

このエリアは上記の10の神社を合祀した住吉神社以外にも数多くの神社が祀られています。先にも間伐や洪水で苦しめられた土地という事を書きましたが、地図を眺めていてもその当時の苦しみが見えてくる気がします。

稲荷神社

石神社

道祖神

御嶽社

苅宿八幡宮

二ヶ領用水 桜の名所

春の見頃になると桜がとてもきれいですね。

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川崎市平和館

川崎市がお金を出して運営している平和資料館です。
大学の時に、平和学を受講していたのですが・・・イマイチ分かりにくかったのですが、こちらの資料館に来て、モヤモヤしていたものが鮮明に分かりました。大学の時に来たら、もう少し、授業の理解度が上がったんじゃないだろうか、そう思えるような構成でした。平和学を学ぶ第一歩、としてココに来たら良いでしょう。
武蔵小杉駅から行きました。無料で防空壕体験など戦争について学ぶことができます。となりには公園があります。
平和=戦争関連の展示と考えがちですが、もちろん川崎大空襲や市内の戦争遺産の展示もありますが、 環境破壊、貧困、差別なども 取り上げています。 また横田めぐみさんコーナーも あり、なかなか考えさせられる展示
何気なく入ってしまったので、戦争の悲惨さに言葉も出ませんでした
川崎市は工場が沢山あったことから、第二次世界大戦では、空襲で大きな被害がありました。そんな戦争当時の様子を資料や写真、実物の展示などで勉強できます

中原平和公園

戦後、米軍の出版センターとして接収されていた土地が昭和50年に全面返還されたのを契機に隣接する木月住吉公園と中原公園を統合し、川崎市中原平和公園として現在の規模の公園になりました。

主な施設には、であいの広場、野外音楽堂、はだしの広場等があります。
「平和」をテーマにした施設として、平和祈念像、彫刻展示広場、平成4年にオープンした「川崎市平和館」があります。

「元住吉駅」もたくさんの歴史との出会いがあって面白いですね。次は引き続き東急東横線を中心に移動してみたいと思います。

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