【バーチャル旅行】日本の産業革命、工業化の起源を彷彿させる「浅野駅」

バーチャル旅行が気に入ってしまったので、前回に引き続き旅に出掛けます。機会があれば行ってみようという目的地を探す旅で以下の条件で引き続き探します。

・関東近辺であること
・電車だけで現地に行けること
・メジャーな観光スポットではないこと

前回「海芝浦駅」に行きましたのでその周辺から探していきたいと思います。「海芝浦駅」から出発すると2つ目の駅にあたるのが今回紹介する「浅野駅」です。

鶴見線・浅野駅。駅名の由来を調べてみると実業家であり一代で浅野財閥を築き上げた浅野総一郎氏に因んで付けられた駅名とのことです。

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浅野総一郎とはどういう人物だったのでしょうか?嘉永元年(1848年)に富山県の医師の息子として生まれましたが家族の反対を押し切って商人になった人物で後に「セメント王」「資源再生王」「臨海工業地帯開発の父」と呼ばれることになった人物です。

廃棄物として処理に困っていた残骸コークスやコールタールなどの再利用法を考え安価で仕入れた廃材を元に成功を収めました。その後長年の夢であった海外航路進出に向け渋沢栄一や安田善次郎の後ろ盾を得て東洋汽船株式会社を設立します。

日本の港湾が欧米に比べて大きく立ち遅れていることを痛感した浅野氏は、ただちに東京~横浜間の遠浅な海岸に注目し、そこに大型船が着岸できる港湾機能を有する工業用地を造成する計画に取りかかります。

この計画は、埋立面積500万平方メートル、延長4100メートルの防波堤、運河の開削、道路・鉄道の施設、橋梁、繋船設備、航路標識なども完備して理想的な一大工業用地を建設するといった壮大なもので、これらが実現したことで日本の経済発展の大きな礎の一つとなった「京浜臨海工業地帯」の中核となっていきました。

浅野総一郎氏の大きな夢と多大なる貢献を考えると本日紹介する「浅野駅」は京浜臨海工業地帯の中心となる駅と呼んでも過言ではないでしょう。駅舎等は戦後の昭和20年代に建てられたものでその佇まいだけでノスタルジーを感じます。駅のホームからは連なる鉄塔を拝むことも出来るようです。

駅を出て南に向かうとJ&T環境(株)蛍光灯リサイクル工場なるものがあります。サイトを見てみるとこちらの鶴見蛍光灯リサイクル工場では年間
20,000トンもの処理能力があるようです。

こちら他社の映像になりますが蛍光灯のリサイクル工場の動画です

調べてみましたが残念ながら一般の方の工場見学等は行っていないようです。産業廃棄物処理業に従事している方限定で工場見学を実施していたようなので、関係者の方で見学を希望の方はこちらか神奈川県産業資源循環協会に問い合わせてみると良いかもしれません。

駅から北に向かうと左手に見えるのが入船公園です。

・野球場
・テニスコート
・芝生の広場
・ランニングコース

などがあり、4月~11月の毎週金曜日には横浜DeNAベイスターズベースボールスクール(小学1年生~6年生)も開催されているようです。

入船公園を背にして東に向かうと左手に見えてくるのが「富士丸」の看板です。こちらは釣り船屋さんで未経験の方でも気軽に釣りが出来るように道具のレンタルなどもあり船上でもエサの付け方から釣り方まで丁寧に教えてくれるようです。また横浜市内では珍しく、小船に乗って大型船へ移動する乗船スタイルも面白く他ではなかなか体験できないようなことのようです。

その富士丸が出港するのが旭運河で運河の末端に位置します。元はもっと北の方まで続いていたようです。先の浅野総一朗氏らによる臨海工業地帯の開発当時、京浜電気鉄道(現京浜急行電鉄)がより内陸部へ工業用地を広げるべく造成されたそうですが、関東大震災と大正末から昭和初期にかけての経済不況により工業用地としての利用目処が立たずに住宅地として分譲することにしたそうです。電鉄会社による土地建物経営はこの事業が関東初だったとのこと。

この川崎運河付近ですが、戦前には京都風のまちづくりをした高級住宅地が作られたそうです。地図で分かる通り碁盤の目のように区画整備が行われていて、分譲当時は海水浴場や釣り場などもあり、東京から移住してきた有名な歌舞伎役者や画家、大企業の役職の方など裕福な階層の人々が住んでいたそうです。

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その旭運河に架かる橋が末広橋です。工業地帯にありながらも昔の風情を残す良い風景です。

末広橋から北の風景です右側には昔の堀の跡が面影を残していますね。

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末広橋から南側の風景は小舟が並びのどかな雰囲気を感じさせますね。

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末広橋を渡らずに富士丸さんの左手の小道に入ってしばらく進むと横浜市消防局 鶴見消防署入船消防出張所が見えてきます。日によると思いますが、裏手に櫓などが組まれていて日々訓練を行っているようです。

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そのまま産業道路に出て右手に進むと大塚家具のアウトレットがありました

公式Twitterアカウントではセールの情報なども発信されているようです

Googleマップでチラ見しただけでは何の変哲もない小さな無人駅かと思いましたが、調べ始めてみると土地の歴史が見えてきて面白いですね。浅野総一郎氏や京浜工業地帯の歴史についてもより知りたくなってきました。

「バーチャル旅行」を楽しんでいますが機会があればぜひ実際に足を運んだ写真付きレポートも書いてみたいと思います。現地の空気感を皆さんにお届けします