負社員 第57話 昔はそんな罵詈雑言もあったねえ今じゃ省略形で罵られる有様だよ

「誰ですか?」結城が顔を上に向けて訊ねた。

「誰だ」野太い声はもう一度問いかけてきた。

「俺」結城は自己紹介をしようとして詰まった。「私たちは新日本地質調査の社員ですが」

「何だ」野太い声はまた問いかけた。

「はい?」結城は問い返した。「何だ、と仰いますと?」

「何の用だ」

「えーっと」結城は他の二人を見た。

 時中と本原は特に何もリアクションせず、ただ結城を見返した。

「特に何も用はありません」

「なら帰れ」

「はい」結城は頷いた。「帰ります。帰りたいんですが、どこから帰ったらいいでしょうか」

「何を言っとる」野太い声は苛立ちを帯び始めた。「新手の押し売りか」

「はい?」結城はまた他の二人を見た。

 時中と本原は返事せず上を見上げた。

「いや、押し売りじゃないっすよ俺ら」

「押し売りが自分のことを押し売りですと言うものか。馬鹿」野太い声は暴言を吐いた。

「馬鹿って何すか」結城はむっとして言い返した。「あんたこそ誰っすか」

「儂はここの経営者じゃ」野太い声はふんぞり返って威張りくさるような響きで自己紹介した。「磯田源一郎。覚えたか若造」

「磯田源一郎?」結城はきょとんとした顔で他の二人を見た。「誰、有名人?」

「磯田社長に関係のある人か」時中が呟いた。「人というより、出現物だな」

「ここの経営者ということは」本原が確認した。「洞窟を経営していらっしゃるのでしょうか」

「磯田社長って誰だっけ」結城がいまだきょとんとした顔で他の二人に問いかけた。

「クライアントだろうが」時中が眉をしかめて答えた。

「私のおばあちゃんと同じ匂いのする人です」本原が結城にわかりやすい説明をした。

「あ、あーあー」結城は合点が行き大きく数度頷いた。

「お前ら三人も雁首揃えて来やがって。物を売るのに一人じゃ心細いのか。不甲斐ない奴らよまったく」野太い声はますます見下したような色を帯びてきた。

「うわ、何このパワハラ親父」結城は上を見てまた他の二人を見た。

「我々を何かの営業と見ているのか」時中が推測する。

「三人いるというのがおわかりになるのでしょうか」本原が確認する。

「えーと、磯田源一郎さん」結城が出現物をフルネームで呼ぶ。「あなた今どちらにいらっしゃいます? お姿が見えないんすけど」

「はあ?」野太い声は裏返った。「儂はここにおるわ。お前の目は節穴か。このメクラが」

「うわ、何このパワハラ親父」結城はもう一度言って他の二人を見た。

 時中と本原は反応しなかった。

「パーハラ親父とは何だ」野太い声は怒鳴った。「貴様儂を馬鹿にしとるのか。何だ、パーハラ親父って。クルクルパーのパーハラか」

「あ、いや、パワーハラスメントのパワハラです」結城は上を向いて訂正した。「馬鹿になんてしてません。パワハラは上の人に対する敬称です」

「敬称なのか」時中が疑問を口にする。「蔑称ではないのか」

「蔑称なのですか」本原がさらなる疑問を口にする。「罪名ではないのですか」

「この糞餓鬼ども」野太い声は歯に衣を着せぬ勢いで罵詈雑言を吐き散らした。「とっとと家に帰って寝ろ。寝小便たれどもが」

「いや、だからどこから帰ればいいのかって話っすよ」結城が肩をすくめて上に向かい叫ぶ。「どこにいるんすか。ここ、どこなんすか」

「一度にあれこれ質問するな。馬鹿」

「馬鹿ってなんすか」

「きりがないな」時中が呟き、

「姿が見えなくても出現物になるのでしょうか」本原が確認する。

「経営者は洞窟には行っちゃいかん」野太い声は出し抜けにそう言った。「危険だからな」

「ああ」結城は目を丸くした。「そうなんすか」

「経営者以外なら危険でもいいのか」時中が疑問を口にする。

「全員危険なのは同じなのではないのですか」本原も確認する。

「社員には代わりがなんぼでもおるが、儂のような経営者には代わりがおらん」野太い声は断言した。

「なんですと」結城が上に向かって叫んだ。「なんちゅうブラックっすか」

「あり得ない」時中が首を振る。

「使い捨てのコマなのですか、私たちは」本原が確認する。

「そうだ。コマだ。ネジだ。貴様らはちーっぽけな、歯車だ」

「うわ、言い切ったよこの人」結城が茫然として他の二人を見た。

 時中と本原は反応しなかった。

「文句があるのか」野太い声は言った。「あるならここまで来てみろ」

「だからここってどこなんだってば」結城は腕組みし、すぐに解いて「あ、そういえばあれに出てるのかな。端末」とウエストベルトを探る。

 時中と本原も倣う。端末の画面は真っ黒で、文字も記号も何も表示されていなかった。

「ええー」結城は口の端を下げ、端末の表面を指でかつかつとつついたり、振ったり、スワイプしてみたりしたが、状況は何ら改善しなかった。「充電切れ?」

「神力切れではないのか」時中も自分の端末を苦々しげに見下ろしながらコメントした。「万事休すだ」

「バンジキュウスって何ですか」本原が質問した。

「ジ・エンドって事だよ」結城が人差し指を立てて説明する。「もう何もなす術がないじゃんって事」

「万事休すも知らんのか。学のない奴はこれだから困る」野太い声が馬鹿にしたようにせせら笑った。

 本原は無表情に上を見上げた。

「あーそれ、やめといた方がいいっすよ社長」結城が上方に向かって手を振り警告した。「本原さんに下手な口きくとクーたんの呪いにかけられますよ」

「クーたん?」野太い声が訊ねる。

「クーたんは呪いはかけません」本原が否定する。

「それよりこの先、どうすればいいのか」時中は洞窟の周囲をぐるりと見回し眉をひそめる。「我々の今後の方策を早急に練る必要があるな」

「うーん」結城は腕組みをし、頬に手を当てた。「どうしよう」

「クーたんに助けてもらえ」声がした。

「え?」結城が上を見て訊き返し、

「何」時中が結城を見て訊き返し、

「まあ」本原が背後を振り向き口を押さえた。

「社長?」結城が呼びかける。が、返事はなかった。「あれ、今磯田社長が『クーたんに助けてもらえ』って、言ったよね?」他の二人を見て訊く。

「その声は、お前の方から聞えてきたぞ」時中が結城を指差して答える。

「私は、すぐ後ろから聞えてきました」本原は自分の後ろを肩越しに指差した。

「え」結城は目を丸くし「社長?」ともう一度上方に向かって呼びかけた。

 返事はなかった。

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