葵むらさき
ポピーは魔法の世界に住む少女。その世界では「キャビッチ」という、神から与えられた野菜で魔法を使う――「食べる」「投げる」「煮る」「融合」など。 13歳になったポピーは、新たに「シルキワス」という伝統の投げ魔法を会得し、充実した毎日を送っていた。 そんなある日ポピーは母親に頼まれて、祖母の家までおつかいに出た。その祖母こそ、ポピーにシルキワスを教えた人であり、魔法界に――そして鬼魔(キーマ)界に名だたる伝説の魔女・ガーベラその人だった。 おつかいの途中でポピーは、ふしぎな声を耳にする。気になりながらもその正体はつかめずにいた。 そして祖母の家でポピーは、長いこと旅に出ていた父親と再会するが、彼女にくっついて来たポピーのライバル鬼魔・ユエホワを見て祖母と父が言った言葉に、はげしく動揺するのだった――
カウントアップが始まる 公園のベンチに座りスマホをいじっていると、こちらに近づいて来る足音が聞こえた。 顔を上げると、白いレースのついたワンピースを着た、小学三年か四年ぐらいの女の子だった。両肩から三つ編みを前に垂らしている。その子は確かに俺に向かって歩いて来ていた。 「こんにちは」女の子は俺を見ながら少しだけ頭を下げた。 「あ」俺は一瞬、返事をしていいのかどうか迷ったが、まあ害はなさそうかと判断し「こんにちは」と少しだけ頭を下げた。 「あの」女の子はまじめな顔で俺に訊い
地上を目指しながらもレイヴンは、聞こえてきた謎の声について考えを深めた。 聞き覚えのある声か否か。動物の声か否か、動物だとして、何の動物の声に似ているか。大人か子どもか、雄か雌か。 それに被さりマルティコラスのことについての考察も浮かび来る。マルティ。どこにいるのか。誰といるというのか。いつ、どうやってここ地球にやって来たのか。そして何故、それが本当なのだとしたら、今回この任務に彼の名前が含まれていなかったのか。 一体、どこに答えがある? 「あっ」突如叫んだのはコスだ
「終わりましたよー」 熱田氏の声で、私は目を開けた。 のろのろと起き上がると、最初に、玉の汗を浮かべて今にも気絶しそうに茫然としている森下氏の顔が目に入った。 そんなに、体力を使ったのか。 私には意外に思われた。 経を唱えたり、あきみの兄貴に語りかけたりしているのは薄らぼんやりと聞えていたが、そんなに大変な作業だとは思いもしなかった。 精神的重労働だったということか。 それはそうだろう。 なにしろ“浄霊”をしたのだから。 それは確かに、簡単なものではなかった
「それで私にも森下君にも、見えなかった」熱田氏は続ける。「こういうのは、初めてだわ。こんなやり方をする霊には、初めて遭った」 「――」私はまた小さくうなずいた。 なるほど、霊にも霊それぞれのやり方がある、ということなのだろう。 「お兄さんは、あっくんの……堺田篤司の身体の中に入って、彼のあなたに対する暴力を止めた」 熱田氏が相も変わらず確認復唱している。 「あなたの力で」 趣味か。このおばさんの。 「具体的に、どうやって?」 「兄の魂を、ダイモニアとしてあっくんに取り込
「あっくんは」熱田氏は質問を続けた。「今も、あなたを傷つけ続けているの?」 「……」森下氏は、また顔をくしゃっとしかめた。 あたかも、今まさにあっくんに殴られたかのような表情だ。 「今もぶたれたり、しているのね」熱田氏は声をひそめて確認した。 「──いえ」森下氏はかすかに首を振り言葉を返した。「今は、もう……」 「もう、ぶたれていない」 「はい……でも、時々夢を見たり、します……」 「そう」熱田氏は手に持った数珠を、かりり、と両の掌に挟んで擦り合わせた。「今もそういう状態な
「やめて……痛いよ」かすれた声で、彼――つまり森下氏――は続けた。 これが、足の声、なのか? 私は内心でそう問うた直後に、違う、と内心で答えを出した。 これは、あの女性の声だ。 いや、声そのものは森下氏の声だが、今彼の口から出てくる言葉は恐らく、私が聞いた正体不明の女性のものなのだろうと思われた。 かすれ、疲弊し、最後の力を振り絞るかのように細くはかなげな、声。 今にも死にそうな、若い女性の声。 私を蹴り、踏みつけたあの暴虐の塊である足の声とは、とても思えない。
「どうしたの?」 熱田氏の声が聞える。 「……いました」 森下氏が、消え入りそうな声で、かろうじてという感じで答える。 「いた? 何が?」 熱田氏が、被せるように再度訊く。 やはりこの女は、エセ浄霊屋だ。 私は目を強く閉じたまま思った。 何が? って。 霊が、に決まってるじゃないか。 だって森下氏って、霊媒なんだろ? そういう風に紹介したの、あんた自身じゃねえか。 「女の人……が」 「女の人」熱田氏は復唱し、それから矢庭に私の腕を握り締め、ぐいっと強く引いた
その理不尽さ加減は、どういうことなのだろう。 私がそのことに気づいたのは、熱田氏から 「どうして、逃げなかったの?」 と質問された時だった。 そうだ。 言われてみれば、確かにそうだ。 熱田氏ご指摘の通りだ。 私は、どうして今まで、足に攻撃されるがままになっていたのだろう。 答えの一部はすぐに出てきた。 最初の頃の“じゃれつき蹴り”の余波だ。 私の中でそれは、その現象は“逃げるほどのこと”では、ないことになっているのだ。 だが、私の中に理由として思いつくもの
次回の“セッション”の予約を取り付けた後、熱田氏は帰っていった。 一人残された部屋で、私は自分の内部に緊張が高まりゆくのをひしひしと感じた。 足は、今夜も出るのか。 それとも、お札によって封印され、姿を現さないのか。 私はテレビをつけた。 バラエティ番組を放送していたが、そのまま風呂に向かった。 入浴後、押入れから布団を出し、床を延べる。 テレビの中は、政治や経済について議論する堅い番組に変わっていた。 どちらにしても、私は真面目に観る気にならなかった。
熱田氏は、私の部屋の壁をゆっくりと見回し、天井を見上げ、床を見下ろした。 私はそれを眺めながら、昔バイトしていたコンビニの店長を思い出していた。 清潔好きな女性で、店内の清掃や整理整頓、棚上の商品の並びやフェイスアップに厳しいのはもちろん、学生バイトに対しては私生活においても“きちんと”するようにと、ことあるごとに説教していた。 いわく、 「部屋というのは、いつ誰が来てもいい状態にしておかないといけない」 と。 特に尊敬していたわけでもなかったが、特に嫌いでもなかっ
熱田氏は、私の居場所を訊ねて来、直接御札を届けると言ってくれた。 「下手にそこから動くと、危ないかも知れないから」 というのが、彼女の意見だった。 まるでSPだな。 私はそのメールを見ながら少し吹いた。 足が、私の後をつけ狙っているとでもいうのか。 私には、足があの部屋から出てくることなどまるで想像もつかなかった。 「足だけとは限りません。他の部分も存在している可能性があります」 特に異論を唱えたわけではないが、熱田氏は追加メールでそういう説明を寄越した。 熱田
翌朝、洗面所の鏡を覗くと、やはり私の顔は無傷のままだった。 一体、どういうしくみなのだろう。 私の中に、ある意味“興味”と呼べるものさえ生まれた。 間違いなく痛いのに、間違いなく触感はあるのに、間違いなく蹴転がされているのに、どうしてその痕跡はまったく残っていないのだろう。 錯覚なのか。 やはり私自身の精神の部分に、何か重大な問題が生じているのだろうか。 もしそうだとすれば、私の行くべき所、頼るべき機関は、あんなぼったくりの浄霊屋ではない、ということになる。
翌朝目覚めてからも、首筋や後頭部、そして顔面全体に、痛みが残っていた。 私が意識を失った後も、足は私を踏みつけ続けていたのだろうか。 さぞや顔面痣だらけになっている事だろう―― そう思いつつ覗いた洗面所の鏡の中の私の顔には、傷一つなかった。 いつも見慣れている通りの、いつものままの私の、美しくはないがきれいな顔だった。 私は茫然と、鏡に手を触れていた。 鏡は冷たく、当然ながらツルツルしていた。 それどころか、目ざめてすぐの時に感じていた痛みの“余韻”すらも、い
熱田氏は別れ際、また電話で連絡をすると言った。 私は咄嗟に、電話ではなくメールで連絡するようにと依頼した。 依頼しながら、たとえメールが届いたとしても恐らく返信しないだろうと思った。 ことによると読みさえもしないかも知れない。 もう、この人間に会いたくない、声も聞きたくない、と思った。 恐らく電車を乗り継いで帰ったのだろうが、私は気づくとマンションの自室のドアの前に立っていた。 昼を大分回っていたが、何も食べたくない、口にしたくなかった。 無理に食べたとしても
私が呆然と熱田氏を見つめている間、熱田氏は「機嫌好き無表情」とでも表現し得るような顔で、ただ私を見つめ返していた。 ニヤニヤしてもいなければニコニコもしていない、さりとて怒りや悲嘆の感情を浮かべているわけでもない―― いつの間に呼んだのか、テーブル脇に来た店員に向かって熱田氏はドリンクバー二人分を注文し、私に何を飲むか訊ねた。 私は恐らく「コーヒー」と答えたのだろう。 何故なら熱田氏がその後、私の目の前にコーヒーを運んできて置いたからだ。 俺は、あの足に、殺される
結論から言うと、そのサイトの主への連絡先は、見つからなかった。 だがそのサイトが相互リンクしている他のサイトの中に、主が運営(というのか)している浄霊施設(というのか)への連絡先メールアドレスの表記が見つかった。 私はそのアドレスに、相談メールを送った。 文面はこうだ。 「数ヶ月前から私の腰を蹴りつづける足の霊に悩まされています。この霊を浄霊していただけないかと思い相談いたします。よろしくお願いします。連絡をお待ちしております」 送信後も、足は私を蹴りつづけていたが