「あなたでよかった」をプライスレスで終わらせないために
仕事で笑顔になれた瞬間は、「あなたでよかった」と言ってもらえたとき、フリーライターのaoikaraです。
ひとつ仕事を終えて言ってもらった一言で、とてつもなくうれしかった。今までやってきたことは間違いではなかった、と過去のがんばってきた自分を褒める気持ちで心が満ちて。これからもっとがんばるぞと、未来の自分を奮い立たせる気持ちがわき上がって。本当にうれしかった。
とてもうれしく感じたのは、私が仕事において「替えの効く存在だ」と自覚しているからだと思う。
私は書くことが好きだし、書きたいこともある。もちろん仕事だから自分発信で書きたいことだけを書いているわけではない。でも自分の限られた視野では知らなかったことを知って、視野が広がるからそれもまた楽しい。
いただいた仕事にはいつも真摯に、誠実に取り組もうと思っている。ライターという仕事が好きだ。
でも、ライターという仕事において、私は私の価値がわからない。
別に私でなくてもいい、という仕事もある。それが不満でもない。誰でもできるけど私がやる。誰でもできるけど私がやりたい、と手を挙げるときもある。不満だけど不満じゃないと自分に言い聞かせているとかではなく、本当にそう思っている。
たぶん「私は特別ではない」から。
じゃあどんな人が特別なライターなのかというと、「その人にしか書けないもの」を書いて、たくさんの人の心に届けられる人、だと私は思う。自分だけの個性を爆発させて、つい最後まで文字を目で追ってしまう文章を書く人がたくさんいる。めちゃいる。いやすごいんだから、ホント。
視野も広くて、視点もオリジナリティがあって、言葉選びも、構成も、全部全部その人だけのもの。圧倒的な個性にはファンがつく。その人の文章を読みたいという人が大勢いる。その人だけの価値がある。
私も純粋に読み手として、文章のファンだったりする。書き手としては、いいなと思う。
私はそうではない。私の文章はたしかに私が書いているけど、圧倒的な個性があるわけじゃない。ものすごく面白いわけでもない。私だけにしか書けない文章、でないこともある。私だけにしか書けない文章でも、誰にも届かないこともある。私にしかない価値は私にはわからない。
それでも“書く”仕事をしているのは、やっぱりこの仕事が好きだから。
細々ではあるけれど、何年も確定申告をしているし、「職業は?」と聞かれたら「フリーでライターをしています」と背筋を伸ばして言える。
でも、やりがいが大きい。本当は「もっと」を求めている。「もっと面白いテーマを見つけたい」「もっと面白い文章が書きたい」「もっとわかりやすく書きたい」「もっと自分らしい文章にしたい」……これはライターとしてのもっと。
現実的な話、生々しい話、「もっと稼ぎたい」とも思っている。だからといって「稼ぎたい」だけでもない。ライターとして向上しながら、稼げるようになりたい、が理想。
たまに思ってしまう。「少ない」と。「あなたでよかった」はとてもうれしい。自分自身の価値を認めてくれている気がするから。心から言ってくれているのもわかる。がんばろうと本当に思える。
でも、この言葉だけを励みにこのまま続けるのは、厳しい。ライターとしても、生きていくためにも。「あなたでよかった」を、プライスレスで働くための魔法の言葉にしてはいけない。
「もっと稼ぎたい」とか、「少ない」とか思うと、すぐに「自分の能力を高く見積もりすぎじゃない?」なんて声が聞こえる。誰でもない、私の声。
じゃあ私は努力しているのかと言われたら、たぶんしていないから。今「努力できていない」と書こうとして、やめた。「努力していない」が正しい。「努力できていない」のは、「努力しようとしているけどできない」だ。たしかに「努力したい」と思っている。でも、実際に仕事につながるところにまで到達していない。
自分やほかの人が書いた記事をチェックして、どんな記事だとたくさん読んでもらえるのか、反応がいいのか、自分で調べようとしている。毎日チェックはしている。
でも、全て読んでいるわけではない。言葉選びや構成まではしっかり見られていない。どんなテーマのがいいのか、同じテーマでもどんな構成だといいのか。情報を集めてはいるけど分析まではできていない。情報を集めて、「努力した気分」になっているだけ。
だから「努力できていない」と言いたかったけど、そんなの自己満足に過ぎなくて、結局「努力した気分」で、「努力していない」んだよな。
特別な人を羨んでいるけど、「特別だ」「圧倒的な個性だ」と褒め称えて、自分をそう言うのはおこがましいとか謙虚なフリをして、私自身が努力をしないための言い訳にしている。
ああ、「あなたでよかった」をプライスレスにしているのは、誰よりも私なのかもしれないね。挑戦するのがこわくて、努力するのがこわくて、「だって私は替えが効く存在だから」と割り切っているのかもしれないね。
だけど、私はやっぱりうれしかったはずだ。
「あなたでよかった」
と言ってもらえたのが。
たくさんの人に読んでもらうのは単純にうれしい。でも、私の文章はたくさんの人に読んでもらえるわけじゃない。読んでもらえないんだと思っていた。
だから、たくさんの人には読んでもらえなくても、たった一人の誰かに届いたときこそ尊いのだという考え方をしていた。たった一人に届くのも、もちろんうれしい。
でも、自分が「できない」のではなく「やらない」言い訳をしていた。だってたくさんの人に読んでもらえば、自分の文章が届く”たった一人”と出会える可能性が高くなるのだから。たった一人に届く文章が尊いというなら、その可能性を高めるための努力をすることだって尊いはずだ。
私の価値を安売りしているのは私かもしれない。全然売れないから努力をしないでどんどん値下げしてしまっているのかもしれない。なぜ、自分の価値を高めようとしない?
苦しいけど努力をしよう。努力と向き合うのを逃げることはやめよう。ふるえそうなほどこわいけど。でも、やらなきゃ。「あなたでよかった」を本当に価値のあるものにするために。
今はまだきっとプライスレスだけど、価値に対価のある「あなたでよかった」をもらえるようなライターになりたい。
No.1199
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