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失敗した自分で生きていく

今まで生きてきていろんな失敗をしてきた、フリーライターのaoikaraです。

自分の過去とか失敗について振り返るテーマで文章を書くときは、高校を中退して中卒になり、そこからもうまくいかず紆余曲折して、今のフリーライターという仕事にたどり着いた、という話ばかりしている。

今の仕事を始めて今年で8年目にもなって、未だに過去の同じ話をし続けている感がある。私の失敗談は更新されていない。

つまり今の仕事をし始めてから成功し続けている?そんなわけない。何度も失敗している。誰かを巻き込んだり、迷惑をかけたり、無責任な態度だった失敗について、今でも誰かに責められても仕方ないと思っている。

でも、増えているはずの失敗を“私の失敗談”として明かさないのはどうしてだろう。自分でも不思議に思った。


失敗について、個人的にこんな風に考えている。

「失敗は取り返せない」
「失敗をなかったことにはできない」


たとえば私が社会的に大成功を収めたら、過去の失敗はチャラになるだろうか?いいや、17の夏は二度と過ごせないし、18の春は戻ってこない。失敗を全てゼロになんてできないという意味で、取り返せないし、なかったことにはできないと思う。

でも決して「失敗したらもう終わり」「失敗したらやり直せない」という意味ではない。「失敗をしなかった頃に戻りたい」は無理。失敗をしたこれからを生きるしかない。失敗したのも含めて、全て自分なのだと受け入れるしかない。

そのためには、失敗した過去を認め、責任を持って今を生き、未来まで背負う必要があるのだと思う。


“過去を認める”とは、失敗を失敗として認めるということ。失敗を認めるって難しい。自分に否があると認めるのは心が傷つく。心を守るために、失敗に気付かなかったり、気付かないフリをしたり、「あれは仕方なかった」と責任転嫁したりしてしまう。でも、失敗は失敗でしかない。

失敗すれば、周りに迷惑をかけたり、傷つけてしまうこともある。自分が苦しむことだってある。だから、失敗を反省し、経験を忘れず、糧にする。それが“責任を持って今を生きる”ことになる。

そして、この先ずっと「失敗した自分」を背負って生きていく覚悟が必要。失敗をしても、反省して、糧にして、成功につなげるのは素晴らしく、尊いこと。でも、失敗をした事実は消えない。失敗をしたのも含めて自分で、そんな自分で“未来まで背負う”覚悟で生きていく。


私が私の失敗談を更新しないのは、失敗した自分を受け入れてないのかもしれない。失敗談として語っている学歴や職歴は自分のパーソナルのひとつだと、失敗をした自分を認められているけど、ほかの失敗は違うと感じているんじゃないか。

過去の失敗を認められてないんじゃない?
責任をもって今を生きられてないんじゃない?
未来まで背負うつもりがないんじゃない?


たぶん覚悟がないんだ。失敗をした自分で生きていく覚悟が。

失敗について考えたのは、自分の過去を振り返って失敗にようやく気づけた出来事が最近あったから。過去を認められた。心では、責任を持って今を生きていかなければと思っている。未来も生きていかなければならないとわかっている。

でも、本当はこわい。失敗で誰かを苦しめた事実がずっと消えないことが。そして責められることが。だから、失敗した自分さえも見ないようにしたくなるときもある。

でも生きていくならば覚悟しなければ。失敗をした私として、この先もずっと生きていくしかないのだから。私は、私を生きるしかないのだから。

2021年5月30日(日)

No.888

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