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「自分の軸」探しの旅

「自分の軸って何だろう」

同世代の友達と話しているときに、そんな話題が出た。私たちの年齢は、大学を出て少し経ち、社会人としての経験を積み、もう“新人”とは呼ばれなくなる頃。

新人だから許されることはもう許されないし、かといってベテランほど成熟していないし。少しばかりの経験のおかげで余裕も生まれて、改めて目の前を見つめてみたり、振り返ってみたり、視野を広げて飛び出してみたりする頃。


友達が「自分の軸」について考えるようになったきっかけは死だった。とても身近な人の、あまりにも想像しにくい死。悲しみはもちろんあって、でも現実的ではない現実に、圧倒的に感じたのが「人生は限りある」という事実だと友達は言う。

「今を耐えて生き抜くより、好きなことは全部してから死にたい」

私の身近な人の死について話したとき、友達から返ってきた話で、そのときまで知らなかった。

たしかに友達は、たまにしか会わない私でも大丈夫かなと心配になるような働き方を過去にしていて、あるときあっさりと見切ってしまって、それから身軽になったように感じていたのだけど、たぶん人生の変化と考え方の変化がリンクしていたんだじゃないかと思う。

考えが変わってから友達は転職をした。環境も待遇も変わり、以前と比べて働きやすいし、悪くはない。こんな言い方をするのは、今の仕事もベストではないと感じているからで。自分が絶対にしたいとか、すごく好きだからとかではないから、一生続けていきたいわけではない。

そうではなく一生続けていきたいと思える仕事がしたいけど、なかなか見つからないと話していた。

私は自分探しならぬ、「自分の軸」探しのようだと思った。自分はどう生きていきたいのか、というブレない芯のような、支えになるような「自分の軸」。


多くの人は1日8時間ほど働く。1日は24時間だから、人生の3分の1は働いていることになる。しかも、もうすでに人生の3分の1は睡眠に取られている。起きている時間の半分は労働。人生の大半は労働。働かなければ生きていけないし、食べていけない。働くから、生きていく。働くって、人生。

だから、自分の軸を「仕事」とか「働く」中で見つけたいと思うのはとても自然で、どんな仕事をするか、どう働くのかを考えたくもなる。何がしたいのか、何がやりたいのか、何が好きなのか。

でもね、誰しも必ずしも「何がしたい」があるわけじゃない。だから困る。やりたいことがあれば、理想や希望に向かっていく道筋ができるけど、そもそも「やりたいこと」がないときはどうしたらいい?「自分の軸」という枠組みを用意しても、中身は空っぽ。すごく欲しいはずなのに。

じゃあ「自分の軸」探しをするか。自分がやりたいことって何だろう、自分が本当に好きなことってなんだろう、と思いながらも追求する時間がない。今働いて、今日常生活を送るだけで精一杯。だから毎日、目の前のことをこなしていくだけで時間が過ぎていく。

心の中ではたくさんの葛藤があるのに、何も考えず日常を過ごしているのと同じくらい現状維持で、もどかしい。そんな話を友達とした。


私は大学や高校を出ていないけれど、フリーライターという仕事を始めて、なんとか運が良く、良い縁もあり、続けてきて今は7年目。もう新人ではない、だけどベテランでもない。

いろいろ挫折した人生だけど、社会人としての位置は偶然にも同世代と似たところにいて、だからこそ同じように忙しさと余裕の狭間にいて、同じように迷いもある。

今の「書く」仕事は好きで、「やりたいこと」ではあって、自分の軸としてしっかりと存在している。それは幸せなことだと思う。これからも書き続けていきたい、が軸としてはっきりとある。

でも、「何を書くべきなのか」という点において、果たして今のままでいいのかなとも考える。全力で取り組みたいと熱意を持てるほどの“何か”=仕事での「自分の軸」を見つけたい=何を書くべきなのかと考えているけど、わからないし見つからないし、迷いと葛藤の中にある。

悩む一方で、割り切っている部分もある。「やりたいこと」や「好きなこと」は、能動的に探しに行くものではない、という自分の考えがあるから。

だって「好きなこと」なんていつの間にか好きで、「こうだから好き」なんて頭で考えるわけでもなく、もうすでに「好き」になっちゃってるから。何かに動かされるほどの熱意ってもはや衝動のようなもので、「やりたいこと」も同じだと私は思っている。これだと、びびっと、来るものだと。

だから、生きていく中で、今の仕事をしていく中で「やりたいこと」が見つかるかもしれないし、見つからないかもしれない。だから、今は生きるための方法を考えることを優先している。


そんな私と友達の間に、偶然の出会いから、別の人の考えを聞くことができた。とはいえ、私と友達が「自分の軸」について話しているときとは別に、なんとなく会話をして、相手の考えに「自分の軸」を感じた私が、勝手に頭の中で結びつけたのだけど。あくまで、私から見たその人の話。

その人は自分の仕事について、とても戦略的な話をしていて、同じジャンルで働いたことがない私としては興味深く、面白いなと聞いていた。ビジネスを突き詰めていきたいのかなと思っていたら違っていて、あくまで「自分のライフスタイルありき」だと言う。

仕事が自由な分だけ求められずに時間が余るときもある。だから、仕事場にも自分の好きなものを置いて、余った時間は焦るではなく、好きなものを自分が過ごしたいように過ごす。仕事場でありながら、プライベート空間でもある。

仕事をしているときも自分が居心地のいい、この感覚が好きだと感じる瞬間があって、それが楽しくて続けている、とのこと。

この人は、自分の軸を「仕事」ではなく「ライフスタイル」に置いているんだなと私は思った。「こういう生き方がしたい」から、今の仕事をしている。

仕事についてすごく深く考えて、ビジネスとして戦略的にもなっているのは、ライフスタイルを支えるためには仕事を続けなきゃいけないから。もし、ライフスタイルを支えるために別の仕事があるなら、別の今の仕事にこだわる必要はないんだろうなと。

まあ私の分析はその人から聞いたわけではなくて、あくまで私が勝手に考えたことなのだけれど。でも、すごく面白い人で、話していて楽しい人だった。生きているのが楽しいって感じで、私も楽しさのお裾分けしてもらっている気分で、友達も一緒に過ごしているのはとても楽しい時間だった。


そっか、自分の軸って、別に「仕事」に置かなくてもいいんだ、と思えた出会いだった。自分は何がしたいのか、何がやりたいのか、何が好きなのか、つまりはどう生きたいか。自分の軸は、仕事よりもっと大きな枠組みの「人生」とか「ライフスタイル」で考えていいことなんだと感じられた。

もちろん、自分の軸を「仕事」に置いてもいい。そういう人もいる。だけど、仕事にだけ置く必要はないんだな。自分の軸を支えるために、そのほかの手段を考えればいいんだなと。

たとえばライフスタイルに軸があるなら、叶えるためにどんな仕事をどんな風にすればいいのか、見えてくる。社会が変われば仕事の風向きも変わって、追い求めるライフスタイルからは遠くなるかもしれない。そうしたら働き方を変えれば、ライフスタイルを維持できて、自分の軸もブレない。

仕事を軸にしたいなら、どうやってライフスタイルから仕事をサポートするかを考える。どんな生活スタイルなら仕事が快適にできるのか、どれだけのお金が必要なのか、どんどん具体的になっていく。


私自身、「自分の軸」から「仕事」という枠組みを取り払って、「人生」や「ライフスタイル」として考えてみたときに、自分の「やりたいこと」や「好きなこと」が見えてきた。

それは、「忙しい、忙しい」と言いながら合間を縫ってでも、時間を割いている出来事の中にあった。私は、忙しくても必ず恋人との時間を作っているし、おいしいものを食べようとするし、運動をしようとするし、アイドルの動画を見るし、バラエティやドラマも見るし…こんなにたくさんある。

仕事じゃないけど、たぶん私にとって「やりたいこと」って、いつの間にか当たり前のように、もうやっちゃってる。これってもうすでに私の軸じゃない?じゃあ、その軸を守るために働けば、生きていけばいいじゃない?

そして、私は仕事でもプライベートでも書き続けている。どんなに忙しくても。どんなに自分が追い込まれていても。今もそう。書いていると、生きてるなって思う。今この瞬間こそ、「自分の軸」だ。


となると、私はやっぱり現状維持で働き続けるのかもしれない。たしかに現状維持は、何も考えず同じように毎日を過ごすのと行動としては同じだけど、心の中が違えばきっと結果は変わってくる。葛藤があれば、どこかで出会ったきっかけに、敏感に気づけるだろうから。

だから、葛藤と共に生きていけばいい。葛藤を持ち合わせた心だからこそ気づくきっかけを拾っていけば、自分の軸がどんどん太くなって、揺るぎない、ブレないものになっていくはずだから。

私は今までと同じように働いて、生きていきながら、自分の軸を太く強くしていきたいなと思う。「自分の軸」探しの旅は、まだまだ続きそう。

2021年1月20日(水)

No.759

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