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全く同じ言葉はあっても、全く同じ中身はない

言葉についてよく考える、フリーライターのaoikaraです。

言葉を用いている仕事だし、そうじゃなくても言葉で考えるし、コミュニケーションを取るし、言葉って難しいなとつくづく思う。


「付き合ってください」とか
「結婚してください」とか
「幸せになろう」とか

すごく幸せに満ちた言葉を伝えるとき、絶対にお互いを大切に思っているはずなのに、それでも壊れてしまうときがある。

もちろん相手を嫌いになったからってのもあるだろうけど、いきなり嫌いになるわけじゃなくて、すれ違いも多いんじゃないかと思う。

なぜすれ違うのか、それが今日のタイトルにもあるように、言葉としては全く同じでも、その中身が全く違うものだったからなんじゃないかなと思う。

「付き合ったらこうする」とか
「結婚したらこうすべき」とか
「幸せとはこういうことだ」とか

はっきりとした意見でなくても、なんとなく無意識に、漠然とあるいは明確に自分の中に言葉に対するイメージや中身がある。それが、人それぞれの価値観だと思う。

言葉が同じだと「同じことを考えてる!」「価値観が同じだ!」と思ってしまいそうになるのが落とし穴で、きっとその中身までしっかり確認できてないとすれ違いを生むんじゃないかなと思う。


だってさ、生まれてきて「チョコレート」だと思っているものは、「チョコレート」に間違いないわけで。いろんな言葉に対して、同じようなイメージを抱いて、同じような中身だと無意識に信じちゃうわけで。

人はみんな違うとわかっていても、同じであることや共感できることに喜んだりもして、同じものを運命的にも思っちゃうわけで。

違っていてもお互いに悪意はないわけで、「あれ?」と思うことが増えて、大きくすれ違ってしまうなんてことがあるんじゃないかなと思う。


自分がその言葉に対して持っているイメージ、中身と違っていると、「それっておかしい」っていとも簡単に言える。でも、それって本当に「おかしい」のかなと私は気になる。

いや、「それっておかしい」と言うことがダメというわけじゃない。「NO」と言える環境がある方が理想。

そうではなくて、この場合の「それっておかしい」は、相手の価値観の否定。そして、絶対的に自分は正しいという強さ。強い自分がいて、主張するのは素敵だと思う。でも、自分以外の人を尊重しない自己主張は、誰かを傷つけてしまう。

「それっておかしい」と言う人がマジョリティなら、数の力で圧倒的になる。根本は「私とあなたは違う」ってだけなのに、その違いを「おかしい」と簡単に言ってしまうのは、自分とは違う価値観を殺していくことにはならないだろうか。それってこわくないだろうか。


絶対的に正しい、なんてことはない。いや、自分の中ではある。「私はこれが絶対に正しいと思う」は誰にだってある。ただ、他の人にとってそうじゃない。誰にとっても絶対的に正しい、はない。


言葉を使うとき、表面的ではなくて、その中身を、本質までも知ろうとすることがすれ違わないために大切なんじゃないかなと思う。言葉というガワをぺらっとはがすと、全然違う中身が隠れているかもしれない。全部の言葉にね。

どうしても、自分が使っている自分の言葉のニュアンス、自分の中身が正しいと思いがちだし、そうやって生きてきたからナチュラルに思ってしまうのは当たり前なんだけど、「あ、違うんだ」と気づいたときに「それっておかしい」じゃなくて、「それって面白い」と違うことをポジティブに受け止められたらいいな。

もちろん、許せない違い、相容れない違いもあるし、全てをポジティブに受け止めるべきとは思わない。でも、ちゃんと中身を見たから、受け止められないことにも納得できる。

ガワだけじゃない言葉を使っていきたいな。

2020年10月21日(水)

No.670


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