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一日の中で何度もうれしいって久しぶり

オリンピックにわくわくしちゃってる、フリーライターのaoikaraです。

全ての人の命が守られている、という前提であってほしいという思いは変わらずね。

ただ、月並みな表現だけれど、スポーツの力ってすごい。全力で頑張っている人の最高のパフォーマンスを見ると、胸が熱くなる。興奮する。勝利の雄叫びに高まる。喜びの言葉を聞いてぐっとくる。

自国の選手の活躍もうれしいけれど、たとえ別の国の選手であっても、素晴らしいパフォーマンスだったらやっぱり高まる。すごいエネルギーが伝わってくるし、うれしくなる。


こんな状況になって、みんながステイでなければならず、ディスタンスを取らねばならず、静まることを求められて、身の回りも世界中もしんとしていた。

気が滅入るような状況やニュースが連日報じられる日々に、慣れてはいけないけれど、それが今の“あたりまえ”になっていた。それ以前には、たくさんの人が境を超えて行き交い、肩を寄せ合い、高まって、沸いていたのを忘れてしまうほどに。

スポーツも同じで、さまざまな大会が開催できず、オリンピックだって一年延期になった。命を守ると考えれば仕方のないこと、という論理もあるし、私も理解できる。でも、アスリート当人や支えてきた方たち、ファンの人からすると、想像できないくらい苦しい日々だったろうと思う。


オリンピックが開催されて、複雑な気持ちはまだ抱いている。不安も心配もこわさもある。命を守りたいという思いは変わらない。犠牲を作ってはいけないとも思う。

だけど、やっぱり、すごい。毎日いろんな競技が行われて、そのどれも強くて、熱い想いを感じる。四年と、もう一年分の想いが。そして、毎日何度も喜びの声が沸いてくる。

一日に何度も「うわーよかった!」「最高!」「ありがとう!」「すごい!」と高まる経験は、とても久しぶりな気がする。

粛々と、鬱々とした日々が続いていて、本当に忘れていた。その反動もあるのか、喜びが次々に押し寄せてくる感覚にドギマギとしている。同時に、素直に受け入れて大いに喜びたい気持ちにもなっている。


言葉を選ばないで言うと、もうみんなすっごくカッコイイ。めっちゃカッコイイ。すんごい興奮してる。もう最高だよ。うわーもうどうしよう。ありがとうございます!

うん、私、ヤバイやつかな?単純だけど、いや、なんか本当にうれしい。

2021年7月26日(月)

No.945

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