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極端な感情を言語化してみる

ここでは書けないような感情になっている、フリーライターのaoikaraです。

「極端な」とか「過剰な」とか、そんな形容動詞が似合いそうな感情。いったいどうしてそんな感情になってしまうのか、本当にそう思っているのか、もっと感情を掘り下げてみることにした。

言ってしまえば、「あーやだ、なんかもうやだ!」だ。駄々っ子のような気持ちだけど、“子”という年齢ではないので、自分自身に嫌気が差している。でも、嫌なものは嫌だ。嫌、という感情を否定する必要はない。


「なんかもう」というのは、明確な1つが嫌というよりも、いろんなことが積み重なった結果、複雑に絡み合って“何”が嫌なのかがわからなくなってしまっている。だから解決法もわからないし、もやもやが泊まらなくなってしまっている。そんなところだろうか。


簡単にいえば、今すぐ目の前のことから逃げたい気持ちがある。終わりが見えないし、延々と続いていくから達成感もない。「やりたい」ことが何かわからない。

本当に「やりたい」ことがないわけでも、やりがいがないわけでも、達成感がないわけでもない。おそらく、止まれないから体力的にも精神的にも疲れていて、小さな喜びをすくう労力と余裕がないのだろう。


疲れた。休みたい。なんにもしたくない。でもそういうわけにはいかない。あー。


ひとまずお風呂に入ろう。寝よう。強制的に体が休まる。次は、休んでから考えよう。

小さい子に話しかけるように、自分の心にひとつひとつ聞いてみて、言語化した。そうすると、救いや解決にはなっていないかもしれないけど、ちょっと進んだ先にすることはわかる。今は休みが必要だとわかった。

そんな風に、感情でいっぱいになってしまう前に、自分の心に聞いて、全部言葉にしていこう。

2022年9月16日(金)

No.1351

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