No.583 習慣化するには、一度リセットしてから
習慣化できたらニンマリして、習慣化したくてどよーんとする、フリーライターのaoikaraです。
今まで続けてこなかったことが習慣化して、考える前に体が動いていると、思わずニンマリしちゃう。お、やったぞ、って。
食器はためずにその都度洗うとか(ためてた)、服をしまう場所の定位置を決めて戻すとか(床置きしてた)、散らかったらすぐに片付けるとか(ずっと散らかってた)、朝食前に野菜ジュースを時間かけて飲むとか(これは年単位)、まあ当たり前のことばかりなんだけど。
「ま、いっか」と思っちゃうと、放置しがちでもある。でも、直したいなと思ってる。よくない習慣のせいで、自分が困ることもたくさんあるから。そんなよくない習慣を変えて、よい習慣が身につくとその困り事もなくなって、清々しくもなる。
食器を洗えば気分転換にもなるし、時間もかからない。服をしまえば部屋が広くなる。部屋は散らかっているより整っている方が気持ちいい。野菜ジュースはおいしい。あれ、なんか最後だけ違う。でも、まあ、妙にうれしくはなる。
でも、新しい習慣を身につけるって難しい。たとえば3食きちんと食べたいとか。食べまくったり、食べなかったり、バラバラなことが多々ある。
たとえば運動をしたいとか。運動するときもあるけどしないときもあって、運動するときも体力のなさとか飽きるとかで、中途半端にやってる。
たとえば散歩したいとか。たとえば毎日カメラで写真を撮ってうまくなりたいとか。たとえばよい化粧品を見つけて使い続けて美肌になりたいとか。たとえば…あーいろいろある。
ちょっとかじってみるけど、私は飽き性なのか続かない。その前に、やり始めるというやる気さえ沸いてこないときもある。やりたいのに、やる気がないってなんじゃそらって感じだけど、なんだろね。みんな5,000億円は欲しいけど、そのために何かするってわけじゃない。極端にいうとそんな感じ。
やる気を出すのから大変で、やる気が出ても続くかどうかわからなくて、それを定着させる“習慣”はとっても厄介。
考える前に体を動かし、今では習慣化したこともある。そのきっかけの一つとして、“リセット”することが大事なんじゃないかなと思い当たった。
私がこまめに片付けるようになったきっかけは、全てを片付けたことがきっかけ。noteにも書いた。
せっかくきれいになった部屋に、ぽつんとゴミが落ちていたら嫌だから、拾って捨てる。せっかくきれいになった部屋に、片付けていない物があったら目立つから、片付ける。リセットした状態になると、それを保とうという意識が生まれる。
散らかったままだとそこにもう一つくらい散らかる物を置いても、正直気にならない。散らかる+散らかる=散らかるだから。
だけど、リセットしてまっさらな状態にあると、違和感になる。スッキリ+散らかる=スッキリはどこ?状態が嫌で、すぐに片付けようとする。
リセットしてから、が全部の習慣できっかけになるとは限らないけど。日常生活を送りながら、何かを大がかりでリセットするのって難しいし。日常生活を優先しちゃうし。
でもスタートとリセットの状態は、たぶん近い。だから、うまくいく。
片付けだと「きれいな部屋」というスタートだから、リセットにするのはわかりやすい。でも、ほかだとどうだろう?
運動の「リセット」って?体は一気に美しくはならないし、「リセット」にはほど遠い。じゃあ、気持ちの上で「リセット」すると?「こんな人みたいにきれいになりたい」「美しい体型になって、この服が着たい」という、きれいになることへの動機が「リセット」かもしれない。
ああ、そうか、部屋をきれいにするのも「きれいにしたい」「その方が心地いいから」という「リセット」の気持ちがあってできることなんだな。
物理的にリセットできることはそこから、物理的には難しいときには気持ちから。そんな風に、これから習慣にしていきたいことには、一度リセットして挑んでみようかな。
千里の道も一歩から。でも、どうして千里の道を歩もうとしたんだっけ?そんなリセットの気持ちが、まずは第一歩、かも。
2020年7月25日(土)
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