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ここのところのこころ

ここのところ穏やかに激しい、フリーライターのaoikaraです。本能的だけど理性的。相反するものが共存しているのが、ここのところのこころかなと。


心配性の私は、事前に調べたがる。くせに、ときどき大胆に飛び込むときもある。それは衝動、たぶん直感。理性的なふりをして、直感的に吸い寄せられている。


優柔不断な私は、座る席さえ自分で決められない。だから前々から調べておいて、優柔不断らしく事前にある程度の時間をかけて選んでおく。だからのだから、急に選択肢が出てくると、運命の分かれ道くらい迷ってしまって、そんな私を笑いながら決めてもらう。


注意力散漫な私は、信じられないミスを犯す。待っていたものがこなくて、ギリギリで間違いに気づいて、息を切らしてギリギリ間に合う。でも、そう、ギリギリ間に合った。間に合わないという分岐点だってあったはずなのにね。ときには同じようにミスをして偶然に同じときにたどりついて。

ともすれば最悪になりかねないのに、すり抜けている偶然を、運命と呼びたくなる胸の高鳴りに、期待すれば失って悲しくなるだけと、気づかないふりしてる。


孤独を強く感じる私は、同時に一人にもなりがたる。誰かと一緒にいて大笑いしたかと思えば、ひとりぼっちでふっと消えてしまうのって楽だなと考えることもある。本当にいなくなりたいわけじゃなくて、でも心がかたんと傾いて、ふいにいなくなってしまう人の気持ちも、全てではないけれど少しはわかる。

延々と何気なくとりとめもなく話し続けられて、でも延々と話もしないでいられるだろうと思う。何気ない景色や話した言葉は額縁に入れたように特別で、家の中に飾るように日常的で、わがままにどちらも欲しくなる。


穏やかと激しさは表裏一体で、あんなにも穏やかに一日の終わりを迎えたのに、いつかは全てが終わる現実から逃れられない恐怖と焦燥感が激しい鼓動になって目を覚まさせる。

だから、こわい。手に入れたいと思うのに、手に入っていると信じているのに、私の手でこわしてしまいそうで、私の手をすり抜けてしまうかもしれなくて。

それでも抱きしめていたいと、穏やかな私が言う。全ての感情を揺さぶってしまうだろうと、激しい私が言う。ただ浸っていたいけど、ずっとかどうかはわからないから、せめてあったことだけは嘘じゃないと、noteに残しておこう。

2021年1月18日(月)

No.757

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