こぼれてしまえ、思い
気がつくと「伝えそびれていたな」と思うことが多い、フリーライターのaoikaraです。
伝えようか伝えないかで迷って伝えないことにした、というよりは、無意識に伝えない方を選んでいる。
前向きだけではない、いろんな気持ちを飲み込んで取り組んでいるときでも、その気持ちを伝えていないから、ただそのまま取り組んでいるだけの人に見えるよなと、後から思う。
もちろん、伝えようか伝えないかで迷って伝えないことにするときもある。頭の中でいろいろ考えながら、伝えたときに返ってくるものが良い結果ではないと判断して、伝えないこともある。
私は「伝えない」人間のようだ。
今は、自分の思いを伝える方法がたくさんある。SNSや、このnoteでも、いろんな思いがある。私も、いろんな思いを書いている。
それは相手を傷つけてしまうのではないか、という言葉もたくさんあるから、ぎょっとしてしまうし、私がその“相手”ではないのに、胸がズキズキとする。相手の立場になって想像してくれたら、わざわざ伝えないんじゃないか、と思ってしまうときもある。
きっと思いがこぼれてしまうんだろう。意図的にしろ、意図的でないにしろ、激しい思いは激しく、強い思いは強く、剛速球を受けるキャッチャーのように、ふいに跳んできたボール球のように、言葉は、思いと一緒にやってくる。
意図的でも、意図的ではないとしても、やはり誰かを傷つけようとするのはよくない。ただ、こぼれてしまった思いをそのままに言葉にする、それ自体は大切なことだ。
自分の思いを尊重している。自分がこう思っているのだと認めて、自分自身も尊重できる。
とてもやさしい思いだったら、熱い思いだったら、伝えたら、届いた相手の心までもやさしく、熱くしてくれる。こぼれた思いを言葉にして、伝えるのは、人を悲しませるばかりではない。
私はつい「伝えない」。いろいろ考えているのに、自分の中から出そうとしない。いつの間にか「あ、伝えなかった」と後から気づく。私は「伝えない」人間。
だけど、せっかくなら、やさしい気持ちや、熱い気持ちは、もっと言葉にしても、伝えてもいいんじゃないかと思った。こぼれてしまってもいいんじゃないかと。
それでもやっぱり何を伝えるか、どう伝えるかはよく考えたい。伝えようとする相手のことも想像した。そこまでたくさん考えてしまうから、「伝える」行動まで届かないことが多い。
でも、それでも、伝えないとわからない。「私はこう思っています」って、誰も知らない。私だけが知っているからいい、と思うときもあるけど、そうじゃないときもある。それなら、もう少しだけ、伝えることを意識したい。
だからもう、こぼれてしまえ、私の思い。
2022年4月13日(水)
No.1195
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