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私以外の人にもやさしい社会で、私は生きたい

結婚はしていない、フリーライターのaoikaraです。

でも、私は女性で、戸籍も体も心も性別は一致していて、マジョリティであるから、結婚できる権利がある。そして、結婚をしないという自由もある。ありがたいことに、生まれたときからその権利と自由はあった。

当事者ではない私は、正しい知識で伝えられないかもしれない。だけど、どうして、誰が誰を愛するかという性別だけで、結婚ができないのだろうとは思う。

ましてや公的な立場の人が、国のトップの人が、「極めて慎重に検討すべき課題だ」と、暗に否定的な考えを表明したのに、私はすごく悲しく、嫌な気持ちになった。

そして、こうやって公的な立場の人が、いわゆる権威と呼ばれる人が、否定的な発言をすれば、心の内に隠している差別心を隠さず露わにしていいと思っている人がたくさん現れる。私に向けられた言葉でなくても、その言葉は少し見ただけでも、具合が悪くなるほど嫌な言葉だった。


私たちが生まれながらにして手に入れている権利や自由は、先人たちの思いと行動によって勝ち得てきたもの。結婚というのも、今まさに、思いを持って行動を起こしている人たちがいる。

生まれながらにしてその権利と自由を手にしている側の人間が、そうではない人間に与えるものではない。本来は与えられているべきことが、そうではないと気づいたから、制度を整えるだけ。それだけの話ではないのか。

生まれながらにしてその権利と自由を手にしている側の人間が、「あなたたちにはその権利はありません」というのは、すごくグロテスクだと私は思う。

あなたはあなたというだけで許されていることが、そうではなかったら苦しくはないですか。自分が生まれたときに、ただ偶然、制度がある側の人間だったというだけの話で、自分が許されない側の人間だったかもしれない。自分で勝ち得たわけでもない。それなのに、どうして見下せるのですか。


家族観や価値観、社会が変わってしまう。変わってしまえばいい。いや、もうすでに家族観も、価値観も、社会だって変わっているのに、制度が変わっていないだけと思う。

私は、私にやさしい社会で生きたいけれど、私以外にはやさしくない社会では生きたくない。誰かにとってやさしい社会は、それが自分ではなかったとしても、自分にとっても居心地のいい社会であるはずだから。

自分だけが居心地のいい社会は、その枠組みから外れた瞬間に、居心地の悪い社会になる。そんな限られた社会は本当に居心地がいいのだろうか。

本当に強く、激しく、憤りを感じている。

2023年2月2日(木)

No.1490

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