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プラマイゼロ、むしろ

こりゃめでたい、フリーライターのaoikaraです。

人生、ふとしたときにプラスがやってくる。それは過去の自分のおかげかもしれないし、全く関係ないかもしれない。たとえば卵を割ったら黄身が2個だったとか、宝くじが当たったとか。卵や宝くじを買った自分のおかげのような気もするし、全く関係ないような気もする。

逆に、ふとしたときにマイナスもやってくる。タンスの角に足の小指をぶつけるとか、お気に入りの服にケチャップをつけるとか。不注意な自分のせいな気もするし、たまたまな気もする。


プラスがやってきてわくわくうれしい気持ちが膨らんでいたのに、マイナスがやってきて膨らんで気持ちがしおしおとしぼんで、なんだかトータルでプラマイゼロなんじゃないかってときもある。

でもプラスとマイナスがいっぺんにやってきたら、とりあえず状況を整理しなきゃって時間がある。急上昇と急下降の気持ちも落ち着けなきゃって時間もある。この時間をかけてプラマイゼロだとわかったなら、時間を奪われたような気もして、むしろマイナスなんじゃないかとさえ思う。プラマイゼロ、むしろマーイ。


じゃあ、プラスとマイナスがある人生、どちらにしても状況と気持ちを整理する時間が必要なのだから、時間を奪われてしまうだけならマイナスにしかならないのかっていうと別にそんなことはなくて。

そもそも、本当にプラスかマイナスかはわからない。プラスかと思ったらマイナスかもしれない。

すごくいい品を見つけたけど、実は盗品だったら、それはプラスなようでマイナスで。大学落ちて最悪の気分だったけど、予備校で出会った人と恋に落ちて結婚して幸せになったら、マイナスなようでプラスで。

そのプラスとマイナスの逆転がどこでやってくるのかもわからない。人生を終えるまでわからない。でもゴッホみたいに亡くなってからの再評価とかあると、人生が終わってからもわからない。プラスとマイナスの概念が自分の中で、社会の中で変わるかもしれないし。

プラマイゼロ、むしろプラスなのかマイナスなのかさえわからない。


人生何が起こるかわからないけど生きているってもんのすごいことだね。

でも、プラマイゼロのゼロは本当にゼロではなくて。何も起こらなかったゼロなわけはなくて。何かは必ず残るはずだから。意味があるかは、ないかはわからないけど、何かは残る。

自分が起こした全てが自分に返ってくる、それが自分の人生。捉え方も自分次第。どうやらプラスにもマイナスにもなりそうだ。こりゃめでてーな、と思った話。

2021年6月16日(水)

No.905

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