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笑顔が似合う人たち

また衝撃的なニュースに、胸が詰まってしまうフリーライターのaoikaraです。

悲しいことが続くね、と本当に最近noteに書いたばかり。もう、また、こんな風に書きたくはないな。もう、誰も、いってしまわないでと思ってしまう。

そのことばかり考えてしまうから、今日は休みだけどたっぷり運動をして、それで自分を褒めたいのに、褒められる自分でありたくていろいろしたかったけど、やっぱりそのことばかり考えてしまって。

それでnoteも読むのがたまっているから今日はたくさん読もうとか、ドラマを見た感想を書こうとか、いろいろ考えていたけど「何も手につかない」と言い訳したくなってしまって、現実逃避にアマプラばかり見てしまっていた。

みんな、とても笑顔の似合う人たちで、思い浮かべるとそこには笑顔の表情があって、そうではない表情が思い浮かばないから、余計につらい。

いや、私なんてどの立場でもなく、ただ見る人なだけで、一方的に享受しているだけなんだけどね。私がどうにかこうにかなんて力は1mmもないとわかってはいるんだけど、おこがましいけど勝手に無力感があって、脱力してしまって。

今年は何度となくやってくるこの知らせに、妙に冷静に受け止めているようで、まだ事実として何も受け止められていないような、そんな心地で。

その人を責めたくないから、決断を責めることもできなくて、ただ誰でもない私だけどそのとき抱きしめられたらって、かける言葉もわからないし、何をしたらいいかもわからないし、そうすることが正しいとは思わないけど、そんな風に思ってしまう。

前を向く間もなく、時間は過ぎる。歩く力はないはずなのに、気力だけで歩かされる、走らされる。心が置いてけぼりになる。だから、立ち止まらせてほしい。打ちのめされそうな人たちに、どうか立ち止まる時間がありますように。

そんな人を「いつか忘れてしまうよね」と言っていた人がいて、私はそれが許せなくて、むしろその人を忘れることにしたのだけれど、だから私は忘れたくないと思う。何度も何度も思い返したいし、何度だって作品の中で再会する。忘れない、忘れたくない。

つらいことだけが取り除かれていたらいいな。明日からまた頑張ろうと思うから、今日は立ち止まらせて。

2020年9月27日(日)

No.646

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