No.451 「私は私」と言える勇気が欲しい
私はいろんなことを考えたり思ったりする。それをずっとためこんだままだと、パンクしそうになる。だから文章にして、こうやってnoteとかで吐き出す。
だけど、書き切れないときがある。アウトプットの仕方なのか、私の文章力の問題なのか、しっくり来ない。もちろん自分の立場とかインターネット上ってこともあるし、書きたくても書けないこともある。
そんなとき私が求めるのは「誰かと話したい」なんだと思う。と、すぐに気づくわけじゃなくて。誰かとぶわーーーって最近考えていることや思っていることをたくさん話して、スッキリとして「あ、私話したかったんだ」と気づく。
noteで書きたい、アウトプットしたいことは山ほどある。熟成された下書きもある。今だって、これを書こうと思って取りかかったけど、どうも続きの言葉が見つからなかったり、どう締めくくるのか迷ったりして、書き切れない。
言葉だと一言で済むことだったりする。声色とか、大きさとか、スピードとか、言葉だけではない声を使って自分の思いをのせられるから。そんな“思い”まで文章でのせるのが、私のライターって仕事のはずなんだけどな。
どうも私が見た私の文章って、低体温に見える。なんかスカしてる。ちょっとかっこつけてるのはあるな。それが出ちゃってるのよ、文章に。ださださ。
素を素のままに見せるって難しい。私はべらべらとしゃべる人間で、しゃべりすぎることもあるから、文章として思考しているより会話として思考しているのかな。だから「書きたい」じゃなくて「話したい」ってなるのかな。
でも、逆に「これすごく良いんだよ」って話して薦めると全然伝わらなくて、文章にした方がしっくり来るときもある。本とかね。良い本って伝えたいのに、私何言ってるんだろ、全然伝わってないじゃんってツッコミながらだらだらと話しているときが最近あったの。
伝えたいことに合わせてアウトプットの仕方を変えるってのも大事なのかも。
でも全部を同じ人に話せるわけじゃないしね。話題だって選ぶし。なんでも話せる人っていてほしいけど、一人に頼ろうとするとそれは依存になって相手にも負担だしね。頼りたいけどぐっと本音を止めている自分もいたりして。
思っていること口に出したい性分だけど、それを言って良いか悪いかの分別はあって、これは言っちゃダメだなってことは自分の中にためこむもんで、吐き出す場所がわからない。飲み込める器用さはない。
とっても性格が悪いこと考えたりさ、とっても個人的なことだから書けなかったりさ、逆にすごく純粋すぎて恥ずかしくて言えなかったりさ、そう思っちゃダメだけど考えちゃうんだってなったりさ、あーあやっかいだ。
素直に生きたところで、そんな自分が愛されるのかとか、そんな自分を自分も愛せるのかとか、葛藤もあって。あーあー、面倒くさい。そういう面倒くさいのも私なんだよ。性格悪くても、私だけは私の面倒見てやらんとね。
結論、言ってみて、嫌われたらそれまでだ。だってそれが私だから。「私は私」って私がしんどさもあるけど、でも私だから。他人がどう言おうと、「私は私」って言える勇気が欲しいよ。
ってことで、ITZYの最新曲「WANNABE」じゃん。「I WANNA BE ME」じゃん。ITZYサイコー。プロモーションじゃないよ。ステマじゃないよ。本当に偶然そんな結論になった。
noteで文章を書き始めるときは結論なんて考えてないから。きれいな文じゃなくて、私らしい文を書きたいから。ま、ITZY聞いとこ。
何度見てもサイコーだ。落ちてるときも気分をアゲてくれる。おすすめ。
2020年3月14日(土)
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