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自分自身のブランディングなんておこがましい。

はじめてのブログタイトルが、なんてネガティブ(笑)

だけど、43年生きてきて、ある意味ずーーーっと自分の根底にある『本音』。

自身は本当に自己肯定感っていうのが多分すごく低い。高い時も部分的にはあったと思うけど、高校卒業して上京してからは、周囲に素晴らしい人達が多すぎて、どんどん自分自身をブランディングなんて出来なくなっていったかも。状況のせいにするわけでもなくて、単純に自分自身の芯が弱いんだと思う。自信が持てるまでの努力もきっとしていなかった。

その根底の本音を受け止めて、それもよしとした上で、今から始まる これから をどうすれば豊かに過ごせるか、色んな人の力と知恵と知識を参考に、人生を整えて いきたいと思い、このnoteを始めることにした。

人生を整える だなんて、今までそんなにとっちらかっていたのか?と振り返ってみると、、、

かなりとっちらかっていた(笑)

悪いこともいい事も本当にピンから結構なキリまで経験している、と思う。例えば「自死」まで思い詰めるような事までは無かったとしても、振り返えると、そーだなぁ、色々あった。ありすぎた。過ぎた事を後悔しても仕方ないので、全て自分の‘経験’として、未来に活かして行くしかないのだけれど。

上京するまでは、岩手県の片田舎(都会育ちの友人が訪れたとき「ペンギン村みたい」と言われた笑)で育った。本当に田舎で町に信号もなく、小学生のとき信号の見方や横断歩道を渡る指導の時間があるぐらい田舎だった。父母共働きで幼稚園に行くまではおじいちゃんおばあちゃんが見てくれていたのだけど、畑仕事中に4歳下の弟がオムツ姿で行方不明になってしまった。すると郵便局員さん(近所の人)が配達のバイクのカゴに弟を入れて運んで来てくれた(笑)うちから1キロぐらい離れた川の橋の上にいた弟を顔見て○○さんちの孫だとわかり連れてきてくれたのだ。いい意味でも悪い意味でも、それぐらい近所の人との付き合いは密だった。中学校が木造校舎で水道の蛇口から蛇が出てきたり、ストーブ用の煙突から教室に野鳥が乱入してきたり、小学生の時はおじいちゃんお手製の竹スキーで登校したりした(笑)たくさんミラクルで貴重な経験をしたと、大人になると思う。

そんな、今考えると貴重な素晴らしい環境に十数年居ても、人生は簡単にとっちらかってしまうのである(笑)

整える ために最初に必要なこと、なんだろう(。•_•。)ウーン…

急に大きなことは中々できない。今自分自身が自信持てないのはなんでだろう、そこから考えることにした。

するとまずは、

『痩せること』

だった。

年齢とともに徐々に太り続けて、それでも人前に出るという劇団活動があったおかげで完全なデブにはならずに居られた。しかし妊娠出産を経て、ただの平凡なワーキングママになった途端、どんどん太りだした。妊娠もしていないのに体重が60キロを超えた(笑)なんでだよ!と自分自身でツッコミを入れるくらい太った。もともとは40キロ台後半で(それでもぽっちゃり( ・∇・)アハハ)、身長が150cm程なのにこの体重はほんとにやばい。食事を色々考えて作っても60キロ台を抜け出せない…このままあたしはデブ街道まっしぐらの人生なのか、、、とどんどんネガティブ思考に。

太っていてもそれがキャラクターになってとっても輝いている人もたくさんいる。けど、あたしにとっては太っているという個性はさらに気持ちをネガティブにさせるものだったので、不要なものだった。

太ってまず何が嫌かって‘写真に写ること’。太った自分を客観的に見せられてメンタルをかなりえぐられる。通勤時、すれ違う女性達のスリムな体型ばかりに目が行き「どうしてみんなあんなに細いのか」と悶々とした。人と会うのも嫌になった。特に太る前の自分を知ってる人達に会うのが本当に嫌だった。産後太り と理由をつけてはみたものの、公園に行くと、産後を経てもスリムなママ達が大勢居る。こんなに太ってるのはやっぱり自分だけ、、、ネガティブ思考にどんどん拍車がかかるガーΣ(`・ω・Ⅲ)ーン

あたしはこの先ずーーーっと色んな事を諦めて生きていかなければいけないのか、とまで考えた。

しかし、多分これを読んで頂いた方も速攻思ったと思うが、

いや、ジムでも何でも、できる事やって痩せればいいじゃん

そのとおり(笑)
おっしゃる通り。できる事をやればいい。やりもしないで何ウダウダ言ってんの?だよねー。

しかし、今までも何もしてこなかった訳じゃない。育児の合間に痩せる為に色々取り組んでみていた。けど、体重が60キロ台を切ることはなかった、、、

そんなとき、周囲で様々な変化が起こっていた。同級生の友人が病に侵されていたり、少し年上の大好きな先輩がずっと闘病していてついに亡くなってしまったり。。。悲しい出来事やニュースが続き、本当にショックを受けた。

ショックを受けながらも『健康でいること』を意識するようになった。健康でかわいいオバチャンを目指したいと、○○ちゃんママかわいいねって言われたいと、思うようになった(笑)

あたしの、痩せることの目的が、まず定まった。そしてどうゆうふうになりたいかも決まった。

本当に巡り合わせだけど、そんなときに、病に侵された友人が“食”について、SNSで発信しだした。元々料理人でお店も経営していて、帰省した時は必ず食べに行っていたのだが、そのお店を、お母さんがひとりでやれる範囲に規模を縮小し、自身は療養しながら、本当に健康を取り戻す為のお料理をアップし出したのだ。病に侵されたことで気付けた“食”の重要さについて、友人のSNSから考えさせられるようになった。

まずは食を見直す事で、どんな変化があるだろう?と体重60キロ越えのあたしは、ドキドキしていた。

自分自身をブランディングなんて、いつかできるんだろうか、それでもとりあえず、できる事をやっていくしかない!と、奮闘しながらも始めることにした。きっと長い道のりだけど、変化してゆく自分自身の記録として、書き残していこうと思う。


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